第二次大戦回顧録 10
- サブタイトル
- 編著者名
- チャーチル ウィンストン 著者/毎日新聞社 訳者
- 出版者
- 毎日新聞社
- 出版年月
- 1951年(昭和26年)9月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 450p
- ISBN
- NDC(分類)
- 209
- 請求記号
- 209/C67/10
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 著者の肖像あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
大同盟(2)
ドイツ東進す(下)
ギリシア戦
マタパン沖の海戦に勝つ、三月二十八日
わがギリシア遠征軍
パパゴス将軍からの失望的ニュース
英国空軍の劣勢
独軍攻撃す
ピレウス港猛打さる、四月六日
ユゴスラヴィア席巻さる
次いで降伏す
わが左側面への危険
パパゴス将軍撤退を示唆す
テルモピレーへの後退
ウェーヴェル宛四月十七日の私の電報
ギリシア首相の自殺
四月十八日の私の指令
敵食い止めらる
テルモピレーに踏みとどまろうとの希望
撤退に決定、四月二十一日
ギリシアの最後的降伏、四月二十四日
またもナムソス
ナウプリヨンの惨事
英国海軍の功績
わが部隊の五分の四救わる
ギリシア軍の武名曇らず
ルーズヴェルト大統領の友情に満ちた観測
かれへの私の返信、五月四日
私の放送、五月三日
トリポリと「虎」
さばくから海へ
カニンガム提督の憂慮
トリポリを叩くことの必要
砲撃に代わるべき困難な方法
軍令部長の猛烈な代案
カニンガム提督の回答
成功した無血作戦、四月二十一日
カニンガム提督の強い見解
功労は皆のものに
カニンガム提督への私の説明
米国の援助
ウェーヴェルからの不安なニュース
私の四月二十一日付覚書
国防委員会は三百台の戦車を地中海経由で送ることに同意す
トブルクに関する痛烈な批判、四月二十二日
ロンメルへの増援
「虎」船団到着す
輝かしい成功
クレタへの戦車
私は「虎」作戦が繰り返されることを希望す
ウェーヴェルは強要せず
イラークにおける叛乱
一九三〇年の英イ条約
「黄金四角」
インドからの増援
ハバニアに対する攻撃
元気一ぱいの飛行学校の援助
ウェーヴェル渋る
多くのかれの心配事
本国における強硬な態度
ハバニアからの良いニュース
イラーク軍の崩壊と遁走
ウェーヴェルへの私の五月九日付電報
かれらの返信
「ハバニア軍」の到着
手おくれのヒットラーの指令、五月二十三日
バグダッドへ進撃
ラシッド・アリの逃亡
イラーク確実に占領さる
摂政バグダッドに還る
間一髪のところで重大な危険は小さい犠牲においてそらさる
ロンドン、カイロー間の意見の相違
クレタ島 事件到来
クレタの形勢
弱い不十分な防備
カイローにおける過重な行政任務
クレタ防衛について本国と現地間に意見一致す
正確なわが諜報
ウェーヴェルの訪問、四月三十日
バーナード・フレイバーグ指揮に当る
私のカニンガム提督宛五月一日付電報
わが空軍力を増強しようとの努力
ウェーヴェルとフレイバーグは幻想をいだかず
ウェーヴェルとニュージーランド政府に宛てたフレイバーグの電報
ウェーヴェルの五月二日付電報
ニュージーランドにおける不安
フレーザー氏に宛てた私の信書、五月三日
フレイバーグ臆せず
独空軍のクレタ封鎖
憐れむべきわが空軍力
独軍の攻撃計画
「コロラド」と「逸品」
息づまる停止
ウェーヴェルのユーモア
私はスマッツに情報を送りつづける
瀬戸ぎわに達す
クレタ島戦闘
ドイツ航空軍団
攻撃開始、五月二十日
レティモとヘラクリヨン保持さる
しかしマレメは失わる、五月二十三日
海軍活動に入る
ドイツ船団の破壊
海軍にとつて高価な日々、しかしカニンガム提督はすべてを秤皿に投入す
グロースター号とフィジ号の喪失
ケリー号とカシュミア号沈む
カニンガム提督からの深刻な電報
およびフレイバーグ将軍からの重大報告
成功の希望全く去る
我々は撤退に決す、五月二十六日
辛く暗い仕事
ヘラクリヨン救助の悲劇
撤退を継続すとのカニンガム提督の決定
島民に臨むドイツ軍の厳酷
代価は払われた
引合わぬ勝利
ビスマルク号の運命
大西洋における危険
ビスマルク号とプリンツ・オイゲン号出動す、五月二十日
デンマーク海峡
フッド号破壊さる、五月二十四日
ビスマルク南に転ず
チェカーズにおけるサスペンス
プリンツ・オイゲン遁る
夜半にビスマルクは水雷にうたる
五月二十五日接触を失う
しかし二十六日にまた接触す
燃料不足す
シエフィールド号とアーク・ローヤル号
ビスマルク不能に陥る
ヴァイヤン大佐の駆逐艦隊
ロドネー号射つ、五月二十七日
私の下院への報告
手柄は皆に
ルーズヴェルト大統領への私の電報
シリア
シリアにおける危険
ドイツの手先きと航空機到着す
エジプトとトルコへの反動
ダルラン提督ドイツ側と交渉す
制約されたわが資力
三軍参謀首脳に宛てた私の五月八日付覚書
五月九日のウェーヴェル宛電報
ウェーヴェルと自由フランス人
ウェーヴェル将軍と三軍参謀首脳間の誤解
ウェーヴェルの準備と疑念
「輸出業者」作戦
国防委員会はウェーヴェルの計画を承認す
六月六日の私のド・ゴール将軍宛電報
六月七日のルーズヴェルト大統領への電報
前進始まる
必要とされた増援来たる
ダマスカスの占領
ダン将軍休戦を請う、七月十二日
シリア戦の重要な結果
ウェーヴェル将軍の最後の努力「大斧」作戦
ロンメルを破る必要
ウェーヴェルの決意
ソルムとカプッツォを攻撃、五月十五日―十六日
限られた成功
「虎児」に牙の生える苦痛
第十五黒豹師団の到着
ハルファヤ失わる、五月二十六日
「大斧」の準備
敵の兵力過小評価さる
わが攻撃開始、六月十五日
万事まずく行く、六月十七日
ロンメル追撃せず
いそいそと進む馬
六月二十一日の私の電報
オーキンレック将軍、ウェーヴェル将軍に代わる
カイローにおける分担委譲の必要
監督将軍
一つの電報
オリヴァー・リッツルトン大尉
中東における英国務相としてのかれの任命
ルーズヴェルト大統領に宛てた私の七月四日付電報
ソヴェートの因果応報
ソヴェートの誤算
東方における独軍の展開
真実たるにはよすぎる話
合同情報委員会の見解
三軍参謀首脳の警告、五月三十一日
稲光り
スターリンへの私の個人的警告、四月三日
いら立たしい遷延
ヒットラーは「バルバロッサ」を二度延期す
三つの軍群
ヒットラーとリッベントロップを牽制しようとの試み
スマッツ将軍に宛てた私の五月十六日付電報
スターリンの幻想
六月十四日のタス放送
リッベントロップからの運命的な電報、六月二十一日
宣戦、六月二十二日
シューレンブルグ
ヒットラーの残酷なやり方
チェカーズでの週末
ルーズヴェルト大統領の確約
独軍の攻撃
六月二十二日の私の放送
付録あり
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