第二次大戦回顧録 9
- サブタイトル
- 編著者名
- チャーチル ウィンストン 著者/毎日新聞社 訳者
- 出版者
- 毎日新聞社
- 出版年月
- 1951年(昭和26年)5月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 372p
- ISBN
- NDC(分類)
- 209
- 請求記号
- 209/C67/9
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 著者の肖像あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
大同盟(1)
ドイツ東進す(上)
さばくとバルカン
一九四一年における事件の殺到
安全な一つの基礎
戦争の蝶つがい
さばくの擬似あけぼの
一月六日、私の戦局観
ベンガジにおける強靭な側面
エチオピア戦
スペインの謎
ヴィシーの朦朧状態
シシリーにおけるドイツ空軍力の脅威
バルカンにおける最大危険
ギリシア援助の必要
われわれのおもなる仕事
ヒットラーの年頭所感
かれのムッソリーニ宛書翰、一九四〇年十二月三十一日
スペインに関するわが見解の暗合
ロシアとアフリカに関するヒットラーの結論
イーデン氏の不安
わがさばく進撃に限界をもうける必要
一月八日付スマッツ将軍の電報
ウェーヴェル将軍への一月十日付指令
ウェーヴェル将軍アテネに飛ぶ
私のウェーヴェル宛一月二十六日付電報
私のスマッツ将軍宛一月十二日付返信
拡大する戦争
一層親密なルーズヴェルト大統領との接触
ハリー・ホプキンスのロンドン到着
大統領との貴重な一連鎖
スカパへの我々の旅行
ウェンデル・ウィルキー氏
「進め、オー国の船よ」
政治と戦略
我々のきびしい代案
ルーマニアとブルガリアに対するドイツの企図
ソヴィエトの心配
リッベントロップの説明
イネニュ大統領宛一月三十一日付の私の電報
トルコに対する我我の軍事援助の申出で
トルコの近代装備欠如
バルカン戦線を結成すべき絶対の必要
電撃と反電撃、一九四一年 ヘス
電撃は続く
独空軍の実勢力を推定することの必要
諸省間の意見一致せず
判事シングルトン氏の審査、一九四〇年十二月
かれの報告書、一九四一年一月二十一日
ドイツのロシア侵入準備
および英国を爆撃と饑饉とで参らせる準備
電撃の三局面
我々の煙幕とおとり火事
独空軍港湾を目ざす、一九四一年三月、四月
私のブリストル訪問、四月十二日
我々は相変らず敵の電波をねじ曲げた
ロンドンへの焼夷弾攻撃、五月十日
手に負えぬ火事
下院破壊さる
独空軍部隊東へ動く
我々はドイツの電探防衛を調査す
電波戦延期さる
ディッチュレーの週末
意外な、途方もないニュース
ルードルフ・ヘス、スコットランドに着陸す
かれの動機に関する一つの想像
ドイツ側の説明
サイモン卿のかれとの会見、六月十日
ヒットラーの心の幻影
かれの取扱いに関する私の指令
私はルーズヴェルト大統領にこのことを話した
一九四四年におけるスターリンの好奇心
地中海戦争
マルタの絶対的重要性
キーズ提督のパンテレリア占領計画
同計画の延期
わが海軍とドイツ空軍の交戦、一月十日
空母イリヤストリヤス戦闘不能となる
サザンプトン沈没し、ブロースター傷つく
マルタへの空軍増援
独空軍のマルタ猛攻撃
ドッビー提督
サマヴィル提督のゼノア侵寇、二月九日
艦載快速戦闘機の必要
マルタ守備隊の補強
わが潜水艦の活躍と成功
敵の船団全滅さる
ベンガジの占領、二月六日
キレナイカの征服完成す
中東へのイーデン=ディル使節
私のウェーヴェル将軍宛二月十二日付の電報
かれの返信
外相への指令
スマッツ将軍への電報、二月十五日
私の外務兼摂
私のイーデン氏宛電報、二月二十日
同時に発したイーデン氏の信書
スエズ運河への機雷の脅威
イーデン氏の二月二十一日付報告書
同氏アテネに行く
同氏の二月二十二日付報告書
ギリシアは戦い続けるであろう
同国、英部隊の来援受諾
戦争内閣は同国に一軍を送ることに賛成
予測を許さぬ未来
イタリア帝国の征服
アフリカにおけるイタリア帝国の起源と発育
アドワにおける大敗北、一八九六年
伊軍のトリポリ上陸、一九一一年
ムッソリーニの野心
イタリア植民地の目ざましい膨脹
堂々たる要塞と武力
「五千載一遇の機会」
ウェーヴェルの新計画
スーダン掃蕩作戦
ケレンという固い核
ウィンゲート大佐叛乱を起さす
皇帝エチオピアに帰る
使用されぬケニアの部隊
スマッツはキスマユを指示す
カニンガム停止を命ず
我々は行動を促す
キスマユ占領
伊領ソマリランドにおける疾風的作戦
英領ソマリランド全部奪回さる
仏領ソマリランドに対する攻撃とジブチ封鎖
エチオピアにおける非戦闘イタリア人に対するルーズヴェルト大統領の心痛
ケレン争奪戦
インド部隊への讃辞
伊海軍紅海より除かる
伊軍を追撃す
皇帝アディス・アベバにはいる
アオスタ公爵降伏
エチオピアのこと終る
ギリシア援助に決定
三角洲地帯にある戦略予備軍
決定の時
我々の撤回の自由
バルカン戦線に対する希望
海軍の冒険についてのカニンガム提督の意見
私のスマッツ将軍宛二月二十八日付電報
トルコ人とのイーデン氏の討議、二月二十八日
それに関する私の批判
鍵はユゴスラヴィア
独軍ブルガリアにはいる
変化した、そして不安なアテネにおける状況
三軍参謀首脳の見解
それに関する私の考察と、私のイーデン氏宛信書、三月六日
わが在アテネ大使の悩み
ギリシアを援けるか、棄てるか
イーデン氏から慎重な回答
スマッツと司令官らは我々に前進を勧む
短い閣議と最後の決定、三月七日
ニュージーランドの回答
ポーランド人の回答
私のイーデン氏宛三月十四日付電報
私のルーズヴェルト大統領宛三月十日付信書
大西洋の戦い 一九四一年 西方近接路
極度の不安
Uボートの航空機の組合せ
西方近接路の窘迫
わが対策
呼吸のための闘争
貨物の陸揚げ半減
船舶の損害と港湾の輻輳
輸入実行委員会設けらる、一月
枢密院議長委員会の仕事
私の一月二十八日付覚書
二月二十二日付覚書
西方近接路司令部プリマスからリヴァプールに移る、二月十七日
わが老朽船舶へ暴風の被害
一月三十日のヒットラーの脅威
海軍省の破船救助機構
ドイツ巡洋艦の出動
南大西洋におけるシェール号
シャルンホルストとグナゼナウ出撃す
二日間に船舶八万トン沈めらる、三月十五―十六日
侵寇艦ブレストに避難す
、三月二十二日
ヒットラーの過誤
大西洋の戦い
大西洋戦委員会
私の三月六日付指令
「狼群」Uボート
戦術上の問題
米国からの援助、三月十一日
武器貨与法案通過
輸入予算、三月二十六日、米国との密接な関係
「ダンケルク」事件
ヴィシーに対するルーズヴェルト大統領の重圧
大西洋の戦い 一九四一年 米国の干渉
米国から武力援助
ワシントンにおける秘密参謀討議
米海軍基地の発達
Uボート西に動く
アイスランドの重要性
ハリファックス航路
カナダ海軍の発育
聖ジョンス(ニューファウンドランド)における前進護衛基地
喪失依然高まる
三ヵ月間に八十万トン以上沈めらる
さらに米国からの援助
安全水域の延長、四月十一日
米国の海の境界
アゾールス群島
私の四月二十四日付電報
海軍省のゴームレー提督との会談
ルーズヴェルト大統領は無限定国家非常状態を宣言す、五月二十七日
ヒットラーは対米戦争を恐る
Uボートの困難
危険な組合せ破らる
局面われに有利になりはじめる、六月
より多くの、より速い護衛艦に対する我々の必要
長距離機も
よい電探も
フォッケ=ヴルフに戦闘機を射出すること
喪失船の週次発表停止さる
リヴァプールにおける合同司令部の業績
米国アイスランドを占領す、七月七日
ブレストからの脅威
戦争機構の統一的指導
わが喪失と熾烈な努力
レザース卿の任命
リュイス・ダクラス氏
わが港湾からの貨物運搬に見られた改善
ユゴスラヴィア
ユゴスラヴィアの危険
ドイツの網しぼらる
ドノーヴァン大佐ベルグラードに使いす、一九四一年一月
摂政への圧迫
二月十四日のヒットラーの申出で
ブルガリア三国協約に参加す
ベルヒテスガーデンにおけるパウル殿下、三月五日
ユゴスラヴィアの反対
ユゴスラヴィア人を鼓舞すべき努力
ドイツとの秘密協定、三月二十五日
三月二十六日付の私の電報
ベルグラードの無血革命、三月二十七日
パウル殿下辞職させらる
民衆の熱狂
ヒットラーの赫怒
ユゴスラヴィアを潰すべきかれの決定
ベルグラードの破壊を命令す
ムッソリーニへのかれの電報
ドイツの計画狂う
枢軸のバルカン・ブロック成らず
ハンガリアへのヒットラーの恐喝
ハンガリア参謀総長の裏切り
イーデン氏の警告
テレキ伯の自殺、四月二日
ユゴスラヴィアについての私の希望
またトルコについての
イーデン氏宛の私の信書、三月二十八日
わが対希援助の新意義
濠州への私の電報、三月三十日
アルバニアにおけるユゴスラヴィアの機会
ベルグラードヘディル使いす
混乱と麻痺
四月四日付ディルの報告
私の訴えと警告
ソ連の身振り
「懲罰」作戦、四月六―八日
「悟りのわるい熊」
日本使節
極東からの不穏なニュース
香港補強の問題
日本大使館内のざわめき
ルーズヴェルト大統領宛の私の電報、二月十五日と二十日
二月二十四日日本大使の来訪
三月四日の再訪
日本は米国と紛争を起しはせぬかとドイツ憂慮す
東京における三決定
松岡使節
リッベントロップとのかれの会見、三月二十七日
ヒットラーとの会見
「精神的共産主義」
松岡に送つた四月二日の私の書翰
かれのローマ訪問
モスクワにおける淹留
運命の天秤
愛想よきスターリン
近衛公爵米国との諒解を望む
私への松岡の返翰
対日戦争
内閣は妥協に決す
松岡辞す
解決に対する日本の希望
冷静な打算をする三大国の過誤
さばく側面、ロンメル、トブルク
大切なさばく側面
ウェーヴェルの配置
三月二日の形勢に関するかれの観察
ロンメルのトリポリ到着、二月十二日
かれの攻撃決意
偉大な将軍
アゲイラにおける関門
不十分のわが資力
ウェーヴェルとディル親しく視察す、三月十七日
ウェーヴェルに宛てた三月二十六日の私の電報
かれの返信
キレナイカの情勢
アゲイラへのロンメルの攻撃、三月三十一日
わが機甲部隊の失敗
四月二日の私の電報
意外な独軍の力
ベンガジからの撤退
ニーム、オーコンナー両将軍捕わる
トブルク保持の重要性
ウェーヴェルの決定
独軍の上空支配
四月十四日の私の指令
ルーヴヴェルト大統領への私の電報、四月十六日
ウェーヴェルの説明
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