移民百年の年輪
序(ホノル駐在日本国総領事 山本良雄)
自序(川添樫風)
明治元年者時代 自一八六八年(明治元年)至一八八四年(明治十七年)の十七年間
サイオト号は英国船ではなく米国船
白昼堂々と出帆したサイオト号
サイオト号の出帆は午後二時
「石村市五郎立身談」と安藤総領事の序文
前髪を斬ってカラ行きに合格す
セーラース・ホーム跡に正金銀行建つ
ソールト・レーキで塩場を経営す
本名よりもシコ名で通った元年者達
卒業生一千名を出したコック学校
明治四年に馬車屋開業の森田万次郎
生まれて初めて親孝行をした栗原惣吉
二十八年振りに見る横浜の発展ぶり
元年者と独逸人水夫との乱闘騒ぎ
日系最初の弁護士は元年者の次男坊
元年者の娘と日露役の米債募集
月給五十弗だった「洋太郎巡査」
遣米使節団の給人福村宗明の甥豊吉
酩酊の王様を背負った福村豊吉
後藤安雄博士の石井翁訪問記
帯刀を川に投げ捨てた後に乗船
土人妻カレンに日本名「竹」を与う
元年者の孫が布哇郡参事長
元年者桑田松五郎の娘オキミサン
トコ姓を名乗る佐々木徳次郎の子孫
元年者与吉が縊死したウルパラクアの遺跡
ウルパラクア事件の勝爺さん
元年者佐久間翁墓碑
気骨と度量を備えた総代牧野富三郎
ワイルダー耕地の元年者の示威運動
慶応移民と呼ばず「明治元年者移民」
日本移民十大ニュース中の筆頭
渡米した元年者達の消息不明
寺島陶蔵とヴァン・リードの友好関係
横浜税関長だった上野景範と中山譲治
米国捕鯨船で来布したジョー松さん
海外日本人百二十一万人の先駆者
官約時代 自一八八五年(明治十八年)至一八九三年(明治二十六年)の九年間
東京の布哇公使館跡
日布渡航条約に調印したアーウィン公使
移民募集の為め三井社員各県出張
名は官約移民でも契約内容は「奴隷制度」
布哇島宮城村の創立者大槻幸之助
青年時代布哇に留学した武智直道
山梨移民第二号真鍮細工師坂庄七
第一回移民中に二十二人の和歌山県人
労資嵌の悶着防止のため渡航条約締結
移民人選の疎漏を指摘した安藤総領事
総領事館敷地を勝った安藤太郎総領事
布哇憲法を改正し日本人の参政権を奪う
日本人の参政権快復に関心を持った大隈重信
土人の養女となった妹とその兄の涙の面会
自由民権運動の青年達が後年来布
白人から私刑された明治義人後藤濶之墓
布哇仏教布教の元祖・曜日蒼竜
権力、総領事を凌いだ中山局長夫人の墓碑
ワイキキ名物松並木
移民監督官兼医官山本晋の足跡
英国仕込みの四代目正木総領事
狂詩を能くした内田春涯ダクター
オーラア耕地開墾の風雲児岩崎次郎
団体の元祖・ホノルル日本人宿屋組合
土人から敬慕された浪速艦長東郷平八郎大佐
参政権回復運動の日本人同盟会
王党領袖と交遊した菅原伝
私約時代 自一八九四年(明治二十七年)至一八九九年(明治三十二年)の六年間
嬪夫が横行したホノルルの暗黒時代
腕に桜のいれずみ「仁川お安」
移民会社の発足から没落まで
布哇独立運動に失敗した南紀の出谷英一
逃亡移民の潜伏地ワイマナロ耕地
日清戦争直後に布哇最初の大寄せ相撲
川上音次郎がホノルルで演説会
日本人鰹漁の元祖矢部五郎吉
ホノムの聖人曾我部牧師の私塾
「同胞相扶けよ」の訓示を実行す
ホノルル見物もせず島流しの移民達
日本人から私刑された通弁人和田謙三郎
海軍大尉で寄港した元首相岡田啓介
神州丸事件と東京五社の新聞記者
移民拒絶に日本軍艦浪速来航
移民拒絶に対する賠償金の分配内訳
独逸人に比べて半人扱いの日本人
ヌアヌ・パリ要害に日清戦争
米布合併に布哇土人達の反感
布哇神道の発祥地布哇島ヒロ市
布哇にいた日露役の烈士横川省三
天長節で忠君愛国を力説す
日本人の権利保護のため内田康哉公使来布
庶の中の俳句結社と奴の奴
蕾の花で散ったカイウラニ内親王
つかて馬哇島ラハイナの「佐藤郵便局」
布哇で客死した横浜二代目市長佐藤喜左衛門
事由時代 自一九〇〇年(明治三十三年)至一九〇七年(明治四十年)の八年間
第一回沖縄移民・金城珍善翁の苦心談
湧川清栄氏著「沖縄移民の父・当山久三」
ホノルルをモデルにした東京の電車
人参を侮辱したアメリカ丸事件
ホレホレ節の起源と思われる呉節
富クジが原因のワイパフの大罷業
布哇糖業界を視察した山本悌二郎
日露役に示した七万人同胞の赤誠
東郷艦隊大勝利に日本人会より祝電
日露戦争直後の布哇の親日空気
日露役の直後創立のマキキ日本語学校
罷工で射殺された熊本出身の義人鬼塚
移民会社が設立した悪徳極まる京浜銀行
一泊三食つき五十仙の宿賃
東北凶作と布哇の福島移民
呼寄時代 自一九〇八年(明治四十一年)至一九二三年(大正十二年)の十六年間
馬洗時代を劃した早川治郎の足跡
布哇独特の生活日本語の数々
オアフ島日本人第一次ストライキ
勝沼氏住宅となった初代領事館建物
ホレホレに付随する引っ張メン
布哇から最初の母国日本観光団
領事官補として布哇在勤の来棲三郎
一介の呼寄少年から琉球政府主席に
牧師から新聞社長になった江口一民
東京大相撲太刀山一行の来布
日本人小学校の名称破棄を力説す
日本人の手でラナイ島買収運動
名詩双璧・日置黙仙禅師と布哇
日本に遠征した最初の日系チーム
風紀紊乱は男女の数不均等から
ホノルル日本人婦人会の発会式
日本人唯一の製糖場主紺野登米吉興業之碑
禁酒法実施第一夜のスケッチ
二世のため奨学金を提供した久原房之助
獄中で狂死した元代議士日向輝武
布哇の日本人と第一次世界大戦
第一次大戦で日本人の古鉄成金
後藤殺し反日を検挙した巽真哉居士
布哇山梨県人会の誕生
日本側で自発的に禁止した写真結婚
日本資本家によるキパフル耕地買収計画
米国大審院は日本人の帰化不能を判決す
写真帳が語る布哇日本人の関東大震災救援
禁止時代 自一九二四年(大正十三年)至る一九四〇年(昭和十五年)の十七年間
布哇で作った巌谷小波の俳句
英語開教使たるべく二青年の渡
二重国籍問題解決と答礼使節団の派遣
耕地支配人が殿様なら日本人労働者は土百姓
政界に進出した山城、岡両氏の勇気
山城正義氏が蒔いた政界進出の種
予選で即時当選の三宅昇郡参事
ラナイ島ケアモク開墾犠牲者六十余名慰霊碑
日本文化の象徴、マキキ協会の天守閣
火口底から情死体を回収した小西氏の大冒険
禁酒法廃止は農村不況打開策
移民五十年祭と田村総領事の風格
ワイパフ耕地開拓の先亡日本人慰霊碑
本派本願寺今村師胸像
充分開花しなかった布哇生れ唯一の作家、中島直人
アラエ墓地の「布哇日本人先亡慰霊塔」
外務書記生森村政、実は海軍予備少尉吉川猛夫
戦争時代 自一九四一年(昭和十六年)至る一九四五年(昭和二十年)の五年間
真珠湾奇襲当日のヌアヌ街日本総領事館
祖国で知らなかった一機、西開地兵曹機
一本のレイもなく日系兵千四百名の船出
日系第百大隊と四四二連帯の忠誠
逃げる事を知らぬ第百大隊
親日米人ボールス博士の事績
日本軍の兄と米軍の弟とが同じ戦場に戦う
不運なる星の下の布哇生れ森川君
息子の戦死にどっと泣き伏した母親
勝った組の背後に動いたユダヤ商人の魔手
阿波丸と運命を共にした浅海編集長
戦後時代 自一九四六年(昭和二十一年)至一九六八年(昭和四十三年)の二十三年間
財団法人友愛十字会と布哇の同胞
姿を消した中央学院の元校舎
広島からの移民記念塔
日本国総領事公邸の落成と餅撒き
日本人商工会議所の新会館落成
井伊大老菩提寺から由緒の五重塔と灯篭
春楊館育ての親、柔道五十年の木村館長
戦後二十年にして発表される真相の数々
ハリス記念美以教会
異色二世、京都同志社大学長大下角一博士
官約移民中唯一の生存者山田ムメ夫人
コロア日本人墓地の円頂納骨堂と万霊塔
二十二年振に復活したヒロ士の銀雨詩社
井上・上義を生んだ大一世達の功績
布哇日系連合協会の「ハワイ日本人移民史」発行
日本文化紹介の篤学者角田柳作翁の死
日系二つの星・井上建とパットシイ・ミンク(竹本)
移民哀話の砂島を虹ケ島と改称
喜びも悲しみも母国日本と共に
勲二等瑞宝章を贈られた築山長松氏
布哇に住む遣米使節団通詞の子孫達
創立五十年を迎えたヌアヌYMCA
布哇移民百年祭りに皇太子様の御関心
東京で活躍する布哇生れ新聞人
紙齢七十三年の布哇タイムスの綴込み
明治満百年に実施される米国の新移民法
百年祭りに寄せる日系人の熱情