ロマノフ朝最後の日
- サブタイトル
- ロシア革命哀史
- 編著者名
- 清水 成久 著者
- 出版者
- 霞関会
- 出版年月
- 1948年(昭和23年)11月
- 大きさ(縦×横)cm
- 22×
- ページ
- 311p
- ISBN
- NDC(分類)
- 238
- 請求記号
- 238/Sh49
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
序論 ロマノフ朝概史
ロマノフ朝以前のロシヤ
ロマノフ朝の成立
その後のロマノフ朝
第1章 最後の皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラ・フィヨードロヴナ
二人の生立ち
ニコライの即位、アレクサンドラとの結婚
ニコライ二世の人となり
皇后アレクサンドラの人となり
第2章 ニコライ二世即位後の内外の情勢
ハドィンカ事件
革命運動の発展
日本との戦争
「血の日曜日」
所謂第一革命と国会開設
名宰相ストルィピンとその死
第3章 呪われた運命
皇太子生れず
皇后アレクサンドラの神信心
皇太子の出生と皇后の実家ヘツセン公家の遺伝病
その頃の大奥の生活
妖僧ラスプーチンの登場
血迷つたアレクサンドラ
第4章 大革命近付く
革命運動の新たな昂揚
欧州大戦の勃発
戦局振わず
国会、戦局を憂慮す
宮中の《黒幕》(ラスプーチン・グループ)
ラスプーチン殺さる
皇后アレクサンドラの対独通謀説の真否
悲しき狂躁曲
特権階級、宮廷変革を策す
プロレタリヤ大衆、革命に乗り出す
第5章 二月革命、帝制覆滅
二月革命勃発す
臨時政府組織さる
ニコライ二世の退位
ミハイル大公、即位を辞退す
皇后その他の家族は如何に革命を迎えたか?
第6章 ニコライ二世とその家族の逮捕
ニコライの逮捕
皇后以下家族の逮捕
外国亡命実現せず
第7章 その後の一般情勢
ボリシェヴィキーの活動
七月事件
モスコー国家会議。コルニーロフ将軍の反革命クーデター挫折す
十月革命
憲法会議の顛末
ブレスト・リトフスク媾和条約
国内戦と列国干渉
第8章 ツァールスコエ・セローの監禁(一九一七年三月から八月まで)
日常生活と監視隊の態度
ニコライ二世の心境
臨時政府とケーレンスキーの態度
クリミヤ行成らず
第9章 シベリヤの古市トボリスクへ
落ち行く先
出発準備、護送隊長コブィリンスキー
無事トボリスクへ
第10章 トボリスクの監禁(十月革命迄)
トボリスクの雰囲気
監視隊の態度
臨時政府の委員パンクラートフと副委員ニコーリスキー
日常生活
第11章 十月革命後におけるトボリスクの監禁(一九一八年四月まで)
十月革命とトボリスク
元皇帝一家に対する十月革命の影響
監視隊の兵士委員会
パンクラートフ去る
ボリシェヴィキー、元皇帝の一家に手を及ぼす
第12章 元皇帝一家の救出運動
トボリスク主教ゲルモゲン一派の活動
ヴイルーボワとサラヴィヨフ(ラスプーチン・グループ)の活動
国会議員マルコフ一派の活動
モスコー帝制派グループの活動
ニコライ一家は如何に救出を待つていたか?
第13章 赤いウラル
ウラルの歴史的雰囲気
ウラルの労働者動き出す
ウラル州ソヴィエト幹部会員ゴロシチェーキン
第14章 トボリスクからエカチェリンブルグへ
ボリシェヴィキーの全権委員ヤーコヴレフ
行先は何処?行くべきか、行かざるべきか?
逃亡の望み絶ゆ
ニコライ夫妻トボリスクを立つ
ウラルか?モスコーか?
結局エカチェリンブルグへ
イパーチエフの家へ
ヤーコヴレフは何を考えていたか?
アレクセイその他もエカチェリンブルグへ
第15章 エカチェリンブルグの監禁(一九一八年四月三十日より七月十六日まで)
ウラルの雲行
イパーチエフの家の生活
一門の諸大公等もエカチェリンブルグへ
裁判か、銃殺か?
救出への最後の期待
ウラル州非常委員会幹部会員ユローフスキーの登場
第16章 噫、皇帝一家の最期!
ウラル州ソヴィエト俄かに銃殺を決定す
銃殺の準備成る
あゝ、七月十六日の夜!
死体の処理
中央への報告と銃殺の発表
第17章 一門諸大公等の最期
ミハイル大公の最期
その他の諸大公等の最期
第18章 死体捜査むなし
白衛軍、事件の調査を開始す
流言乱れ飛ぶ
銃殺確認さる
コルチャーク軍とエヌ・サカロフの努力
諸大公等の遺骸
その後の事など
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