世界乃危機 第1巻
第1章 大戦の由来
不断の努力
惨酷なる戦争
ヴィクトリア時代
国民的誇
国民の責任
ビスマークの予防策
ビスマルクの時代及政策
一八九二年露仏同盟成立
英独関係と感情の疎隔
独逸と南阿戦争
海軍競争の発端
日英同盟日露戦争
一九〇四年の英仏協約
三国協商と土耳古墺地利の襄頽
大戦ノ遠因
第2章 大戦への道程
限局されたる舞台
静謐なるヴイクトリア時代と政争との連続
セールスベリ卿の陰退
保守党内閣の没落
一九〇六年の総選挙
アルヂエシラス会議
英仏軍事協定
アスキス内閣
露西亜に対する独逸の威嚇
一九〇九年の造艦計画
独逸の財政状態
平和か戦争か
第3章 アガデイールの危機
パンターのアガデイール派遣
グレー氏の警告
沈黙の時期
閣内に於ける形勢
倫敦市長官邸に於ける蔵相の演説
独逸の抗議
艦隊の警戒
防備薄弱なる地点
サー・ヘンリー・ウイルソン将軍
独逸大使と余との会談
メツテルニツヒ伯
一九一一年八月二十三日帝国国防委員会臨時会議
ウヰルソン大将の先見
英国海軍当局の意見
陸海軍当局間の意見の不一致
余の覚書
動員後の第二十日及第四十日
仏国派遣軍増大計画
依然タル憂惧の情
グレー氏に宛てたる余の書簡
危機の終局
アガデイール問題終末の独逸に及ぼせる結果
首相の余に対する海相就任慫慂
申命記第九章
第4章 英海軍の諸将
一九一一年十月二十五日
当時の海軍省所管事務
当面の措置
フイツシアー元帥と英国海軍の革新
英国海軍の内訌
フイツシアー元帥の困難なる事業
ベーコン大佐の書簡
ライゲートプライオリーに於けるフイツシアー元帥(フィッシャー元帥)との会談
フイツシアー元帥起用の中止
フイツシアー元帥の書簡
サー・アーサー・ウイルソン氏
サー・アーサー・ウイルソン氏の人格
海軍参謀部創設に関する停頓
海軍本部新幹部の編成
本国艦隊司令長官
ウヰルソン提督に関する挿話
パケナム大佐
ビーテイー少将
ルイス・オブ・バツテンベルング公
海軍参謀部の設置
陸軍軍事教育と参謀将校の養成
大戦には剰す所三十箇月
第5章 独逸海軍法
アガデイール危機の後
サー・アーネスト・カツセル氏の使命
独逸の新海軍法
陸相ハルデーン氏の伯林訪問
独逸皇帝の妄誕
独逸議会の開会
グラスゴーに於ける余の演説
ルクス・スフロツテ
ハルデーン氏の英都帰還
英独間諸問題解決の企画
フイツシヤー元帥(フィッシャー元帥)との往復書簡
フイツシヤー元帥(フィッシャー元帥)の先見
海軍予算
海軍休日
英独間に好感を樹立せんとする余の努力
独逸海軍発展の影響
フオン・テイルピツツの錯覚
英仏海軍軍事協定
協商国間結果の増大
テイルピツツ提督の頑迷
海軍の編成
英海軍の新編成
一九一二年の大観艦式
自由の防楯
第6章 設計ローマンス
一五吋砲の採用
余の決心と其結果に対する懸念
戦艦の設計
砲力と速力
快速部隊設置論
第五砲塔の廃棄
液体燃料
重油問題
海軍経費増加に伴ふ困難
王立石油供給調査委員会の設置
英波石油会社協定の締結
快速部隊の出現
高速駆逐艦の設計
新式軽巡洋艦設計問題
フイツシアー元帥との往復書翰
軽装甲巡洋艦
「アレシユーザ」
第7章 北海方面の国防線
我が国防の第一線
作戦正面の大変化
敵港湾の直接封鎖と海外根拠地設置計画
新作戦計画
敵港湾の間接封鎖
一九一二年及一九一三年の演習、哨戒線、索敵哨戒艦隊
外国より受くる奇襲の危険
青天の霹靂
警戒可能の限度
独逸の国際道徳遵奉の限度
独逸軍の英国侵入問題と英国の仏国派遣軍
外寇防禦委員会
海軍大臣の覚書
南方作戦方面と東方作戦方面の比較
独逸より蒙むるものは襲撃か侵寇か
直接封鎖の不可能
沿岸監視設備
曇天の霹靂
独逸の侵襲を期待すべき諸地点
推定と結論
平時に於ける封戦準備の困難
戦争の初期は最大危険を蔵す
一知友に宛てたる書翰
英独戦争に於ける独逸艦隊司令官の窮状
第8章 愛蘭問題と欧洲の均勢
重油準備
重油の供給高
英波石油協定
一九一四年度海軍予算と加奈陀の建造すべかりし弩級艦
海軍予算に関する論争
海軍本部の主張
新年劈頭に於ける加奈陀首相の声明
海軍予算の決定
欧洲形態の平静と英独の融和
英独海軍協定成立の為の再度の努力
英国内の政争と愛蘭に於ける紛争
愛蘭自治問題の重大化
激烈なる政争
キユラー事件
英国議会に於ける猛烈なる論戦
カーゾン氏に送りし余の書翰、バツキンガム宮殿の会議
英国艦隊のキール及クロンスタツト訪問
サラジエヴオに於けるチヤールス太公の暗殺。大戦直前の欧洲
予行動員計画の起原大観艦式の挙行
第9章 危機の切迫
一九一四年七月二十四日
フアーマナー及タイロン境界問題
塞爾比に対する墺地利の最後通牒
記憶すべき十七要項
我主力艦隊の集合と解隊
バリン氏の使命
七月二十六日に於ける形勢
艦隊集合持続。海軍本部の公表文
閣内の意見の概略
外相グレー氏の政策
グレー氏の根本方針
白耳義と仏蘭西
サー・エドワード・グレー氏は別箇の政策に依つて大戦勃発を防止し得たるか
仏蘭西の隠忍特重
七月二十八日(火曜日)に於ける海軍対戦準備
「警戒期間」条例の実施
英国に於て建造中の土耳古戦艦
独逸海軍省に達せし我海軍対戦準備に関する情報
我諸軍港に於ける独探の活動
断然たる措置-七月三十日我艦隊のドーヴアー海峡通過
今や我艦隊は戦時配備に就けり
第10章 海軍の動員(七月三十日-八月四日)
閣内に於ける緊張
統一党領袖等との交渉
海軍予備員召集の要請
独逸の対露宣戦
英国は独艦の英国海峡進入を許さず
海軍の一般動員
ヂエリコー提督の内国艦隊司令長官任命
独国のルクセンブルグ及白耳義侵入
八月三日(月曜日)下院に於ける外相の演説
英国の対独最後通牒
英国民と英帝国
地中海に於ける形勢とゲーベンの脅威
サー・バークレー・ミルン提督に発したる海軍省の命令
八月四日英国巡洋艦に依るケーベンの所在発見
閣議のゲーベン攻撃反対
伊太利の中国宣言
ゲーベン最初の遁走
戦闘開始の命令発送前の余の感想
戦闘命令の発送
第11章 開戦-陸軍の渡仏
開戦初頭の英国の作戦行動
八月五日の臨時軍事会議
仏国派遣軍は四個師団か六個師団か
一部閣員の更迭
キツチナー元帥の陸相就任
英国陸軍の組織
キツチナー元帥の事業
海兵師団
独、墺両国大使の出発
戦時に於ける海軍省首脳会議
海軍大臣の責任
海軍軍務執行の方法
独逸海軍省の軍務統轄方法
英、独主力艦隊勢力の比較
英、独両艦隊決戦の予想
英国制海権の確立
八月五日ゲーベンのメツシナ入港
ミルン提督の敵情判断と其麾下諸艦の配備
インドミタブルに対する命令
メツシナ海峡南方出口の無監視
英、仏両艦隊の連絡の欠如
ゲーベン及プレスラウのメツシナ出発
トルーブリツヂ提督の行動
ケーベン再度の遁走
ゲーベン撃破の失敗に対する弁疏と海軍省の主張
凶悪なる運命の支配
ゲーベン追跡の中止
仏国派遣軍の輸送
ヂエリコー提督に与へたる訓令
海軍の陸軍輸送掩護策動
英軍の安全なる仏国渡航
死の如き沈静
第12章 仏国に於ける戦闘
開戦劈頭に於ける独逸の作戦選択の自由
独逸の危険なる術策
仏国陸軍の攻勢主唱派
仏国戦略の側面観
作戦計画第十七号
第十七号作戦計画の失敗
第六師団の派遣
モン戦の翌朝
英国海峡沿岸の仏国諸港に対する危惧の情
ロイド・ジョージ氏の勇気と確信
英軍根拠地のアーヴルよりサン・ナゼール移動
米英義勇師団編成提議
英仏軍の退却
戦況の公表
マルヌ戦以前の情況
独逸の東境に対する露軍の圧迫
キツチナー元帥の巴里訪問
フレンチ将軍との往復書翰
エーヌ戦線に於ける一日
英軍の海岸側面への移動計画
キツチナー元帥の賢明なる制抑
第13章 英国海軍の遠洋作戦
独逸植民地遠征隊
我海軍勢力の極度の緊張
遠海に於ける一般形勢
海軍主力の内国近海集中の犠牲
印度洋上のケニヒスベルヒとエムデン
軍隊輸送係統
太平洋上の一般形勢
諸艦隊の配備
日本の対独宣戦
彼我勢力の比較
フォン・スペー提督艦隊と其限局されたる行動
独逸東洋艦隊に対する英国海軍省に方策
サモア占領
濠洲及新西蘭軍輸送大船隊
エムデンの跳梁
エムデンに対する集中
一般公衆の不満
海軍省発表
濠洲軍輸送船隊コロンボに向け出発す
加奈陀の大西洋横断輸送
英帝国各地よりする最初の軍隊集中の完了
第14章 英国海軍の近海作戦
八月二十八日の戦闘
ヘリゴランド湾内の戦闘
独逸軽巡洋艦戦隊の運命
独逸海軍の活動抑止
オステンドに於ける示威運動
英国海軍航空部
ツェツペリンの脅威と大黄峰の譬
開戦直後に於ける航空上の形勢
真の防禦は功撃に在り
ダンキルク別動隊創設の端緒
サムソン飛行機隊
装甲自動車
タンク車発明の動機
グンキルク及カレーの防備
市街自動車旅団
困惑すべき責任
アプーキア、ホーグ及クレツシーの遭難
第15章アントワープの防御
マルヌの戦闘
彼我競ふて其戦線を海岸に向って延長す
連合軍西部戦線の真正なる左側翼アントワープ
アントワープに対する海軍当局の憂慮
スケルト河口の中立問題
アントワープ攻囲の開始
キツチナー郷の計画
十月二日深更のキツチナー郷邸の会議
白耳義政府のアントワープ撤退決定
英国諸大臣のアントワープ死守の勧告
余のアントワープ訪問
仏国の提供を約せるアントワープ救援軍
十月三日のアントワープの形勢
英、白両政府の意見の交換
独逸軍功撃の進展
奇妙なる対照
英、白両政府の協定承諾
成功の機会
救援近づく
十月五日の戦闘
十月六日--戦線突破さる
ローリンソン将軍の来著
十月六日夜の白耳義皇帝親裁軍事会議の結果
アントワープ問題と余一身上の事情
アントワープの固守継続に依る五日の利益
第16章 英国海峡沿岸の仏国諸港
アントワープに於ける力戦の目的
白耳義軍の危地脱出
アントワープ防禦作戦の得失批判
貴重なる十日の時日
独援軍の殺到
海軍省の努力
海軍運輸当局の偉業
サー・ジヨン・フレンチ将軍との往復書翰
ジヨツフル将軍の海軍の援助要求
白耳義沿岸に於けるフツド少将の作戦
テイリツト司令官の独水雷艇隊撃破
独軍の海岸到達
イーゼル戦の開始
陸岸近接海面策動艦隊
独軍の旋回し能はざる側翼
フレンチ将軍との其後の往復書翰
イーゼル戦の危機
アントワープの防禦及同市救援作戦の大戦に及ぼせる影響
第17章 英国聯合艦隊と独潜水艦襲撃の危惧
聯合艦隊と独潜水艦来襲の風声鶴唳
大艦隊東海岸諸港碇泊の危険
敵潜水艦襲撃に対する防備
失当なる批難
ヂエリコー提督と余との往復書翰
ヂエリコー提督よりの来電
十月十七日のピーテイー提督の書翰
海軍省当局の努力
十一月二日の決定
オーデーシヤスの喪失
新聞報道禁止
一九一四年十月、十一月に於ける海軍当局の苦境
公衆並に政治上の不安
海軍は無能なりと謬れる批難
ルイス・オブ・バツテンバーグ公の辞任
フイツシヤー元帥の海軍省復帰
フイツシヤーとウイルソン
オリヴアー少将の参謀部長任命
新海軍省軍事会議
不休の時計
左右舷灯
第18章 コロネル及オークランド群島附近の海戦
独東洋艦隊の失踪
独艦隊南米航進の最初の脅威
独逸東洋艦隊のサモア島沖出現
独艦隊再度の失踪
独艦隊南米航進の新脅威
クラドツク少将に対する艦隊集中命令
彼我勢力の比較
戦艦カノパスの威力
フオン・スペー艦隊に対する最初の協同作戦計画
懸念すべきクラドツク提督の電報
カノパスを伴はざるクラドツク艦隊の北上
敵艦隊南米沿岸到著の確報
新形勢に対して海軍省の執れる措置
コロネル沖海戦の報道
両艦隊の遭遇
英艦隊の独艦隊攻撃
グツド・ホープ及モンマスの轟沈
グラスゴーの危地脱出
海軍省に対する非難と其反駁
クラドツク提督の行動に関する説明
フオン・スペー艦隊の行動の自由
独艦隊に対する第二協同作戦計画
巡洋戦艦インヴインシブル並にインフレキシブルの南米派遣
フオン・スペー艦隊に対する第二次協同作戦計画
日本海軍省との打合
独逸艦隊に対する第二次協同作戦計画の実施
我海軍力の極度の窮迫
ケーニヒスベルヒの封鎖とエムデンの撃沈に依る印度洋上航行の安全
巡洋戦艦出発の督促
英、独両艦隊の交戦
独艦隊の敗滅。独巡洋艦戦の終焉。我海軍力大緊張の終止
第19章 フイツシヤー卿第一海軍軍事委員就任後の二箇月
独弩級艦のヤーマス沖出現
独艦隊ヤーマス砲撃の真意に関する疑惑
徒爾の緊張
大艦隊主力艦の一部流用
主力艦の定期修理、ヂエリコー提督の抗議
海軍省ヂエリコー提督間の意見の交換
我弩級艦の優越余力
第三戦隊のロサイス配備
海軍省の自説固持
困難なる駆遂隊配備問題
煩瑣なる議論、英独両主力艦隊比較勢力に関する事実
我海軍の決戦準備、我海軍飛行機のクツクスハーフエン襲撃、大艦隊の南航
敵軍来寇の杞憂
敵軍来寇と月の満盈及海潮との関係
白耳義海岸沖合に於ける海軍作戦継続
フオークランド海戦に因る我海軍力上の緊張緩和
フイツシアー卿の意見、卿と余との往復書翰
フイツシアー卿とスターデイ提督
オリヴアー提督の先見
我海軍力の増大
新艦建造
独海軍潜水艦勢力激増の情報と英海軍省の潜水艦増加の努力
フイツシアー卿の奮激
新造モニター
大建艦計画、巡洋戦艦リパルス及リナウン
海軍省部内の大緊張、大活動
第20章 スカバロー及ハートルプールの砲撃
我海軍諜報機関
独逸暗号書の獲得
方向測定用無線電信局、サー・アーサー・ウイルソン提督の任務
十二月十四日の決定
諸艦隊宛命令
十二月六日のスカバロー及ハートウプール砲撃
英艦隊の有利なる位置
視界の漸減。濃霧中の模索
独大海艦隊の出動
失望、最後の一策
海上の実況
十二月六日払暁に於ける情況
重大なる時期
独大海艦隊の退却
我艦隊の西方索敵航進
敵軽巡洋戦艦隊の我艦隊突破、作戦の齟齬
大海艦隊の北航、独巡洋戦艦の遁走
海軍省公表
一般公衆の不満
第21章 土耳其と巴爾幹半島
英土関係
余とドウヂアヴキツドとの往復書翰
土国戦艦押収の影響
ゲーベン及ブレスラウの土耳古に対する名義上の引渡
巴爾幹の一般形勢、同半島に於ける覇制的勢力勃牙利
ヴエニゼロスの英希同盟提議
希臘の提議拒絶の理由
ノーエル・バツクストン氏に宛てたる余の書翰
土耳古の脅威的態度
希臘陸軍に依るガリポリ半島攻撃の可能、希臘の参戦に伴ふる困難
ガリポリ攻撃軍を得んとする努力
英国海軍土国派遣団の君府撤退
九月二十三日グレー氏に宛てたる余の書翰
八月二日締結の独土同盟密約
独土聯合艦隊の露国攻撃
英国の対土最後通牒
対土宣職布告
十一月三日のダーダネルズ砲台の砲撃
土軍埃及攻撃の切迫
我艦隊の蘇士運河集中、埃及攻撃土軍の撃退
濠洲軍の埃及到着
ダーダネルズ攻撃の前提
海軍作戦の一般的考察
我海軍力の大緊張と其急激なる緩和
大戦初期海軍作戦の終局
付図あり