図書セカイ ノ キキ000015250

世界乃危機 第2巻

サブタイトル1~10
編著者名
Churchill, Winston Leonard Spencer 原著
出版者
東京水交社
出版年月
1929年(昭和4年)5月
大きさ(縦×横)cm
23×
ページ
734p
ISBN
NDC(分類)
209
請求記号
209/C67/2
保管場所
閉架一般
内容注記
【The world crisis.・の翻訳】
和書
目次

第1章 西部の戦況行き詰る
一九一五年
好機去る-事件の本筋
蜿蜒たる戦線-正面攻撃
敵の疲弊を待つ持久戦
殺人か戦術か-協議機関の欠如
兵器に基く停頓
モニトルとタンク
煙幕
東部戦線の諸戦期
冬期戦
露軍の弾薬兵器欠乏す
災厄迫る-露国最後の頼み
海陸協同作戦
北部側面
南部側面
海軍力の弾力性
第2章 海戦の機を窺ふ
海上の停頓状態
不真面目なる独逸の批評
戦を強要するの途
海軍の思慮尽く
波海進入策-露国政府との往復文書
フイツシヤー卿の意見
ボルクーム島
難関と不熱心
実行計画立案上の苦心
砲撃用特務部隊
我が十二月二十九日附首相宛書翰
南方転戦の一挙
土耳其と巴爾幹
ダーダネルズ攻撃の最初の意図
浅慮なる引込思案-実行
実際的教条
第3章 戦争の第二年に入る-一九一五年一月
一退転
ジヨツフルの反対
十二月の攻撃失敗-小作戦の危険
書翰往復続く
サー・ジヨン・フレンチ作戦計画を固守す-新年匆々の不況
軍艦フオーミダブルの喪失
独逸の海軍作戦
ポール提督覚書-独帝の決裁
独逸の潜水艦及航空機作戦
ツエツペリンに依る襲撃
フイツシヤー卿の煩悶、復讐手段-第一次辞意
新軍編制の問題
一月六日の書翰
サー・ジヨン・フレンチ宛一月八日附の我が書面
計画の放棄、一月二十三日
海岸進撃計画の寂滅
第4章 戦車及発煙兵器の起源
考案の萌芽-装甲車
余の一月五日附首相宛の書翰
再度タンク製作を企つ
第三次の企図も失敗す-塹濠ローラー
ウエストミンスタア太公の晩餐会-陸上艦委員会
テニソン・デインコートの考案-タンクの注文
名誉と責任-タンク頓挫せんとす(一九一五年六月)
タンクの母命脈を保つ-ダンドノルド卿と祖父の秘策
卿秘密を打明く
毒瓦斯
煙幕
特殊攻撃作戦
タンクの真の使用法
奇襲
大本営処置を誤る-一九一七年のカムプレー戦
タンクの声価定まる
第5章 作戦の採否
南方正面
露国の要請
キツチナー卿の一月二日附書翰
フイツシヤー卿の一月三日附書翰
意見大勢定まる-カーデン中将宛一月三日附電報
海相及第一海軍卿の覚書-衆議一決-カーデン中将の返信
フイツシヤー卿当時の立場
カーデン中将の一月十一日附作戦計画
技術的方面
ダーダネルズ問題の二箇の要素
ウイルソン氏の所見
砲術上の問題
的確なる作戦計画を求む-流用し得べき諸艦艇
一月十三日の最高軍事会議
アドリア海方面の攻撃計画
一月十三日附の覚書
予備弾薬
一月十五日附サー・ヘンリー・ジヤクソンの覚書
仏国政府との交渉
露国政府との交渉
一月二十日附の覚書
アレクサンドレツタを口実とす
海軍攻撃の計画の起原
責任の所在
第6章 ドツガー・バンクの海戦
総理の要求
サー・ジヨン・ジエリコーを上京せしむるの議
首相賛成す-独逸艦隊の評議
サー・アーサー・ウイルソンの報告
フイツシヤー卿賛同す-手に汗を握る
払暁の海軍省
ドツガー・バンクの夜明け
敵艦隊と接触す
ライオン砲火を開く
ムーア少将指揮権を執る
ブルユーヘルの沈没
深刻なる試煉
勝利中の失望
我が首相宛一月二十四日附書翰
余のサー・ジヨン・ジエリコー宛一月二十六日附書翰
我が勝利の内外に及ぼせし影響
第7章 再考及最終の決定
ダーダネルズ攻撃計画の進展
別案倒れ、フイツシヤー卿意見を変ず
フイツシヤー卿の変説
大艦隊の威力
フイツシヤー卿の一月二十五日附覚書
ダーダネルズに関する露国の回答
余の一月二十七日附覚書
聯合艦隊の勢力益々充実す
艦隊本来の任務
一月八日の最高軍事会議
各当局者ダーダネルズ攻撃を支持す-フイツシヤー卿の挙止
フイツシヤー卿最後の承諾-強圧と不平
海軍省の誓約の範囲
第8章 陸軍による攻撃の端緒
結局陸軍を用ふ
用ふべきもの少くとも十箇師団
キツチナー卿の重担
参謀本部の萎靡
我が報告
ヴエニゼロス氏提供されたる援軍を謝絶す-海軍省陸兵の派遺方を要望す
二月六日の裁定
キツチナー卿に各種の圧迫加はる
二月十九日の最高軍事会議-キツチナー卿第二十九師団を引込む
退嬰の日
二月二十四日、二十六日の軍事会議
余の二月二十五日附覚書
余の二月二十七日附覚書-運送船準備取消-余の抗議
第二十九師団終に出発に決す
ダーダネルズ委員会の評言
第九章 外方要塞の陥落及ひ希臘の第二次提議
二月十九日-外側堡塁及備砲
二月十九日乃至二十五日の戦闘
外側堡塁破壊さる、海兵の上陸-第一段作戦の成功
陸軍の援助益々有望-我が三月四日附書翰
参謀本部の無為-キツチナー卿責任を負ふ
ダーダネルズ攻撃の全欧に与へじ影響
勃牙利、羅馬尼、伊太利、希臘に対するダーダネルズ戦の影響-伊国参戦の見込
三月一日-希臘の第二次提案
禍なる露国の行動
コンスタンテイン皇帝を排拒す
ヴエニゼロス氏の辞職
第10章 決意の変更
艦隊作戦の鋒鋩鈍ぶる
直接射撃と間接射撃-クイン・エリザベスの砲火
掃海作業の困難-サー・イアン・ハミルトン将軍司令官に任命さる
キツチナー卿の訓令
益々陸軍の作動を希望す
作戦の危険率と成功率
深入せぬ中に中止するの秋-皆断乎たる行動を希望す
海軍省のカーデン提督宛電報
真摯なる攻撃の準備
カーデン提督病む
第11章 三月十八日
官選史の記事
攻撃計画
不幸なる怠慢
戦闘開始
堡塁撃圧さる-プーヴエーの爆沈
砲撃継続-インフレクシブルとイレジステイブルの触雷
攻撃中止-オーシヨン触雷-艦及人員の損失
三月十八日の我か動静-本省に於て戦報に接す
衆議飽迄戦ふに決す
増援艦派遣の電報-十九、二十日に於けるド・ロベツク提督の意図
ド・ロベツク中将の二十三日附電報
海軍省の戦闘再開命令案
第一軍事委員の拒否
艦隊に依る攻撃作戦行はれず-余更に努力を試む
第十二章 ド・ロベツク提督の作戦方針変更
陸兵の到著
何れかの災厄を選ぶ-根拠地の変更
ド・ロベツク提督の三月二十日中の意図
三月二十二日の会議
重大なる決定
神聖なる軍艦-ド・ロベツク提督の主張
ド・ロベツク提督の主張
主張の相違
リマン・フオン・ザンデルス将軍の指揮
キツチナー卿重任を負ふ-陸軍攻撃の時期
サー・イアン・ハミルトン将軍の回答
機雷原清掃を貫徹せんとする余の苦心
海軍攻勢の絶対的中止
第十三章 隠忍主義と決行主義の論拠
ダーダネルズの秘を発く
内側防備中間防備
堡塁の弱点
土耳其軍の弾薬の欠乏
英海軍の弾薬の供給と貯蔵
艦隊に対する砲火の効力
発射管による防禦
繁留及放流機雷による防禦
新掃海船
欠陥の排除
攻撃の成否の運
諸種の意見
独逸側の意見
選択の困難
リマン・フオン・ザンデルス将軍の報告-土耳其第五軍の編成
四月中の活躍
奇襲と強襲・砲弾の欠乏
甚しき弾薬の欠乏
キツチナー卿の苫境
キツチナー卿選択を誤る
第十四章 独逸潜水艦戦最初の失敗
叙事の前後
大型潜水艦戦前の勢力
未知の要素
千九百十年のフイツシヤー提督の覚書-海軍当局の意見
兵器としての潜水艦の特質-潜水艦の大砲
英国潜水艦の能力
一五一五年二月四日の独逸の宣言-商船に対する独逸潜水艦の脅威
余の下院に対する説明
海軍省の努力
二月十一日の決定
英国海峡の交通の保護
トロール船隊の武装
大砲の調査
軽快艇隊
インデイケーター網-囮船
二月十八日独逸潜水艦の襲撃始まる-其失敗
独逸の損害
ドーヴア海峡の関門
四月と五月-失敗歴然
封鎖に就ての米国との紛争
問題頗る重大
サー・エドワード・ケレーの忍耐と調和
第15章 緊張益々加はる
形勢危急-フイツシヤー卿の態度
ジヨン・ジエリコー卿の健康-其後の問題-巡洋戦艦艦隊
フイツシヤー卿との往復書簡
フイツシヤー卿と各海軍卿
弾楽に関する憂惧
フイツシヤー卿との書信の往復
弾薬の危機
キツチナー卿及其幕僚-大困惑-海軍省と陸軍省との比較
第16章 海岸の戦闘(一九一五年四月二十五日)
ガリポリ半島の地形
主なる三個の作戦
攻撃及び防禦の問題
四月二十五日ガリポリ半島攻撃の開始
土耳其軍総司令部に於て
リマン・フオン・ザンデルスの重大なる不安
V海岸
W海岸X海岸
アンザツク軍の上陸
ムスタツフア・ケマル
悪戦苦闘
ヘレスに於ける四月二十六日
両軍の困憊
英軍予備隊の欠如
土軍の逆襲撃退さる-援軍欠乏-五月七、九日の戦闘
前進の中止-塹壕戦に移る
第17章 上陸後の形勢
中外に対する上陸作戦の影響
伊太利将に参戦せんとす
英仏伊海軍協約
在仏聯合軍の攻撃再開-オーベル山脊の戦闘
死傷者収容所の惨状
ルシテーニアの撃沈
結果
クイン・エリザベスの会議-ド・ロベツク提督の決意
ド提督の五月十日附電報
ダ海峡の新要素
独逸潜水艦の幻影-余は再ひ機雷原の掃蕩を欲す
フイツシヤー卿の五月十一日附覚書
彼れとの文書の往復
決心の時機合致せず
クイン・エリザベスの撤退-キツチナー卿の激怒-卿とフイツシヤー卿との論争
協定実行
ド・ロベツク提督宛電報
第18章 内閣倒壊
五月十四日の最高軍事会議
キツチナー卿の非難
余の応答
会議の後
必要なる手段
余の覚書
フイツシヤー卿と語る
伊太利の危機-英吉利の軽巡洋艦派遣
フイツシヤー卿の意志
フイツシヤー卿の辞職
書信の応酬
海軍本部の新陣容
下院の問題-ロイド・ジヨージ氏の干渉
アスクイス氏の行動-大海艦隊の進出
大艦隊駆逐及潜水艦に対する命令
一日中の出来事
政治的危機迫る
輿論の反撥-アーサー・ウイルソンの書信
余と首相との関係
アスクイス氏と下院
第一次聯立内閣の成立-儀礼的訪問
サー・アーサー・ウイルソン飽迄拒む
内閣改造断行
電報及書信
イージヤン海に於ける独逸潜水艦の脅威
余のバルフオア氏宛の書簡
余は海軍本部を辞す-海軍の状態
第19章 新内閣の努力
新内閣
一般戦局-東部戦場-西部戦場
北海及本国の防備
侵襲問題
ダーダネルズ
キツチナー卿の声明
裁定機を失す-二様の議論
作戦遅延の崇り
余の六月十一日附覚書
電報往復-兵糧攻が強襲か
バルフオア氏の尽力
一般戦局に就ての追加覚書-主要事実
露軍の情況-仏軍損害甚だし
聯合国協調を欠く
第20章憂ふべき形勢
ヒンデンブルグ、ルーデンドルフ両将軍の戦略
墺国提示の作戦計画-ゴルリス、タルナウ間突破計画-露国の大退却
ガリポリ半島の戦況
六月四日の戦闘
六月二十八日の戦闘
英軍予備隊の欠如
砲弾の欠乏
フオン・ウゼードム提督の上申
独潜水艦攻撃に処する対策の成功
マルモラ海に於ける英国潜水艦の活動
勲功に伴ふ冒険
ナスミス、ボイル両中佐の偉勲
成功と失敗-土耳其軍海上連絡の杜絶
七月中発せる余の覚書
情況判断
巴爾幹に於ける危険の増大
独逸の見地
独逸の真の目的
サー・イアン・ハミルトン将軍に宛てたる余の書翰
実情
第21章 スヴラ湾の戦闘
三段の計画
両軍の兵力
ヘレス戦線の攻撃-ローン・パイン高地の戦闘
アンザツクより行はれし大攻撃
スヴラ湾上陸
スヴラに於ける最初の一昼夜
戦闘開始の報告土軍司令部に於けるリマン・フオン・サンデルス将軍に達す
土軍二個師団のブレール進発
ザンデルズ将軍の憂慮
アンザツク軍の攻撃前進再開
頂界線占領作戦
悲惨なる同志打
ストツプフオード将軍のスブラ湾に於ける行動
スヴラ湾に於ける第二日の一昼夜
アスピノール大佐の叙述
総司令官のスヴラ湾到著
総司令官の決定と其結果
スヴラ湾に於ける九日及十日の攻撃
ムスタフア・ケマル将軍のアンザツクに対する逆襲
十五日及二十一日の戦闘
失敗の真因
第22章 巴爾幹半島の形勢
巴爾幹諸国の嫉視反目
巴爾幹諸国及三大協商国共通の利益
巴爾幹諸国の対土、墺聯盟の報酬
大協商国政策の不定
全巴爾幹の悲運
露軍の敗退
勃牙利のダーダネルズに於ける戦況の観望
塞爾比の頑迷
煩瑣、緩慢なる聯合国の外交
スヴラ湾戦闘の結果
新重大事件
キツチナー卿仏国より帰還す
仏国に於ける攻勢作戦開始の決定
余の抗議と警告
ダーダネルズ軍の悲しむべき情態
異常なる事件
サレール将軍の計画
ジヨツフル将軍の約束
九月二十一日の余の覚書
投射砲
勃牙利漸く動く
ルー及シヤンパニユーの戦闘
西部戦線に於ける攻撃の結果
勃牙利の動員
マツケンゼン将軍のテメスヴアール到著
聯合国の対希提議
塞、希同盟条約
聯合国軍隊サロニカ派遣計画
希臘国王のヴエニゼロス氏罷免
陸海参謀部当局の意見
閣議に於ける妥協
仏国政府の決定
サロニカ出兵とジヨツフル将軍の恫喝
英国政府最後の提議
塞爾比の敗滅
第23章 ダーダネルズ攻略作戦の抛棄
前章に叙述せる事件の結果、悲観論
危険の切迫と其限度
反省、ダーダネルズ撤退の予想
濠洲及新西蘭に対する責務
露西亜に対する責務
土軍指揮官の不屈の意志
毒瓦斯問題
ガリポリ撤退問題の進展
ハミルトン将軍の召還
モンロー将軍の報告
モンロー将軍の報告に対するキツチナー卿の奮起
ウゼードム提督の十月三十日附上奏文
キース代将の倫敦帰還
キース代将の計画概要
新戦時委員会
戦時委員会の最初の躊躇
キツチナー卿の使命
余の辞職
混乱と困惑の時代
戦局概観
第24章 一九一五年の帰結
回想
ガリポリ作戦の末期-ウイームズ提督の努力
土軍の窮状
愈々撤退に決す
ウイームズ提督の十二月八日附電報
撤退の結果
撤退より生ぜし帰結
土耳其の蘇生-聯合国兵力の散逸
羅馬尼
戦略思想の二流派
海軍の無為の期間
覚醒
守勢観念
根競への戦争
運命の連鎖