図書カイウン モノガタリ000005603

海運物語

サブタイトル1~10
興亡と再建
編著者名
平井 好一 著者
出版者
国際海運新聞社
出版年月
1959年(昭和34年)5月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
402p
ISBN
NDC(分類)
683
請求記号
683/H64
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
和書 史料調査会旧蔵資料
目次

鉄と船
青年石原とマラヤの鉄鉱石
石原産業海運と南洋航路の混乱
南洋海運の設立
夏場は北洋材を、冬場はマラヤ鉱
敗戦で様相一変
マラヤ鉄鉱輸入と日本の製鉄業
長江鉱石の役割
北米鉄鉱の登場
鉄鋼の使用量が近代文化の尺度
造船と鉄の需要
住宅に年間百万トンの鉄を使用
いまは昔、船鉄交換の思い出話
スクラツプ船と外船の変態輸入
モレタニア解体と英国人の惜別
重大な傭船契約
インド銑鉄輸入と日英海運競争
米国のクズ鉄と「辻」さん!
鉱石専用船の登場
日米独、鉱石の輸送距離の比較
製鉄業副産物の有効処理へ
日本の鉄鋼生産高一千万屯
木船から鉄船へ、そしてさらに鋼船への変遷!
転換に立ち遅れて後退した米海運
第一次世界大戦と船腹増強
年産一億三千万トンの米国鉄鋼
第二次大戦の前夜
思い出の交歓茶会
造船技術の革命「電気熔接」
すぐれたわが国の造船技術
綿と船
綿花の輸送と英の定期航路網拡充
わが国紡績業の発展とインド綿
印綿積取で日英間の激しい競争
日英海運の妥結と郵船の加盟で日本の地位上昇
ポンペイ航路同盟へ商船も加入
紡績業発展へ寄与したわが海運
米綿と海上運賃
低運賃でも綿はありがたい荷物
日本の綿花輸入量は世界産額の六分の一を占む
戦前の綿布輸出はわが国が世界一
英国へ留学生を送り機械を購入
動力と工場建設
水車から電力へ
小型モーターの採用は新革命
第一次大戦で綿業立国を確立
綿業の中国進出と定期航路整備
列国の東亜侵略と日本の立場
禍根の廿一ヵ条
紡績業と日本海運
新中国の建設と綿花生産の将来
東亜における日英の利害の背反
インドをめぐる日英の綿業戦
印度の英品不買
インドの日本品締出しと紡連の印綿不買決議
日印シムラ会商
日印綿花・綿糸の輸出入比率
日印会商妥結条項
自力綿業発展の跡
米綿・ブラジル綿と村田省蔵氏
第一次大戦と米綿の輸入状況
南米航路の復航としてパナマ経由で米綿を輸送
米綿60%に増大
ニユーオリンズの繁栄と綿花
北米移民から南米移民へ
第一次世界大戦で移民と貿易の発展、定航開設
ブラジルの移民制限と綿花輸入
コーヒー暴落と南米移民の制限
綿花栽培の奨励を伯政府へ勧告
ブラジル綿花の大増産とわが国輸入の飛躍増大
綿花輸送におけるOSKの功績
高速優秀船建造で21航海の大定期航路を完成
第二次大戦で逆転
痛ましい戦争
戦後の綿花輸入
羊毛と船
古代人類と羊毛
イギリスのセンイ産業と羊毛
豪州羊毛の発展
羊毛輸送の発展
古代日本と毛織物
千住製絨所の設立
「赤毛布」と豪毛
郵船、豪州定期航路を開設す
第一次大戦で毛織物業の興隆
商船も定航開始
豪州羊毛の生産、世界の1/4を占む
湿気嫌うメリノ種
日本の羊毛輸入
運賃のプール制とその変遷
羊毛工業も戦争で発展、戦後は深刻な打撃受く
朝鮮事変で立直る
郵商の豪州定期航路再開
JALも再開
毛織業界の動向
麦と船
製粉業発展の歴史
水車小屋とメリケン粉
空地の小麦作り
パン食の普及で消費量増大
ローマ帝国時代の小麦輸送
穀物条令の撤廃とイギリス海運
最大の穀物輸入国イギリス
戦後急増した日本の小麦輸入量
北米合衆国の小麦輸出余力は七百五十万トン
米国は二世紀半で世界最大の小麦産出国となる
カナダ産は最良
日本にも初めてサイロを建設
小麦国としてのアルゼンチン
世界運賃市況のバロメーター、プレート/英欧
英、戦後鉄道利権をア国へ返還
小麦生産国豪州と移民問題
白豪主義と日本移民排斥
人口増加と小麦生産増の正比例
戦後の食糧事情悪化と米国余剰農産物への依存
援助資金で六年間に食糧九百万トンを輸入
製粉能力の回復
臨港工場を五カ所に建設の提案
国際商品としての小麦の価格
国際小麦協定
麦の豊作で世界の在庫量は増大
MSAの余剰農産物と米船による50%積取問題
外貨不足を救つたMSA借款
海運に痛い余剰農産物の米国船50%積取条項
不当に高い米船積取の指示運賃
最近五年間の小麦輸入状況
石油と船
石油百年の歴史
最初の主たる需要は灯油だつた
わが国の石油輸入と浅野総一郎
浅野翁はタンカー建造の先駆者
船の燃料に石油を使つた最初の人
油焚タービン採用でパ社に勝つ
日本海軍も軍縮会議後は全部油焚きに改造す
タービンからデイーゼルへ
日本船の寄港がロス発展に寄与
海運興隆の基盤デイーゼル機関の発明
日本も潜水艦にデイーゼル装備
日本におけるデイーゼル機関製作・発展の回顧
漁船にも発動機
焼玉機関で売出した池貝と新潟
漁船の発動機化は次第に侵透す
帆のない機帆船
農村文化の生みの親ヤンマー機関
トンボの商標
小型発動機製作の功労者山岡翁
小型デイーゼル機関試作に成功
山岡孫吉とその後援者笹山忠夫
デイーゼル博士長男の来日
ドイツ発明協会から金賞牌授与
記念庭園を寄贈
デ博士顕彰の石庭をドイツへ寄贈
日本に生きているデ博士の精神
タンカーで大成した飯野寅吉氏
開戦当時の日本のタンカー保有量
日東汽船、OSKの傘下に入る
対日石油禁が太平洋戦争を促進
敗戦の一因はタンカー被害の過小評価にあつた
緒戦の好調くつがえり撃沈累増
甚大な船舶被害で敗戦は不可避
窮余の果に木造タンカーを建造
失敗に終つた被曳航タンカー
石油を断たれた艦隊の末路哀れ
レイテ島余談
山を荒し、水害の原因をつくつたゞけの松根油
沿岸タンカーが帰還輸送に一役
日本海運の復興を許さぬのがGHQ当初の方針
ガソリンの増配交渉で珍問答
沈船タンカーを引揚げて再就航
石油なき国に生活と産業はない
客と船
第二世あるぜんちな丸への感懐
ほめられた第一回ブラジル移民
特設空母に早替り、戦前の客船
ハワイの移民輸送
米のハワイ併合までの日本移民
狙われていた戦略要衝のハワイ
郵船シアトル定航開始で米大陸横断鉄道と連絡
桑港航路を計画した浅野総一郎翁
東洋汽船の創立
待望の桑港航路開らかる
客船をめぐる日米の激烈な競争
前大戦で巨利を占めた東洋汽船
ペルーへの移民
あめりか丸の40年
米大陸の農地開拓に活躍の邦人
排日移民法案の米国議会通過
遂に郵船へ譲る、終着港に来た東洋汽船の運命
郵船、浅間丸など優秀船を建造
戦時における優秀客船の使命
第一回郵商協調
郵船の南米航路は商船へ譲渡
ブラジル移民と移民船への補助
勝ち組・負け組
戦前・戦後移民の移り変り
今は立派な市民
ニユーカレドニアへ日本人採鉱夫の集団移民
豪洲移民と排日
ダパオの麻栽培に成功した邦人
日本の移民業績、戦争で全く荒廃
戦前の在外邦人は二百三十万人
台湾・朝鮮・樺太航路の変遷
戦前は賑わつた中国航路の各線
終戦と帰還輸送
在外居留民の戦前・戦後の変化
キユナード、大西洋の覇権を握る
移民の増加で新航路相次ぎ開始
ブルーリボンを競う各国豪華船
大陸豪州と移民
チユーザン号物語
P&O豪州航路に覇権を握る
英豪直航船の大型・高速化促進
P&Oの傘下に入つた海運会社
日本にとつて大脅威、P&Oの太平洋航路進出
貨物のいろいろ
ゆり
りんご
みかん
バナナ


かきのたね
椰子の実
チーク
マニラ麻
玉蜀黍

コーヒー
胡椒
玩具
煙草

一瓶のラム酒
あとがき(堀卯太郎)