海軍軍令部
第1部 開戦決定
対米英戦を辞せず
松岡外相の北進論と南部仏印進駐-アメリカ、石油を止める
石油問題と御前会議
軍令部の苦悶-“米豪分断作戦”の着想
軍令部とは何か?
真珠湾攻撃をめぐって-軍令部対連合艦隊の対立
東条内閣成立-真珠湾攻撃決定
第2部 軍令部の歴史
海軍軍令部の創設-明治海軍の苦悶
大本営の歴史と軍令部
猛将・樺山資紀(二代目軍令部長)
伊東祐亨、軍令部長となる
西南戦争と日進艦長
高速巡洋艦・浪速の回航
日清戦争・黄海海戦の大捷
軍令部長・伊東祐亨
日露戦争
日本海海戦
東郷平八郎軍令部長
才人、軍令部長・伊集院五郎
土佐紀行
ワシントン軍縮会議
ロンドン軍縮会議-統帥権干犯問題
兵力量決定権、軍令部の手に移る
対米英戦争準備と巨艦建造
三国同盟と海軍
第3部 開戦-緒戦の勝利
対米英蘭開戦へ-真珠湾攻撃の採用
ハル・ノートとアメリカの戦争準備
開戦に決す
「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)
開戦通告の遅延問題とハルの態度
真珠湾攻撃の反省と第二撃の検討
私見・第二撃の結果はミッドウェーで出ている?
マレー沖の凱歌
山本長官の航空主兵説と空母の建造
フィリピンの航空撃滅戦
苦戦する井上艦隊
レキシントン撃沈(?)と東京空襲
第4部 米軍の反攻
第二段作戦とミッドウェー論争
珊瑚海・初の空母決戦
霧のミッドウェー
ミッドウェーからガダルカナルへ
第一次ソロモン海戦の大戦果
一木支隊の全滅
第二次ソロモン海戦
陸海軍の相剋
辻政信参謀の登場
第5部 守勢への転換
ガ島総攻撃と南太平洋海戦
第三次ソロモン海戦-戦艦喪失に国民緊張する
ガダルカナル撤退の決定-軍令部、参謀本部の苦悶
第三段作戦発令-後退の季節始まる
い号作戦と山本長官の戦死
山本長官戦死の謎-前線行の理由と宇垣参謀長
仮説・山本長官前線行の理由-ハンモックナンバーの秘密
米軍の暗号解読と長官の死
敵、アッツ、ニュージョージアにきたる-南東方面作戦方針の転換
ブーゲンビル島沖海戦とトラック大空襲
両総長の辞任-大臣の総長兼務
「壮挙!雄作戦」の挫折と連合艦隊司令部の遭難
マリアナ沖海戦-あ号作戦
サイパン奪回作戦始末
東条内閣退陣と小磯内閣成立
第6部 連合艦隊の終焉
痛恨!レイテ沖海戦-フィリピンの決戦成らず
レイテ紀行-マッカーサー上陸の場所を行く
愛宕、武蔵沈む
「天佑を確信し全軍突撃せよ」
戦艦対空母-サマール島沖海戦
“謎の反転”をめぐって
戦艦・大和の最期
航空作戦と天一号作戦発動
大和部隊沖縄に突入-連合艦隊の最期
第7部 終戦と軍令部
本土決戦-決号作戦
終戦への道程
ポツダム宣言受諾
豊田軍令部総長の回想
軍令部参謀の回想
終章軍令部の反省
軍令部と太平洋戦争-軍令部参謀座談会