大阪商人太平記 明治後期篇 上
第1章 明治後期の経済と世相
内国勧業博覧会
共進会奨励・貿易促進へ勧業博
成績も好調
堺に水族館・蒸気自動車もデビュー
技師さん活躍
博覧会に驚く・新世界にルナパーク
人力車も現われる・百輛仕入れる
人力車の“敵”巡航船・血を呼んだ車夫のデモ
市電開通
蒸気自動車
築港起工
築港づくりの計画
第三次計画
洪水防止へ
責任者に西村捨三・交渉に二年
大型船がつぎつぎ・大阪港に立つ西村捨三像
大大阪の基礎
特別市制を廃止・本当の自治へ
外資の輸入
郊外に電車網・電気事業にも熱意
淀川の大洪水
淀川の改修完成・完全な築港へ
産業革命期
百万人をこえる・公共事業も躍進
すべて独立独歩
明治末期の様相
二つの大火
キタの災害
三年後ミナミでも
財界人物地図
活躍した事業家たち
集団勢力
士魂商才
独立独歩
東京と大阪
第2章 明治後期の大実業家たち
大阪財界人物の交代・“輸入”された大物のあとがま
旧人プラス新人・日銀組の大阪入り
土居通夫の生いたち・阪本竜馬と意気投合
大阪における通夫の活躍・中井弘と知りあう
裁判官としての通夫
鴻池家と通夫
実業界における通夫―鉄道・電気・銀行事業に縦横の活躍
大阪電灯と報償契約
土居通夫の死去
カニの絵が得意・華美な生活
片岡直輝の生いたちとその役人時代
官界を去り、日銀支店長となる
直輝と大阪ガス会社
鶴原市長、片岡の独断にむくれる・報償契約と大阪ガス
大阪ガスの営業とその他の事業
片岡直温のことども
官職なげうち日本生命創立に全力
中橋徳五郎の生いたち
“賄征伐”で勇名・一時退学のうきめ
中橋徳五郎の結婚、田中市兵衛の娘婿になる
中橋の大阪商船社長就任
中橋の大阪商船経営・商船株はね上がる
南支航路と中支航路・英商船会社と激しい競争
北支航路にも進出
インド航路と南洋航路
北米航路への進出
中橋の業績・遠洋航路発展の礎石をおく
宇治電と中橋
中橋をめぐる人人・堀啓次郎と山岡順太郎
商船に集まった英才・“商船閥”財界に君臨
岩下清周の生いたち・恩人宅とびだし転校
三井物産時代の岩下清周
パリで桂らと交遊
三井銀行時代
三井銀行大阪支店長となる
三井と絶縁を決意
北浜銀行の創立と岩下
岩下の活躍
岩下の人となり
第3章 生産と技術をめぐる群像
住友の方針と伊庭貞剛
貞剛の勇退と鈴木馬左也
住友の“大御所”
大きく発展した別子
住友の諸事業
住友伸銅所の設立
住友鋳鋼場と電線製造所
住友のあり方・社風は正しく強健
事業は人なり・自然に発展した“住友”
植村俊平
藤田組のことども・平太郎たすけた池原
久原房之助
桑原政
川本幸民とコプランド
渋谷家によるビール事業
金沢嘉蔵と大阪のビール業
渋谷家の没落
手形ビールと朝日ビール
大阪洋酒とエビスビール
ぞくぞくビール会社誕生
大阪のビール会社・酒店売りで成功
大阪麦酒株式会社
ビヤホール誕生
大日本麦酒株式会社
大井卜新と硫酸製造
大阪硫曹株式会社と阿部市三郎
大阪アルカリ株式会社と藤江章夫
野口遵の生いたち
日本窒素肥料
井上貞治郎のマッチ製造・黄燐マッチの元祖
滝川弁三の良燧社
直木政之助
春元重助とせっけん製造所
滝村竹男と松尾久男・サラサの国産化成功
田村駒次郎とモスリン
稲畑勝太郎の生いたち
稲畑勝太郎と京都織物株式会社
染料店を開店
稲畑染物店の発展
稲畑染工場の創立
軍服染色に乗り出す
大阪に移った稲畑染物店
千草安兵衛と洋式捺染業
大阪毛織と芝川栄助
川西清兵衛
日本毛織と谷江技師
八木福松とメリヤス製造
井上浅とコウモリガサ・初めて洋ガサ登場
駒井庄太郎とガラス器具
芦森武兵衛の芦森製綱所
伏田清三郎の伏田鉄工所
汽車製造会社
梅鉢安太郎
大阪鉄工所
亜鉛鍍株式会社と岩井梅太郎
宮林操三とメッキ加工
和田惣八のホウロウ鉄器
久保田権四郎・大口径の水道管に成功
石黒五十二・宇治電の発展に力
大阪電球の井上守
伊藤喜十郎と金庫製作
大林芳五郎の生いたち
大林組の誕生
木屋市野口栄次郎
佐々木伊兵衛と大林
土建業界の人々
阿部製紙工場・大林由五郎「芳五郎」に改名
内国勧業博と大林
箕面有馬電鉄と大林
帝国座と大林の度量
大林組の発展
鉱業界の先駆者・中江種造の生いたち
採鉱冶金学を研究・古河の基礎築く
国盛鉱山と東山鉱山・資源の不足を努力で補う
五木鉱山と飯盛鉱山
植林事業・植林で国へ報恩
中江と社会事業・中江済学会つくる
第4章 大阪紡績業界の人たち
山辺丈夫と大阪紡績
阿部房次郎の生いたち
房次郎、阿部家に入る・房次郎“引抜き”合戦
金巾製織の創立
金巾製織と大紡との合併・山辺社長助け大活躍
三者合併・東洋紡生まる
大阪合同紡績と谷口房蔵
泉州から堺筋へ進出・大和木綿商社に入社
明治紡績と谷口房蔵
岩下清周と房蔵
浪華紡の整理と谷口
朝日紡績所の買収
紡績合同論と岩下清周
つぎつぎ会社を買収・三社を合わせ“合同紡”
尼紡における菊池恭三・“42番手”研究に洋行
別働会社に東洋紡織
菊池、田代、福本の鼎立
差別はねのけ、持株で社長
尼紡における新人たち
学校出の第一号―小寺、逢坂、古藤田、斎藤
日本紡績と金沢、竹尾・借家でスタート
日本紡績
寺田甚与茂の生いたち
甚与茂の少年時代
五十一銀行の創立と甚与茂
岸和田紡績と甚与茂
寺田甚与茂の活躍
福島紡績と渾大坊芳造
堀文平と福島紡
福島紡績株の肩代りと八代祐太郎・細心な計算の「呑む徳」
渾大坊芳造と大阪莫大小紡織
円朝が橋わたし・三井の援助で鐘紡再建
武藤山治の生いたち・米国の大学で苦学
武藤と新聞・日本初の新聞広告取扱所開業
三井銀行から鐘紡へ
鐘紡の工場開始
職工争奪戦と山治
福沢諭吉の登場
鐘紡支配人にのし上がった山治
武藤と和田
義和団事件と鐘紡
和田豊治の富士紡入り
富士紡の和田と鐘紡の武藤
中上川の死と鐘紡の運命
紡績大合同論
やせた糸とこえた糸
武藤鐘紡糸の優秀さ宣伝・不評一掃へ費用惜しまず
日露戦争と鐘紡
株成金の筆頭鈴久、武藤を鐘紡から追う・やがて日本の武藤へ