第二次大戦回顧録 7
- サブタイトル
- 編著者名
- Churchill, Winston Leonard Spencer 著者/毎日新聞社 訳者
- 出版者
- 毎日新聞社
- 出版年月
- 1950年(昭和25年)11月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 324p
- ISBN
- NDC(分類)
- 209
- 請求記号
- 209/C67/7
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 著者の肖像あり 折込図1枚 内容:最も輝かしい時(3) 第2編ただ独り(上)
- 昭和館デジタルアーカイブ
最も輝かしい時(3)
ただ独り(上)
英国の戦い
決定的格闘
ヒットラーのディレンマ
三つの局面
自国の上空で戦うことの利
「海驢」と空襲
タインサイドに対する独軍の強襲
ハインケル爆撃機の大量虐殺
ビーヴァブルック卿の独壇場
アーネスト・ベヴィン氏と労働階級
内閣の結束
独軍の損害を計量す
最初のロンドン襲撃
ドイツ軍令部の不安
九月十一日の私の放送
自八月二十四日至九月六日辛い緊張
戦闘機隊司令部の関節接合危殆に瀕す
二週間にしてわが操縦士の四分の一は戦死または戦闘不能となる
ゲーリングがあまりに早くロンドンにかかつた過誤
息抜き期間
絶頂の日九月十五日
第十一戦闘機大隊と共に
空軍副元帥パーク
大隊作戦室
攻撃はじまる
予備機悉く出陣す
決定的勝利
ヒットラー「海驢」作戦を延期す、九月十七日
勝利の主張と損害
名誉は皆のものに
電撃戦
独軍攻撃の段階的局面
ゲーリング空戦の指揮をとる
ロンドンを征服しようとかれの努力
ヒットラーのほら
五十七夜の爆撃(九月七日=十一月三日)
パイル将軍の弾幕
個人的経験談
ダウニング街と別館
大手術後のチェンバレン氏の勇気
かれはロンドンを離れることを諾す
ダウニング街十番地での夕食会
幸いであつた虫の知らせ
大蔵省中庭に爆弾
ペルメルの焼失
カールトン・クラブの破壊
民衆の意気
マーゲートの料理店と戦災保険制度
各省のための規則
警戒警報と空襲警報
妖魔バンシーの叫び
戦争内閣は食事時刻を早める
ロンドンが廃墟と化すことをわれわれは予期す
傲然たる議会の気分
かれらに慎重を説く
かれらの幸運
打撃に堪えるロンドンの力
けわしい顔つきと陽気
米国における強い感情
ロンドンの下水施設
伝染病の危険
破れた窓
時限爆弾
それに関する覚書
不発爆弾分遣隊
危険克服さる
落下傘重機雷
報復の問題
われわれのそれに比較されるドイツの後の経験
中央政府の安全必要
「馬見場」舞台稽古
ハーバート・モリソン、内相ジョン・アンダソンの後任となる
焼夷弾攻撃はじまる
国家消防隊
国王の第四軍市民防衛隊
打撃に堪えるロンドンの力
戦争機構を保護すべき恒久的施設
私はピカディリの地下に安全居所を得た
別館に帰る
ドイツの計画またも変る
地方都市
コヴェントリー
バーミンガム
海港に対する攻撃
ロンドン市の大焼、一九四〇年十二月二十九日
バッキンガム宮における国王
陛下の事務精励
将来のための一つの考え
魔法戦争
目に見えぬ闘い
リンデマンの働き
電波探知機の発達
ドイツの電波
ジョーンズ氏の話
分裂電波、すなわち「クニッケバイン」の原理
電波をねじ曲げる
ゲーリングの半盲的頑冥
X機
コヴェントリー、十一月十四=五日
おとり火事
Y機の機先を制す
ドイツ空軍失敗す
英国科学の勝利
その後のわが諸計画
ロケット弾発射機
パイル将軍の部隊と英国の防空
空中機雷幕
近接信管
反撃の見透し
「英国防空」の拡大
米国駆逐艦と西インド基地
駆逐艦五十隻について米国に訴う
ローシヤン卿の斡旋
ルーズヴェルト大統領宛七月三十一日付電報
西インドにおける基地貸譲を申出ず
艦隊についての取引に私は不同意
大統領宛八月十五日の電報
大統領の陳述
八月二十日の私の議会演説
大統領宛八月二十二日の電報
八月二十五日の電報
八月二十七日の電報
われわれの最後的提供
艦隊についての私の保証、八月三十一日
議会への陳述、九月五日
エジプトと中東 一九四〇年六、七、八月
ムッソリーニ、エジプト侵入を準備す
相衝突するわが両面の憂慮
北アフリカのイタリヤ兵力
エジプト国境へ向けて勢力を集中す
珠数玉
わが前線部隊のせん手
水陸両面作戦の可能諸相
戦車その他の武器をもつて増援することの必要
兵力分散に対する私の不満
ケニヤ戦線
パレスチナ
戦車旅団を、ついで第二戦車師団を送り出すことの必要
地中海の近路
戦車は喜望峰を迂回せねばならぬ
伊軍の海岸道路を海上から切断する諸計画案
中東問題に当る省長官委員会
ウェーヴェル将軍協議のため帰国す
かれとの痛烈な緊張した討議
八月十六日の指令
ナイル軍の集結
その戦術的使用について
ソマリランド挿話
不愉快極わまる挫折
それについての私の覚書
アルバニヤにおける伊軍増大す
濠州とニュージーランドの首相に送つた一般情勢に関する私の報告
地中海の通路
新形勢
フランス出で、イタリヤ入る
アレキサンドリヤにおけるカニンガム提督
カラブリヤ沖の行動成功す
海軍の負担加わる
地中海の航行禁止
私の七月十二日付覚書と軍令部長の答申
私の七月十五日付覚書
増援部隊の地中海通過に関するカニンガム提督の意見
軍令部長の七月二十三日付覚書
「帽子」作戦の計画
地中海経由戦車輸送のための私の努力
私の八月十三日付覚書
海軍省を説得し得ず
「帽子」作戦の遂行
断行成功す
砲撃艦の必要
カニンガム提督宛九月八日付私の電報
マルタの防空を援けるための苦しい努力
サマヴィル提督の出動
エジプトへタコラディ路開かる
貴重な点滴
依然最前面に立つマルタ島
九月の緊張
空戦の絶頂
過労に苦しむ戦闘機操縦士たち
切迫した侵入の証拠
集結された大型荷舟に対する爆撃の成績あがらず
英国奮起す
軍需品政策
私の一般指令
一九四一年度の必需材料についての見透し
八ヵ月計画
優先権に関する私の十月覚書
おくれているもの
英本土とエジプトにおける絶頂
霧の危険
ディ・ワイルド弾に対する需要
航空機生産者の功績
突撃隊編成政策励行さる
元帥グラツィアーニ軍の前進、九月十三日
シディ・バラニにおいて進軍とどまる
戦車旅団のエジプト到着
心もとないマルタ島の状況
遂に事実とならずにすんだ諸困難
ダカール
ド・ゴール将軍援助の重要性
ダカール解放計画
自由フランス軍を支持する必要
私の一九四〇年八月八日付覚書
「脅威」作戦に対する戦争内閣の同意
遷延と漏洩の危険
「ジヤック」からの情報
わが第二の「糸」
フランス巡洋艦発見さる
ホワイトホールにおける失敗
手おくれ
私は戦争内閣にこの計画放棄を勧告す
指揮官らは攻撃を熱望す
ド・ゴール将軍素志をひるがえさず
戦争内閣は指揮官らに自由裁量を与う
スマッツ将軍とルーズヴェルト大統領に宛てた私の電報
ダカール攻撃
軍艦対要塞
ヴィシー・フランスの頑強な抵抗
わが海軍かなりの損害を被る
内閣と指揮官は中止に一致す
本国と現地における役割の変化
指揮官らに咎なし
議会は説明を求めず
イーデン氏中東に使いす一九四〇年十月
チェンバレン氏の引退
内閣の異動
保守党首領の地位
私が後継者たることを諾した理由
ビルマ・ルートを再開す
ルーズヴェルト大統領宛私の電報
さばく戦線におけるわが兵力の増大
中東司令部の措置に対する私の不満
マルタ島に関する憂慮
イーデン氏中東へ飛ぶ
一九四〇年十月十三日の私の戦局展望
イーデン氏カイローにて諸将と協議す
かれの報告と要請
マーサ・マトルーに増大するわが兵力
イーデン氏ハルトゥームにてスマッツ将軍と会わんことを提議す
イタリヤ軍の機先を制して攻勢に出ようとの私の希望
中東にあるわが戦力を善用することの必要
資料の利用については4階 図書室のご利用にあたってをご覧ください。
- 担当:
- 図書情報部 図書係
- 電話番号:
- 03-3222-2573
- FAX:
- 03-3222-2626

