図書タタカウ クレマンソー ナイカク000005666

戦ふクレマンソー内閣

サブタイトル1~10
編著者名
モルダック 著者/酒井 鎬次 訳者
出版者
大阪新聞社
出版年月
1944年(昭和19年)12月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
16,514p
ISBN
NDC(分類)
235
請求記号
235/Mo42
保管場所
閉架一般
内容注記
和書 史料調査会旧蔵資料
目次

第1章 千九百十七年十一月の情勢
談し合ひ
第2章 陸軍省の改革(十七年十一、十二月)
組閣
大臣官房
部、局
執務法
三日訓令
クレマンソー氏の一日
局長
陸軍省に次局の創設
石油問題
参謀本部
アルビー将軍
政務次官局
総司令部(仏軍及聯合軍)及大統領との関係
議会人との関係
新聞記者との関係
軍幹部の若返り
十七年十二月の陸達
正規進級
仮進級
勲章
第3章 軍官区、外地軍及植民地の改革(十七年十一月乃至十二月)
軍管区
県知事及郡長
巴里防衛司令部
モロッコ及リオーティー将軍
印度支那
アルジェリア及ニベール将軍
近東軍とサライユ及ギュイヨーマ将軍
在伊太利軍
クレマンソー氏と将軍連
不可欠要員の追ひ出し
新聞局
内地に於ける軍紀の振作
宣伝
波蘭師団の編成
チェコ独立軍の編成
仏国戦争会議及その再編成
第4章十七年十一月及十二月の重要な出来事
バーシング将軍の来訪
ウィルソン将軍の来訪
ハウス大佐の来訪
カンブレーの戦闘
植民地戦争
英陸相ミルナー卿の来訪
聯合国最高戦争会議
葡国の革命
パレスチン地方の作戦
露国の情勢
十二月廿七日の下院
日本の西伯利亜出兵
財政情勢
伊国に於ける戦略情勢
第5章 戦略的守勢(十八年一月)
戦略情勢
防勢施設
一月元旦の祝詞
ロイド・ジヨージ氏と平和条件
第一回聯合国財政委員会
ウィルソンの十四ケ条
統一指揮の問題
巴里の防空
カイヨー氏の捕縛
毒瓦斯防護
シャンパーニュ戦線視察
奈翁に対するク氏の意見
ローレン地方視察
戦線防御施設につき見解統一の必要
ロツク将軍の戦線防御施設総監任命
巴里の爆撃始まる
宣伝業務の活躍
第6章 戦略的守勢(続き)(十八年二月)
人員問題
若い将官
幹部の若返り
リォーティー将軍に対する批難
発明家群
聯合国最高戦争会議
聯合国軍事実行委員会
軍需生産の増強
イペリツト砲弾
憲兵次局の創設
アルザス及瑞西国境旅行
アラスカ犬
伊国労働者
下院軍事委員会と戦線工事
英国参謀総長ウイルソン将軍
敗戦主義者
潜水艦戦
煙草と兵隊
高等司令部の改編
フランドル旅行
ベルギー軍訪問
英軍訪問
葡軍訪問
戦車次局の創設
統一指揮問題
近東軍の改編
近東軍攻勢計画
第7章戦略的守勢(続き)(十八年三月)
ウクライナ共和国
ブレスト・リトウィスク条約
ルーマニアの平和仮条約
アルザス・ローレン失地記念祭
米軍戦線視察
大攻勢の要求
三月八日の空襲
三月八日の議会
戦地飛行隊視察
ルーデンドルフに対する判断
三月十一日の空襲
倫敦の最高戦争会議
内務省の椿事
第8章 統一指揮と三月の独軍大攻勢
統一指揮に至る迄の経過
三月廿一日の独軍攻勢
長距離砲の砲撃
三月廿四日の閣議
三月廿四日総司令部訪問
後退命令の訛伝
三月廿五日コンピエーニュ会議
三月廿六日ドウランス会議
三月廿七日
三月廿八日クレルモン会談
モンヂヂエ戦線
サン・ジエルベ寺院の砲撃
第9章 統一指揮と三月の独軍大攻勢(続き)
ボーベー・デュリ及戦線視察
ルーブレルの暴挙
フオッシユ将軍の書簡
ボーベー会談
四月三日の聯合軍総司令官訓令
近東軍に対する訓令
フオッシユ将軍の聯合軍総司令官任命
四月六日
ツェルニン伯事件
戦線に諸将軍訪問
大臣連に関する打ち明け話
軍需殊に戦車の生産
サルキュスへの使命
第10章 フランドル会戦(十八年四月)
独軍アミヤン攻勢の失敗と其原因
フランドル攻勢
サルキュスへの使命
ポアンカレー大統領との会見
ローマに於けるユゴスラブ会議
フランドル旅行
英軍訪問
ブルトイユ会議
シヤンテイー訪問
巴里爆撃
シヤンチイーへの使命
ベルサイユへの使命
ボーベー会議
フランドル会戦間フオッシユ将軍の活躍
ペタン将軍への使命
英仏軍正面への旅行
サルキュスへの使命
アブベビール予備会議
フランドル攻勢の終末
戦地帰還者
兵員問題
第11章 攻勢依転準備(十八年五月)
五月の戦略情勢
アブベビール最高会議
フオッシユ将軍の後継者
戦線旅行
第三軍訪問
巴里
サルキュスへの使命
軍需生産
オルーの戦車隊視察
ゼーブリュツジュ及オステンド閉塞
ノアイユの会見
近東軍の情勢
赤帽事件
飛行隊視察
巴里防空
ク氏に厳談
徹底的解決
五月廿一日の空襲
五月廿二日の空襲
戦線忌避者表
サン・テチェンヌ工場の罷業
ノアイユの会談
五月廿六日の戦略情勢
第12章 シュマン・デ・ダーム攻勢(十八年五月末乃至六月)
五月廿七日の独軍攻勢
長距離砲砲撃の再興
サルキュス及戦線視察
五月廿九日
トリルポール、クプリュ、ロンポン旅行
巴里の陰謀
トリルポール会談
最高会議
巴里に於ける新陰謀
ムーシー城への使命
六月四日の議会
ボンボン及プロバンへの使命
巴里防衛委員会
陸軍省の会合
第三軍視察
第13章 オアーズ攻勢及仏軍の逆襲(十八年六月)
オアーズの独軍攻勢
ボンボン及プロバン旅行
六月十一日仏軍の逆襲
五月廿七日の独軍攻勢は奇襲なりしや
ギュイヨーマ将軍の帰還
近東軍司令官への訓令
ボンボンの集まり
病院内に於ける戦線忌避者狩
六月下旬
戦地視察
プロバンへの使命
ボンボンへの使命
米軍協力の浮説
米軍の使用法
シヨーモン会談
ペタン将軍フオッシユ将軍の隷下に入る
米伊軍戦線視察
伊国戦場に於ける墺軍の失敗
巴里間断なく砲撃せらる
第14章 独軍の絶望的攻勢(七月十五日)
一般の視察
七月二、三、四日の最高戦争会議
戦線視察シヤンパーニュ及ピカルヂー地方
ペタン将軍との会見
待機の夜警
ボンボンへの使命
七月十四日の国祭日
七月十五日の独軍攻勢
巴里の情勢
シヤンパーニュ戦線の視察
プロバン会見
攻勢依転決せらる
ボンボン会見
七月十八日の攻勢依転
七月十五日独軍攻勢の理由
独逸側の主張する理由の価値
第15章 聯合軍の攻勢依転(七月末)
戦線視察
ボンボン訪問
フオッシユ将軍の計画
ボンボン訪問
伊国政府との交渉
民衆心理
ジャナン将軍チェコ軍司令官となる
ロザド将軍来訪
再びボンボン訪問
戦線視察
交換部品問題
ボンボン会談
七月卅一日の下院
仏軍師団数減少問題
近東軍の攻勢計画
輸送勤務の新機構
第16章 聯合軍の攻勢依転(続き)(十八年八月)
八月一日に於ける戦略情勢
下院の議事
ボンボン旅行
戦線視察
ボンボン会見
マルビー氏への判決
ボンボンへの使命
デブネー、ローリンソン両軍の攻勢
戦場実視
ク氏第六十師団の第一線戦闘群に至る
英軍訪問
サルキュスの夕食
サルキュス訪問
永久の癌たる人員問題
鉄道トンネル開通式
近東軍の攻勢準備完了
ヘーグ元帥巴里に来る
波蘭師団
戦線旅行
戦攻章授与式
モルレー会談
戦線の収穫
ペタン将軍への使命
元帥杖及戦功章授与式
戦線視察
ハレル将軍来訪
八月末の戦略情勢
ボンボン訪問
第二回攻勢依転の戦果
第17章 聯合軍の大攻勢準備(十八年九月)
戦線視察
巴里の防空
米軍用馬の問題
近東軍に軍需品の補給
ボンボン訪問
再び人員問題
ボンボンへの使命
近東軍司令官攻勢実行を求む
ベルギー旅行
英軍及仏第十軍視察
デュメニール、フリュリー両代議士の戦死
ボンボン会見
サン・ミエールの米軍攻勢
戦線視察
オルランド氏巴里に来る
最後の巴里空爆
近東軍の総攻撃
アントワープ、ベルダンの線
首相の上院演説
統一指揮権拡張問題
独軍蛮行の調査
恢復地方の視察
軽機関銃
巴里防空
潜水戦
英海軍の消極戦略
ユーゴ・スラブ問題
第18章 聯合軍の総攻勢実施(九月末乃至十月)
総攻勢
戦線視察
近東軍の戦捷攻勢
第四軍司令部に於て
ボンボンへの使命
デスペレー将軍の近東情勢報告
維納及ミュンヘンへの作戦誤伝
独軍の不用破壊再興
米軍の情勢
シヤロンへの使命
ミルヌ事件
ポアンカレー事件
独逸に対するウィルソンの回答
新ポアンカレー事件
ヘーグ元帥米軍数帥を要求す
最高会議中の誤解
総攻勢継続す
恢復地方の視察
独逸の回答
黒人部隊委員部
第19章 聯合軍の総攻勢実施(続き)(十月)
ボンボンへの使命
ムランの会見
ウィルソンの回答
休戦条件
ジョッフル元帥の忠言
十月十八の下院議事
北部地方旅行
フオッシユ元帥の書簡
ラオン市旅行
官吏席次令
独逸の回答
フォード戦車
ウィルソン聯合国へ通牒
クレマンソー、フオッシユ、ペタン会議
サンリスの会議
アルザス、ローレンの国境
聯合国の休戦討議
卅日の休戦討議
十月卅一日、十一月一、二、四日の休戦討議
十一月四日ウィルソンへの回答
ウィルソン独逸へ電報す
軍需化学工場の戦後利用問題
近東軍戦果を拡張す
モヅール進撃
パレスチン地方英軍の快勝
第20章 戦略的攻勢
独野戦軍の総退却
戦略機動の思索と実行
ローレン攻勢は十一月十一日以前に開始し得ざりしか
伊軍の大勝、バドウの休戦
トルコの休戦とタウンシェンド将軍
墺国和を請ふ
対独新作戦計画
近東軍への訓令
十一月五日の下院
人員問題
ペタン将軍の元帥説
休戦要請の独逸無電
十一月十一日の法律
第21章休戦
休戦とその訛伝
十一月八日
十一月九日サンリス訪問
十一月十日
十一月十日夜から十一日朝
巴里の有様
後日の批難
フオッシユ、ジョツフル両元帥及ハウス大佐の休戦に関する意見
休戦過早の責任ありや
休戦条件準備の訛伝
最後の軍公報
第22章 結論