第二次大戦回顧録 14
- サブタイトル
- 編著者名
- チャーチル ウィンストン 著者/毎日新聞社 訳者
- 出版者
- 毎日新聞社
- 出版年月
- 1954年(昭和29年)12月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 370p
- ISBN
- NDC(分類)
- 209
- 請求記号
- 209/C67/14
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 著者の肖像あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
運命の岐路(2)
日本の強襲(2)
マダガスカル
マダガスカルに関するわれらの不安
ド・ゴール将軍の願望
われら同島侵略を決意す
ヒットラーの大本営で同時に開かれた会議
ルーズヴェルト大統領に大西洋における海軍援助を要請する
英国本国艦隊補強に同意してくれる
三月廿四日付スマッツ将軍宛のわが電報
同将軍の喜悦
マダガスカル守備隊への宣伝
米国協力の精神的利益
ヴィシイとの関係についての大統領の関心
わが方の行動を制限する重要さ
われヴェーヴェル将軍に再保証を与える
オーキンレック将軍へのメッセージ
五月五日マダガスカル上陸に成功す
よく実行された作戦
各司令官への祝辞
占領を拡張せんとするスマッツ将軍の願望
当惑する事件
「ラミリイズ」魚雷を食う
マダガスカル島降伏す
米国海軍の勝利
珊瑚海とミッドウエイ島
日本の勝利の時期
拡張の新前進案
ニミッツ提督、珊瑚海に集結する
日本軍のツラギ上陸
五月七日最初の衝突
五月八日フレッチャー提督の行動
空中戦
米国の成功
海戦史最初の航空母艦戦
「レキシントン」の運命
山本提督の案
日本海軍の主力使用さる
米国海軍寡をもって衆に当る
真珠湾での準備
七月四日戦闘始まる
攻撃反撃
フレッチャー、スプルーアンス両提督の天晴なる戦法
彼我の異常なる一六勝負
日本航空母艦四隻の破壊
太平洋戦争の転換期
山本の退却
米国これを追う
素晴しい米国の勝利
日本の海軍最高指揮の特質
米国の勇気と献身の勝利
北極圏護送船団
一九四二年
ロシアへの北方航路
トロンドハイムの「ティルピッツ」
三月わが方の喪失
物資山積す
ルーズヴェルト大統領、我に圧力を加える
五月二日のわが返事
スターリンの要請
五月九日のわが返事
護送船団PQ一七の悲劇
海軍軍令部長の信号
巡洋艦駆逐艦後退する
この事件のドイツ側
護送船団への恐るべき結果
白夜の終結まで北極圏護送船団を中止する決意
「敗北には闘魂」
七月十七日、スターリンに詳細説明する
ペルシャ代替路線
ロシアからポーランド師団を要求する
大統領わがメッセージに同意する
スターリンからの乱暴で横柄な返事
無言でそれを受理することにきめる
一九四二年八月廿六日ヒットラーとの海軍会議の記録
スマッツ将軍の包括的意見
九月の護送船団強行する
一九四一、四二両年の英国ロシア援助努力の大きさ
成功した護送船団とその結果
ドイツ海軍政策の大危機
蒼空の攻勢
一九四二年二月廿七日のブリュヌヴァル強襲
貴重の獲物
足りない細部
「リヒテンシュタイン」
見事な勲功
わが爆撃の正確に関する疑念
爆撃機誘導計画
「ジーレーオボエ」
H2S
ドイツに新しい爆撃機攻撃を加える計画
H2Sの生産遅々たり
対Uボート戦案の結果
A・S・V・装置
敵と共に標定発見に従事する
わが新爆撃機攻勢に対するヒットラー陣営の反動
ドイツの夜間空襲と戦う
カムフーバア線
「窓」と呼ばれる工夫
その使用を躊躇する
その著しき成功
マルタとさばく
オーキンレック将軍、もう四ヵ月の休止を提案する
わが帰国招待を断る
総司令官との重大な意見不一致
インドに向う途中のサー・スタフォード・クリップス、カイロで会議を開く
気持はいいが無益な議論
マルタとさばくの相互関係
マルタの形勢絶望的なり
ヒットラー干与に同意する
護送船団を航海させるわれらの努力
三月におけるヴァイアン提督の活溌な企画
マルタ島に対するドイツ空襲の頂点
ルーズヴェルト大統領、航空母艦「ワスプ」を貸してくれる
マルタ、空中戦に勝つ
東と西からの六月護送船団
十七隻中港に着いた船は只二隻
独伊会談
ムソリニ、マルタ強襲を決意する
ドビー将軍救援を叫び求める
「ワスプ」再び刺す
ドビー将軍健康をそこねる
後任者はゴドー卿
ロンメル攻撃を計画す
オーキンレック将軍更に遅延を謀る
六月には攻撃せよとの決定的命令を出す
同将軍受諾す
五月廿日付のわが電報
返信
個人としてのわが軍事意見
戦術の一原則
「第二戦線を今!」
一九四二年四月
ルーズヴェルト大統領の堂々たる計画
ホプキンズ氏とマーシャル将軍、ロンドンに着く
「西部欧洲作戦」
わが三軍参謀首脳、提案を考慮する
四月十二日付、わが大統領宛の電報
四月十四日、国防委員会会議を開く
マーシャル将軍の陳述
われインド洋の危険を強調する
ホプキンズ氏、マーシャル将軍を支持する
この計画好意を以て受入れられる
「牧牛駆集」と「ボレロ」
四月十七日付ルーズヴェルト大統領宛わが報告
大統領の喜悦
わが私見
インド防衛のわれらの帝国としての義務
一九四三年英仏海峡越えの大攻撃に同意する
一九四二年部分的攻撃を行うマーシャル将軍の計画「大槌」
他の代案、仏領北西アフリカ或は北部ノルウェー
約言
モロトフの訪問
ソ連、バルト諸国関係の要求をする
米国の否定
わが反対を弱くする
三月七日付ルーズヴェルト大統領の電報
英露関係のより懇篤なる時期
ヒットラーがロシアにガスを使用すれば、英国もドイツにガスを使用して報復する宣言
スターリンとの音信
モロトフがロンドンとワシントンとを訪問する提案
モロトフ五月廿日ロンドンに着く
五月廿二日の会談
一九四二年海峡越し作戦を行う問題
上陸用舟艇の不足
モロトフ、ロシアの前途に関するわが意見を聞く
何が起るとも英国は戦う決意を告げる
イーデン、領土協定の代りに英ソ同盟協定を提案する
交渉好転
チェッカーズにおけるロシアの賓客
スターリンとの気持のいい文通
ルーズヴェルト大統領への報告
モロトフ、ロンドンへ戻る
一九四二年の第二戦線に関する六月十一日のコミュニケ
われ覚書によってわれらの立場を護る
「われわれは何の約束もすることが出来ない」
ロシア戦線の主要戦争の経過
セヴァストポール陥落
戦術上の自然淘汰
「大槌」それ自体の弱さに負ける
軽く触れて逃げる襲撃の問題「大将軍」
私はこの案に反対する
私の代案は「ジュピター」
五月一日と六月十三日の覚書
敵の防空、必ずしも決定的ならず
ノルウェー計画について更に議論する
一九四三年の海峡侵入に関する私の考え
「牧牛駆集」作戦に関する六月十五日の覚書
規模と精神の概念必要とされる
仏領北アフリカ計画、一九四二年のために生きのびる
ロンメル攻撃す
わが守勢
地雷と「箱」
五月廿六日ドイツの攻撃始まる
オーキンレックのコミュニケ
五月卅日わが爆撃機千機、ケルンを攻撃する
橋頭堡とビル・ハチェイムの激戦
わが可動戦術予備
六月九日付、わがオーキンレック宛の電報
オーキンレックの死傷者概算
不安な形勢
六月十二、十三両日のエル・アデムとナイブリッジ間の戦車戦
六月十四日付国務相の電報
オーキンレックとリッチー、不満足な妥協
トブルク危険に瀕す
六月十五日付、戦争内閣の電報
六月十六日付、オーキンレックの返電
要塞の重要さ
ワシントン訪問を取消さぬことを決意する
第二回ワシントン訪問
一九四二年と一九四三年のための計画を打合せる必要
「門管合金」原子爆弾
六月十六日付国王へのわが手紙
ワシントンへの遠距離飛行
ハイド・パークにおける乱暴な着陸
大統領とのドライヴでの考え深い瞬間
原子分裂の初期の歴史
六月廿日、ルーズヴェルト、ホプキンス両氏との討議
「重水」と何もしないことの危険
爆弾をつくる米国の決意
一般戦術計画に関する私の覚書
トブルク陥落
必要な時の友人
将来の戦術に関する協議
アイゼンハワー並にクラークと初めて会う
両将軍にわが海峡越し侵入案を渡す
晩方の協議続く
六月廿二日のケバケバしい見出
わが計画を固守する
六月廿四日、フォート・ジャクソン訪問
オーキンレックからの電報
再確保を与える
六月廿五日、ワシントンで更に協議する
ボルティモアの狂人
帰航平安
戦争中におけるわが最悪の時
不信任議決
挙国内閣の強さ
軍事的不運と敗北の長い継続
六月廿五日の総会不信任動議
動議撤退の申出を断る
サー・スタフォード・クリップスの報告
七月一日の最初の日
サー・ジョン・ワードロオ・ミルンの立派な演説
下手な脇道賛成者としてのサー・ロージャア・キース
背馳する線
ウィンタートン卿の攻撃
自由批評の見本
ホア・ベライシャ氏語る
私は討論を打切る
議会討議の無制御の自由
突然起った災厄
トブルクの驚くべき陥落
英国の意見、ゆがめられて米国に伝る
戦車の不足と戦前の原因
オーキンレックとリッチー
われ議決を要求す
首相は戦時権力を持たざるべからず
反対票数、僅か廿五
わが米国の友人のよろこび
歴史的遇然
付録あり
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