占領下の日本海運
第1章 移り変わる戦時海運の姿
一番痛手をうけた海運産業
最高指導者の頭脳貧困が生んだ敗け戦さ
戦時統制の第一段階-自治統制へ
不完全な自治統制体制のまま太平洋戦争へ
船舶運営会の発足
一元的運営を阻害した運航実務者制度
運営会の運航船腹二百六十八万トンがピーク
陸海軍の船の奪い合い
はげしい船の消耗
陸軍に軍配が上がった「陸海軍戦争」
茶番劇「総監部発足の儀式」
役に立たなかった軍の通信網
バカらしい思い出ばかりの「宇品海上総監部」
第2章 敗戦から占領時代へ
最初に出たのが全船舶への「停戦命令」
命令系統の混乱に神経疲れる
配船表提出に見え透いた小細工
陸軍から叱られる
日記が物語る当時の模様
CMMC発足の由来
日韓の帰還輸送はじまる
スカジャップ長官に叱られた話
長勤めとはデクの棒の代名詞
SCAJAP NO・の由来
スカジャップ旗掲げた日本船舶
第3章 「帰還輸送」という名の大事業
六百六十万人の帰還輸送
比較的順調だった中国と台湾
困難だった東南ア諸島
ソ連からの引き揚げも始まる
帰還促進のため米船を貸与さる
リバティーと改Eの差
横浜に米船事務所をつくる
末永権六君の思い出
病院船を寄宿舎に配乗員の再訓練
帰還輸送の功労者井上嘉瑞君
第4章 ポーレー報告からジョンストン報告まで
日本船の外航就航を許さる
ボロ儲けの話にも尻ごみ
貨物船も外航に就航
手間のかかった「入港許可」
インディラ嬢輸送に大騒ぎのひと幕
「日本海運を圧殺すべし」
賠償の対象にされた全外航船
ストライク報告で緩和
日本海運の再建を提唱したジョンストン報告
英米船主の猛烈な反対
戦時補償打ち切りの措置
リチャーズ君とスピア君
モレル君とスタインハウワー君
第5章 民営還元が実現するまで
厖大な赤字となる
不稼働船の修復や曳航事業まで
泣かされた拿捕船の復旧と返還業務
運営会システムに鋭いメス
禁男「女護カ島」の珍風景
運営会の赤字補償
傭船科・修繕費・船員費
優秀な船員温存にはたした運営会の防波堤的役割
誤ったGHQの労働政策
ハイヤリング・ホール制に反対した全日海
インフレ下の海上スト
画期的な「三者協定」
反響を呼んだ「海運国営論」
民営還元促進の作用をした国営論
段階的に統制をはずす-米の意向
定期傭船への切り替え
日本船主側から民営還元延期の陳情
ついに実現した民営還元
商船管理委員会(CMMC)と名が変わる
ソ連からの帰還輸送おくれる
貸与米船で軍需品輸送
朝鮮事変で果たした輸送任務
米船運航会社の設立
米船運航をめぐる諸困難
運転資金借り入れに銀行回り
外航配船へ漸く進出
朝鮮事変で市況好転
米国内に根強い「日本海運制限論」
業界を不安にさせたマグナソン
むすび
本書を出版するに当たって(堀卯太郎)
年表