世界大戦回顧録 第5巻
第54章 アメリカの参戦
軋轢から生じた冷淡
サー・ギルバート・パーカーの書面
ドイツの和平通牒、ウィルソンを憤慨さす
合衆国の中立を脅かした条件
ウィルソンの平和主義、戦争を延長さす
『勝利の平和』演説
ウィルソンの現実無視
ドイツ、無制限潜水艦戦を宣言す
ウィルソン、ドイツと断絶を余儀なくさる
アメリカ商船の武装必要
法案、上院にて遮らる
ハル提督に傍受されたチンメルマンのメキシコ宛通牒
ウィルソンの宣言…戦争状態存在す
戦争準備の二個月遅延
ウィルソンの国会にての演説
J・アレン・ベーカーのハウス大佐との会見
アメリカへの特別使節、帝国戦時内閣にて可決さる
アメリカ参戦の価値
バルフォア氏、使節団首席となる
シムズ、イギリス海軍省を訪問す
ベンソン氏のイギリス嫌ひ
国際海軍会議
バルフォア使節団の人々
氏の個人的成功
合衆国とイギリス間の亀裂埋め
ウィルソン、イギリスの秘密条約を語る
バルフォア氏、カナダを訪ふ
グレー氏、常置使節団首席たることを拒む
内閣、ノースクリッフ氏を任命す
スプリング=ライス氏の敵意
ノースクリッフ氏の成功、ハウスの讃辞
アメリカとの融資協定
一九一七年七月十七日、私宛のノースクリッフの書面
ウィルソン、戦争に不活溌
アメリカ部隊、戦闘に出動遅々
借りこみの大砲
アメリカ、我が国のために建造されし船舶を徴発す
オーストラリヤよりの抗議
一九一七年七月五日スプリング=ライス氏の書面
特別融資使節、要請さる
サー・ウィリアム・ワイズマン氏の進言
レディング卿派遣に決定
財政上の緊張つのる
我が国の対アメリカ借款及び買付けの統計
聯合国に対するアメリカの財政援助申出で
特別聯合国購入委員会設置さる
アメリカ、レディング卿を歓迎す
卿の使節として及ぼせる好結果
アメリカの最初の軍事的努力
第55章 帝国戦時内閣と帝国戦時会議
戦争努力への帝国の貢献
カナダの敏速な行動
ボータの帝国に対する忠誠
インド土民諸州の結束
帝国提議の価値と限界
私の帝国戦時会議に関する声明
自治領首相招待の辞句
インド代表招待に決す
帝国会議運動の歴史
インドはその一員でない
ウィリントン卿の書面
議事に関する内閣の提案
自治領代表
オーストラリヤ、代表を派遣せず
内閣及び戦時会議の開会
帝国戦時内閣の開会
とその構成
討議された問題
カーゾン及びミルナー部会の開設
カーゾン委員会の領土的和平提唱
軍備撤廃と国際聯盟
ロバート・セシル卿の見解
軍備撤廃の諸問題
国際会議的習慣の価値
提案の聯盟について更に討議す
ひとりイギリスのみ国際聯盟の確然たる提案を構成す
軍備撤廃の可否論議
帝国の発セー決議
いづれの方法が是か…関税か輸送か
討議への私の貢献
輸送の発展展…マッ主張さる
修正決議案の採択
実験、成功す
将来の帝国会議におけるインド代表
帝国の構成
補遺A…陸軍及び海軍の情勢に関する総理大臣の陳述
補遺B…近く開かれる自治領及びインド代表との特別戦時内閣会議の議事日程
補遺C…サー・アイヤ・クロー氏の覚書要領
補遺D…和平条件の経済的希望に関するミルナー卿委員会の報告要領
第56章 トルコとの戦闘 パレスティナとメソポタミヤ
一点明るき近東戦線
対トルコ攻撃の戦略的価値
薄弱な地位にあるトルコ
トルコの汎東洋観
ロシヤ、黒海を制す
攻撃せられし諸戦線の展望
一九一六年末における情勢
パレスティナにおけるトルコ軍の勢力
モード及びマレーに対する陸軍省の指令
イギリスに対するアラビヤ人の支持
三戦線に対する我が責任
アラビヤのローレンス
メソポタミヤにおけるモードの成功
モード、前進の許可を求む
ロバートソンの反対、却下さる
バクダッドの占領
ロシヤの協働、崩壊す
エジプト及びスエズ運河の防禦
私のパレスティナ戦主張
マレーの指令、拡張さる
ロバートソン、増援部隊を割き得ず
マレーへの指令、水を割らる
シナイ半島、トルコ軍を一掃さる
パレスティナ戦に関するロバートソンの覚書
内閣、スマッツ将軍の建言を容る
更にインドより部隊派遣、命ぜらる
サイクス=ピコー協定
ガザの第一会戦
マレー、イェルサレムの占領を慫慂さる
ガザの第二会戦
エジプト軍指揮の更迭…スマッツを打診
スマッツ、指揮を辞退す
戦時内閣のスマッツ包含に対する抗議
アレンビー将軍の任命
将軍の進撃準備
ピェールシェバとガザの占領
イエルサレムの陥落
我が勝利の影響
アレンビーの増援に関する論争
スマッツ、情勢調査のため派遣さる
スマッツ、アレッポ戦を薦む
アレンビーの最後の進撃
トルコ戦線の重要性、証明さる
第57章空軍省の新設
戦前の航空
戦争諸年間の急速な進歩
戦後の機関
海軍航空部、本国防衛に任ず
ダービー卿航空委員会
海軍省、同委員会を粉砕す
カーゾン、航空組織の改善を説く
航空会議の任命
その第一回報告…海軍省の執拗な反対
カーゾン=バルフォア闘争
戦時委員会の結論案文
権能分配の提案
戦時内閣の討議
私の討論打切り
コードレー卿の任命…卿の第一回報告
新設航空会議の構成と機能
我が重大なる対ドイツ状態
新制度下の急速な進歩
空中戦の増大し行く範囲
生産高依然として不足
報復空襲政策の延期
一九一七年七月七日、白昼のロンドン空襲
防禦方策の採用
秘密会議における私の陳述
スマッツ将軍、問題を検討す
ロンドン防空のための提案
再組織の問題
スマッツの第二回報告…空中政策の不足
独立せる航空省新設の提案
結論の要約
戦時内閣の討議…海軍省依然として不服
空中政策委員会の設置
航空省法案
ノースクリッフ卿の信誼蹂躪
コードレーの困難な立場、航空会議よりの辞任
ロザミヤ卿、空軍大臣に任命さる
卿の辞任後に私の送つた感謝状
航空省の仕事に対するヘーグの証言
航空省の価値継続
第58章 ストックホルム会議とアーサー・ヘンダーソン氏
戦争による社会的混乱
政府にとつての難問題
ロシヤ革命を成就した諸勢力の錯綜
サー・ジョージ・ブカナンの一九一七年三月十五日附報告
イギリス労働党よりロシヤに宛てた通牒
フランス及びイギリス労働者の代表派遣
中立国の提唱したストックホルム会議
フランス労働代表のロシヤ訪問
ソヴェート、社会主義代表を招待す
フランス及びイタリー政府の協議
ストックホルムに於ける数次の会談
ペトログラードのブカナン交迭を提議
アルベール・トーマ氏のロシヤに於ける成功
ヘンダーソンのロシヤ訪問
ロシヤの混乱
ブカナンの社会主義嫌ひ
ヘンダーソン、ブカナンを交迭し得ず
少数派社会主義者のロシヤ訪問に旅券下附
社会主義者の行動を怒るイギリス人
水火夫組合、マクドナルドのロシヤ訪問を阻止す
ヘンダーソン氏の帰国
労働党執行部と協議
ストックホルム計画の復活
ケレンスキーの限界
ヘンダーソンのパリ行
弁明を要求
ヘンダーソン氏、戦時内閣を無視す
パリに於ける彼の活動
『ドア・マット』事件
内閣、ヘンダーソンの引留めに腐心す
下院に於けるヘンダーソン氏の弁明
ヘンダーソンに関する私の弁明
ロシヤの内乱的傾向
大使館よりの通牒
ケレンスキー、政局を担当す
ストックホルム会議に反対の内閣
ヘンダーソン、労働会議参加を主張す
ロシヤ大使館の書翰
ヘンダーソン、頑強に自説固持
内閣その態度を維持す
ヘンダーソンの辞職
内閣、情勢を検討す
その態度の定義
ソヴェートとケレンスキーの疏隔
議会に於ける論争
ストックホルムに対する労働者の支持衰ふ
ヘンダーソン失錯の理由
第59章 労働不安の諸問題
一九一四年に於けるイギリス産業界の不安
戦争の生んだ新しい動揺
軍人と市民の対照的条件
実行不可能な徴兵制度
国家及び産業統制の無限の発展
産業に於ける正常な方法は依然個人的企業
必須的な労働力の緊急調整
労働不平高まる
ロシヤ革命、暴動的行為を刺戟す
工場委員運動
煽動家には魅力ある仕事
労働組合組織の欠陥
平組合員運動
罷業に関する情勢
パロウに於ける機械工罷業
内閣の断乎たる処置
五月の機械工罷業
政府強硬態度を持し、主謀者を逮捕す
罷業の代償
精神的には健全なる労働者
不平の原因を放置することの危険
バリオル総長の書翰
産業不安調査委員会
任命の条件
徴兵忌避者
リーヅ社会主義大会
四個の決議案
会議弾圧を拒否す
その主なる結果
海員の態度
産業不安調査委員会の仕事
食糧不足と高物価
労働力の制限
企業合同、紛争の種となる
新参官吏の失錯
地方的不平
委員進言の大要
食糧問題処理のための諸計画
困難な賃銀率
一九一七年の軍需法
ホイットレー産業委員会の誕生
改造委員会任命さる
ホイットレー分科委員会の顔触
雇傭主及び労働組合の一般的承認
第一回ホイットレー会議
海外の産業不安
産業平和の維持に及ぼした国王の影響
第60章 選挙制度の改正
未解決のまゝの選挙問題
望ましからぬ戦時の総選挙
延ばされた議会の生命
第二回の延長
特別登録法案
捲き起された論争
一九一六年十二月の情勢
議長会議の報告
二年毎に選挙人名簿を改訂
選挙人資格の改正
婦人参政権問題
下院の意向を打診するための決議案
保守党員の反対、サー・エドワード・カーソンの書翰
報告に対する内閣の態度
三たび議会の生命延長
婦人参政権に対する見解の変化
動議に対する私の支持
大多数は決議案に賛成
議会に於ける改正法案の成行
上院、比例代表制のために戦ふ
ボナー・ロー氏の率直
注目すべき進歩的偉業
第61章 オーストリヤの和平提議
オーストリヤ皇帝の死、その継承者の性格
帝国の暗澹たる前途
カールの和平渇望
オーストリヤに対する聯合国の親誼
スカンディナヴィヤに於けるオーストリヤの和平工作説
メンスドルフ伯のノールウェー訪問
シクスト公
カールの媾和使節
チェルニン伯の曖昧な通牒
英仏分離を企図
通牒に対するフランス政府の態度
シクスト公よりカールへの返事
聯合国の和平目的に対するカールの態度
対伊不割譲
カールの親翰
フランス政府の好感
商議秘密厳守
イタリーとの折衝
困難墺伊の反目敵対
シクスト公と私との会見
サン・ジヤン・ド・モリエンヌ会議
オーストリヤとの和平交渉にソンニーノの反対
墺伊協調不可能
イタリーのためにソンニーノの懐ける大野心
イタリー、オーストリヤに対し単独媾和を交渉
シクスト公との再会見
カールの書翰に対するフランスの回答
オーストリヤの新媾和提議
皇帝の伝言
イタリーの不当要求
混乱せるイタリーの情勢
カールの第二書
イタリー提案の内容
脂肪欠乏のドイツ
シクスト公、フランス政府との交渉に不満
リボーに対する私の慫慂
カール第二親書の正文
チェルニン伯の四要項
イタリーの主なる障碍物
リボーへの私の書翰
ロンドンに於ける英仏会議
イタリーに対するカムボンの疑惑
彼の驚くべき認識不足
フランス愛国主義の本質
シクストの交渉
イタリーのアルバニヤ併合宣言
仏伊政策の対立
フランスに漏洩
リボー、秘密外交を否定す
リボー、ソンニーノに信書を示す
商議失敗に終る
聯合国間に於ける不信の危険
フランス、最後的拒否を宣明す
カールの悲惨な末路
年表・挿図目次あり