デーニッツ提督回顧録 第1巻~第2巻
- サブタイトル
- 編著者名
- デーニッツ カール [著]
- 出版者
- 海上自衛隊幹部学校
- 出版年月
- 大きさ(縦×横)cm
- 25×
- ページ
- 1冊
- ISBN
- NDC(分類)
- 234
- 請求記号
- 234/D85/1/2
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 合本
- 昭和館デジタルアーカイブ
デーニッツ提督回顧録第1巻
第1章 序言
第1次世界大戦における潜水艦
船団護衛が始まり潜水艦1隻による攻撃が困難となる
英国の捕虜
潜水艦に対する予の関心とドイツ海軍にとどまる決意
両大戦の間の水上艦艇乗組員としての訓練
新潜水艦隊司令長官に任命さる
第2章 新しい任務
1935年英独海軍協定
1936年ロンドン潜水艦条約
潜水艦探知機
Weddigen潜水艦隊の増強
優秀な攻撃兵器として潜水艦の効果を主張する必要
問題と訓練
第3章 Wolf―Pack戦術
潜水艦が統一行動をする必要
潜水艦Wolf―Pack戦術の発達
作戦と通信を統制する問題
1937年バルト海におけるドイツ国防演習
大西洋の演習
1937年発行の予の著書に問題と戦術を記載
けれども英国はわが潜水艦部隊を過小評価
第4章 潜水艦建造方針
1935年~1939年
英独海軍協定の急迫
どの型の潜水艦を作るか
大型潜水艦が実際に有利ではない
中庸の中型
V2型を作るように勧告
海軍最高司令部と衝突
強まる戦争の危機に応じるための予の勧告
英国の準備、船団方式使用
予のWolf―Pack訓練の適切であつたことが立証された
第5章 1939年の重大な時期
1938年の計画作成委員会
英国商船隊が主要な戦略目標
新艦隊のためのZ計画
水上艦船重視に不同意
潜水艦を増加することを要求
海軍の劣勢と再軍備の要件
開戦
潜水艦建造数の増加が決定
第6章 潜水艦戦始まる
1939年~1940年3月
侵略戦争とは何か
Nuremberg、1936年のロンドン潜水艦協定と捕獲条例の規則
敵対行為始まる
単独航行の船舶攻撃
商船、客船、中立船、フランス商船に対する潜水艦の攻撃制限
海軍最高司令部制度撤廃
護送船団に対する攻撃
Gibraltarの船舶
潜水艦の統制
潜水艦による機雷敷設
Scapa Flow基地
潜水艦の作戦価値
第7章 ノールウエー作戦と魚雷の危機
1940年4月
英軍の上陸を防ぐために潜水艦を分散配備
われわれの失敗
魚雷の誤発
北方水域の磁気起爆
魚雷に対する信頼なくなる、予士気の維持に努む
調査裁判と軍法会議
両大戦の間の魚雷実験部隊による実験が十分でない
1942年に出された解決案
魚雷が真に有効な武器となる
第8章 大西洋の戦斗
1940年7月~10月
英国船団の保護が不適当
船団に対する最初の共同攻撃
潜水艦多数の商船を撃沈
北仏の征服
Biscay湾の諸港の利点
敵船舶の撃破がわが最も重要な攻撃手段となる
第9章 潜水艦部隊の編成と潜水艦の建造
大西洋の潜水艦戦
本国における潜水艦の建造
作戦班と訓練部隊とをFriedeburgの下に統合
予の潜水艦に対する信頼およびさらに多くの隻数を必要としたこと
新建造計画
Goeringの反対
ヒツトラーが協力しない
第10章 大西洋の戦斗
1940年11月~1941年12月
欠陥の年と兵力の浪費
フランスにおける作戦計画
北大西洋の最も有望な水域
海軍航空部隊の必要
Goeringからの反対
予抗議す
ヒツトラー、一部の航空機を予の指揮下に入れる
統合演習の重要性
船団の位置を出す問題
Parona提督とイタリー海軍の協力
船団攻撃におけるイタリー海軍の成果に失望
潜水艦の浪費
15隻の潜水艦を北アフリカ戦域に移す
大西洋で水上艦船の果した役割
潜水艦のドツクにおける修理
Bismarck沈没
大西洋船団攻撃
南大西洋における失敗
第11章1941年12月11日以前のわが国に対する米国の戦争
1937年の中立行為
チヤーチル、ルーズベルトに対して中立を放棄するように説得
ロンドンの海軍会議
米国が大西洋船舶の保護を行なう
米国安全地帯の延長
ヒツトラー事故を避けるように命じる
最初の事故Greer
潜水艦活動の制限
日本参戦
ドイツ米国に対して宣戦布告
第12章 米国水域における作戦
1942年1月~7月
米国沿岸に対する潜水艦戦
有利な平時の条件
使用できる潜水艦の数
多数の船舶撃沈
燃料を節約する試み
ヒツトラーの直覚
一部の潜水艦をノールウエーに分派
予抗議す
大西洋の戦斗に対する偽まん効果
カリブ海とFreetown沖の船舶
米国水域における作戦強化
有利な期間
英国船舶に対する大西洋の戦果減少
英軍短波によるレーダー使用奏効
“乳牛”と呼ばれた潜水油槽艦
米国護送船団方式採用
第13章 護送船団攻撃戦と遠距離作戦
1942年7月~9月
潜水艦の主任務、敵船舶の攻撃
まだ潜水艦の不足
整備の改善が必要
英国探知装置の優秀とビスケイ湾における英国航空哨戒の強化
ドイツ軍の防御手段
大西洋船団がまだ主要目標である
大圏航路上の成功
補助作戦水域
ブラジルとFreetown
米国水域とカリブ海とにおける成功下火になる
ブラジル宣戦布告
第14章 LACONIA号事件
1942年8月、英国定期船Laconia号南大西洋で撃沈される
イタリーの捕虜が乗船していた
予は生存者の救助を命令した
米国の爆撃機計画
潜水艦の危険
水上機の攻撃
敵は救助を援助しようと試みない
空から攻撃される危険
すべての救助作業中止の命令
第15章 潜水艦の装備と武装の改善
水中高速力を出す潜水艦の必要
Walter潜水艦の利点
レーダーに対抗する装置の必要
水上探知装置を無効にする必要
さらに有効な対空兵器が必要とされる
飛行機のわな
空からの脅威増大
長い航続距離をもつHe177の必要
不適当な魚雷
第16章 遠い水域における船団攻撃およびその作戦
連合国の北アフリカ上陸は全く奇襲であつた
ドイツ秘密情報部隊の失敗
潜水艦で敵の補給船を発見できることの重要性
水深の浅いこと
Gibraltar沖作戦困難となる
潜水艦を大西洋から移すことに反対
潜水油槽船の有効性
北大西洋作戦再興
11月における大きな成功
潜水艦同志の最初の衝突
Trinidad 水域の船団
ケープタウン沖の撃沈
わが損害
第17章海軍総司令官
Raeder辞職
予総司令官となる
国家社会主義に対する予の態度
ナチの良い面
ユダヤ人迫害を承認しない
英国の精神力に対するヒツトラーの誤判断
なぜ予はドイツのために戦うことを決定したか
政治と義務とを混同してはならない
ヒツトラーとの最初の個人的接触
予はかれの信頼を得、また海軍の支持を得る
Goeringとの衝突
第18章 潜水艦戦の崩壊
1943年1月~5月まで
Horton提督の任命
予は引き続き潜水艦戦を指揮した
護送船団の戦斗
両軍の損失
わが軍は航空偵察を欠いていた
さらに船団との戦斗
3月19日わが成功の最高潮
敵の船舶に対する強力な護衛、支援群
レーダーの重要性
潜水艦の不足
悪天候
成功が下火になり、潜水艦の損失が増加した
第19章 海軍総司令官としての予の任務
1943年~45年まで
海軍再軍備の問題
わが防御の役割
海軍の鉄鉱および労働力の要求
1943年の艦隊建造計画
Walter潜水艦とXXI型
大量生産
地中海戦域の潜水艦
イタリー海軍に対する援助
イタリー軍隊崩壊の兆候
シシリー島から本土へのドイツ部隊の輸送
海軍および軽快部隊の先任指揮官
主力艦の問題
SchurnhorstとTirpitzの沈没
黒海の作戦水域
ノルマンデイ侵攻
海軍の勧告能力
敵の航空優勢
バルチツク戦域
第20章 1944年7月20日の事件
予謀反を知る
わが前線の士気が沈滞する傾向
軍人として予は同意しなかつたが道徳的な動機からは許すことができる
反逆罪
第21章 1943年5月から終戦までの潜水艦戦
潜水艦戦継続の必要
新兵器、対空兵装、音響魚雷、潜水艦用燃料庫
海上における空襲の危険
飛行機のわな
潜水艦の損失
Schnorchel
潜水艦とノルマンデイ侵攻
敵水域における攻勢
新型潜水艦
第22章 政府首班
予が無条件降伏に反対した理由
連合国のドイツ分割案
潜水艦戦終末に近づく
海軍部隊をバルト海に移す
赤軍の脅威
予はヒツトラーの後継者である
予の政策
Himmler と対決
ヒツトラーの死
予Schwerin-Krosigk を政治顧問に任命
国防軍の状態
避難民を西独に撤退させ、東部戦線を保持する試み
個別的な降伏
FriedeburgがMontgomeryと交渉
艦船の引き渡し
アイゼンハワー個別降伏を拒絶
Jodlがアイゼンハワーと交渉
降伏
捕虜収容所の暴虐を予は知らなかつた
逮捕されるまでの予の内閣
第23章 結論
ドイツ海軍の任務遂行
歴史におけるヒツトラーの役割
かれの暗示的な影響
英国人の原則の致命的な欠点
民主主義と愛国主義
付録あり
デーニッツ提督回顧録第2巻
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