田中義一伝記 下巻
第4篇
シベリア出兵小史
代表的輿論の一部
出兵実現迄の国際関係と国内に於ける出兵への反対理由
対西伯利政策の経過
シベリア出兵軍事行動の概要
尼港の残虐事件
第七師団出動中対外事項記事
第一次陸相時代
陸相就任の経緯
米騒動の後始末
万歳事件と朝鮮派兵
朝鮮総督、台湾総督および関東都督の武官専任制廃止
軍備の充実
シベリア出兵をめぐる省部の関係
辞任
特使として比島に派遣さる
初めてウツドと会う
田中ウツド東京会談
ウツドの人物
ヒリツピン訪問
上海の遭難
第二次陸相時代
関東大震災
後任陸相問題
軍事参議官時代
原首相の海相事務管理問題
第一特命検閲使
特別大演習の指揮官
第5篇
田中大将の政友会総裁就任
政界入りの事情
第二次陸相辞任後の政局
田中大将の政友会総裁就任
三党首会談と其の真相
機密費問題 三百万円問題 金塊問題
第五十二議会直後の時局
支那の動乱
政友会臨時大会
若槻内閣自滅の経緯
第6篇
田中内閣成立
閣僚銓衡の事情と田中総裁のメモ
田中首相の声明
財界救済
台銀内地及海外支店休業
支払猶予緊急勅令
地域に関する単行勅令
第五十三議会
田中首相の演説、高橋蔵相の提案説明
主要なる質問と答弁
臨時議会前後の時局
田中内閣に対する世評
日銀総裁更迭
蔵相更迭と文相の新任
調査会・審議会其他の新設
山東出兵
出兵決定までの経緯
出兵と輿論
南北抗争の概略
我軍済南進出と第二次派兵
支那の抗議
南軍大敗と我が撤兵
満・支・鮮出先官憲連絡会議
開催の経緯と目的
会議の経過
対支政策綱領
会議の真意と特色
田中外交と幣原外交の相違
森恪と連絡会議
いわゆる田中上奏文の真相
連絡会議の功罪
田中首相と満洲の鉄道
満洲の鉄道問題
山本条太郎の起用
山本満鉄社長の活動
協約の成立
交渉余談
海軍々縮会議の決裂
二大政党時代
民政党成立
田中首相の励精と政友会地方大会
田中首相の伊勢参拝
錦衣故郷萩に帰る
府県会議員選挙
民政党の政府攻撃
内外諸問題と政府の施策
休業銀行整理
十五銀行単独整理、川崎造船所救済問題
資金偏在の是正と地方還元
諸調査会審議会の活動
教育の改善刷新
日独通商新条約調印
支那の時局
蒋介石氏の下野来京
田中総理蒋介石会談録
久原氏訪露
朝鮮総督更迭
昭和三年度予算編成
財界の不況と予算編成難
第五十四議会と解散
御大礼追加予算案可決
政友会大会
休会明けの三相演説
田中首相の施政演説
田中兼摂外相の外交方針演説
三土蔵相の財政演説
解散の詔書下る
総選挙の詔書公布
第7篇
普選第一回の総選挙
朝野両党の公約
全国民に告ぐ(田中首相の選挙演説)
怪文書事件と内相の失言問題
総選挙の結果
朝野の勢力伯仲、政局混迷す
共産党事件
第五十五特別議会
議長選挙に政友会勝つ
御大礼予算追加可決
恐慌後の銀行整理概況
四決議案を巡る混乱
鈴木内相辞職
内閣不信任案審議未了に終る
特別議会の成果
山東出兵=済南事件
その後の支那時局
第六師団出動
済南事件
済南事件と内外輿論
支那側の逆宣伝
事件は不可避であった
田中首相談
国際聯盟に提出せる帝国政府覚書
事件の収拾と結末
山東出兵遺余
議会後政局の推移
内閣改造と久原房之助氏の登用
優諚問題
治安維持法改正緊急勅令公布
台湾総督更迭
地方長官異動と地方長官会議
政友会臨時大会
日銀正副総裁更迭
重要時事
賠審制度の実施
首相刺客に襲わる
重要時事
不戦条約の調印と政治問題化
日露漁業条約
其他の国際関係
駐英米大使外務次官更迭と外交布陣
内閣総理大臣として昭和御大典に奉仕
御大典の準備
御大礼諸儀の進行
即位礼紫宸殿の儀
田中首相の万歳奉唱
大嘗祭と大饗
首相病む
東京還幸
首相主催の大夜会
御大礼余聞
張作霖虐殺事件と東三省新政権をめぐる諸問題
帝国政府の重大声明
張作霖遂に北京を撤退
張作霖虐殺さる
田中首相と軍部との意見扞格
東三省の新政権に関する日本側の意見分裂
学良の保安総司令就任=日本の南北妥協中止勧告=学良の承諾
青天白日旗東三省に翻える
国論分裂下の日支交渉
北伐完成
外交交渉開始さる
床次顧問の脱党と対支意見
済南事件解決
懸案全部解決と国民政府承認
排日問題
第8篇
第五十六議会
議会前の政局
田中首相の演説
昭和四年度総予算案
重要法案衆院通過
貴族院の妄動
拓務省新設
張作霖虐殺事件責任者の処罰問題=田中内閣総辞職
事件の真相の判明と田中首相
問題は倒閣の具に供せらる
田中首相の硬論敗る
浜口内閣の成立=田中総裁の動静
田中総裁急逝す
葬儀
付録・年譜