第二次大戦回顧録 5
- サブタイトル
- 編著者名
- チャーチル ウィンストン 著者/毎日新聞社 訳者
- 出版者
- 毎日新聞社
- 出版年月
- 1950年(昭和25年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 319p
- ISBN
- NDC(分類)
- 209
- 請求記号
- 209/C67/5
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 著者の肖像あり 折り込図3枚
- 昭和館デジタルアーカイブ
最も輝かしい時(1)
フランスの没落(上)
挙国連立
初めと終り
共同大目的のための英国の大努力
戦争全期を通じて敵と接触した師団数
戦死者芳名録
英海軍の分担量
英国と米国の爆弾投下量
米国の軍需品援助はわが戦争努力を増大す
新内閣組織
チェンバレンに対する保守党員の忠誠
下院院内筆頭総務
異端狩り策動、適時に抑えらる
チェンバレン宛五月十一日の私の書翰
一種特別の経験
戦闘最中の政府組織
新しい同僚、クレメント・アットリー、アーサー・グリーンウッド、アーチボールド・シンクレヤ、アーネスト
小さい戦争内閣
政府組織の段階(五月十一日―五月十五日)
権力についての余談
新戦争指導の実際と外観
軍部長官の責任における変化
戦争指導は少数の掌中に帰す
私一流のやりかた
書かれた言葉
サー・エドワード・ブリッジス
イズメー将軍
参謀首脳委員会と私との関係
戦争内閣の親切と信頼
国防相の職
その幕僚、イズメー、ホリス、ジェーコブ
五年間変化なし
参謀首脳委員会の安定
死による一例を除き、一九四一年から一九四五年まで異動なし
頂上における文官、武官の親睦
個人的交信
ルーズヴェルト大統領と私との関係
大統領宛五月十五日の私のメッセージ
“血と労役と涙と汗”
フランスの戦い ガムラン
D計画
ドイツの戦闘命令
ドイツとフランスとの戦車
仏英軍のベルギーへの進出
オランダ席巻さる
ベルギー問題
用兵術における認められたフランスの卓越
アルデンヌの間隙
朦朧たる戦争経過中の英国の困難
D計画の進行
五月十三、四日の悪報告
クライスト集団の仏戦線突破
英空軍の大損害
わが本国防衛の最後的限度
レイノー首相、私に電話す(五月十五日)
アルデンヌ間隙前面の仏第九軍潰滅
オランダにおける「撃ち方やめ」
イタリヤの脅威
私パリーへ飛ぶ
ケー・ドルセーの会見
ガムラン将軍の陳述
「オーキュヌ」、戦略的予備軍なし
独軍の「脹らみ」に対する攻撃提唱
フランス、さらに英戦闘機隊の増援を要請す
五月十六日夜の私の内閣宛電報
内閣はさらに十戦闘機中隊を送ることを承諾す
フランスの戦い ウェイガン
戦局の危機深まる
局地的防衛義勇兵隊
東方からの援軍
ルーズヴェルト大統領宛五月十八日および五月廿日の私の電報
五月十九日のガムラン将軍の最後命令第十二号
ウェイガン将軍任命さる
フランス内閣の異動
小船舶に対する最初の命令(五月廿日)
「オペレーション・ダイナモ」
ウェイガンの戦線訪問
自動車事故でビヨット死す
仏軍、ドイツの戦車に抗し得ず
アイヤンサイドの報告(五月廿一日)
議会非常権限を政府に与う
私のパリ再訪
ウェイガン計画
北方軍の危険
アラス周辺の戦闘
レイノーとの通信
サー・ジョン・ディル、英国参謀総長となる
海への進軍
戦いの跡を顧みる
ヒットラーの直接干渉についてハルダー将軍の手記
独軍戦車の停止
独軍参謀部日記からの真相
決定点における停止の別原因
ブーロニュの防禦
カレーの悲劇
長びいた防禦の諸結果
ゴートのウェイガン計画放棄
かれの五月廿五日の決定
ベルギー間隙の填充
ダンケルク橋頭堡への英軍の撤退
英四個師団リルから脱出す
参謀首脳への質問
その回答
ゴート卿への私のメッセージ
およびキーズ提督へのメッセージ
五月廿八日朝のゴート=ブランシャール会見に関するパウナル将軍の手記
ベルギー軍の降伏
ブルック将軍と第二軍団によつて行われた決戦(五月廿八日)
橋頭堡への撤退
仏第一軍の半数、海路脱出す
ダンケルクの救い
「辛くて苦しい消息」
代祷と祈祷の礼拝式
大臣たちの感激表示
小舟艇の集まり
七百の舟
三つの重大要素
蚊群のごとき無敵艦隊
フランス兵を移す
ゴート卿への最後命令
あり得べき結果
ゴート、ダンケルクの指揮をアレキサンダーに譲る
私の第三次パリ訪問(五月卅一日)
スピーヤズ将軍とペタン元帥
撤兵完了
議会への私の陳述(六月四日)
空軍勝利の意義
英国の決意
獲物への殺到
英伊の伝統的友誼
イタリヤとムッソリーニにとつての中立の利
私は首相就任早々ムッソリーニに書翰を送る
けんもほろろの返事
レイノーのロンドン訪問(五月廿六日)
仏英、ルーズヴェルト大統領の仲裁を懇請す
内閣の決定を伝える私の五月廿八日附電報
イタリヤ宣戦せば直ちに打つべき準備
イタリヤとユゴスラヴィヤ
イタリヤの宣戦
アルプス線の攻撃、仏軍に阻止さる
一九四三年十二月廿三日附チャーノから私への書翰
ルーズヴェルト大統領のイタリヤ弾劾
六月十一日附大統領宛私の電報
英ソ関係
ドイツの戦勝にモロトフの祝辞
サー・スタッフォード・クリップス駐ソ大使に任命さる
スターリンに送つた私の一九四〇年六月廿五日附書翰
ソヴィエトの掠奪物分け前
またフランスへ
陸軍の士気旺盛
私の最初の考えと指令(一九四〇年六月二日)
失われた装備
大統領、マーシャル将軍およびステッティニュース
確信から生れた行為
六月の二重緊張
英陸軍の再編成
近代武器の恐るべき欠乏
われわれの唯二つの完全装備師団をフランスに送る決定
フランス戦の最後の段階
第五十一高地師団の全滅(六月十一日―十二日)
「スコットランドが何をやるか」
私の第四次フランス訪問、ブリヤールで
ウェイガンとペタン
ジョルジュ将軍を招致す
ムッソリーニ撃つ
私とウェイガンの討議
フランス人、英空軍のミラン、チューリン爆撃を阻止す
独軍パリに入城す
翌朝会談再開
ダルラン提督の約束
仏総司令部へ訣別
私どもの帰途
戦争内閣への会談報告
本土防衛(六月)
激烈な英国の努力
迫つた危険
遊撃隊の問題
地方防衛義勇軍の呼称を本土防衛軍と改む
敵戦車を攻撃すべき手段の欠如
ジェフリーズ少佐の実験所
「粘着」爆弾
ド・ゴールの自由フランス援助
他の仏部隊の帰国手配
仏負傷兵の手当
猛訓練のために英兵を使役より解放す
新聞と空襲
ドイツ占領下の工場利用の危険
中東およびインドに発生しつつあつた諸問題
パレスチナにおけるユダヤ人武装問題
本土防衛計画の進行
偉大な対戦車防砦その他の施設
フランスの苦悶
ルーズヴェルト大統領への電報
私のトゥール訪問
事態ますます悪化
ボードゥワン
偉大なるマンデル
レイノーとの会話
私は一九四〇年三月廿八日の義務からフランスを解除することを拒絶す
エリヨ、ジャンヌネー両人の毅然たる態度
「運命の人」
フランス政府、ボルドー移転に決す
ルーズヴェルト大統領よりレイノーに(六月十三日)
大統領への私の電報
およびレイノーに
「仏英間の永久結合」
大統領の電報に失望す
大統領への私の電報(六月十四日―十五日)
重大な示唆
エーヌ河畔の大戦闘(六月九日)
仏軍の敗北
マジノ線における孤独の抵抗
わが微々たる貢献
ブルック将軍の新指揮
ブルターニュに橋頭堡をつくる話
ブルック状況見込みなしと明言す
私はそれに賛成す
わが軍退いて乗船す(六月十六日―十七日)
ペタン政府休戦を請う
ダンケルク撤兵の繰り返し
英兵十三万六千とポーランド兵二万を英国に運ぶ
ランカストリヤ号の大惨事
六月十六日附各自治領首相への私の信書
英上空戦についての私の希望
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