田中義一伝記 上巻
背文字(内閣総理大臣・岸信介)
画並に詩(松林桂月)
序に代えて(法学博士・岩田宙造)
序(久原房之助)
第1篇
序論
乙熊誕生
家系と家庭
時代的環境
萩の風物―五松閣の由来―
乙熊の餓鬼大将振り
就学と破門、給仕、授業生
義一少年、前原の乱に入る
石部誠中に識らる
笠原百里に就いて学ぶ―長崎、対馬、松山時代―
陸軍に入る
陸軍教導団から陸軍士官学校
第一聯隊附時代
陸軍大学校に入る
父信祐の死去
貧乏中尉、書生七人を養う
動員計画の立案
日清戦役
原因―開戦
田中師団副官の出征
名副官、名参謀
遼河平原の掃蕩戦
黄海の海戦より休戦迄
講和の成立と三国干渉
第2篇
露西亜駐在の五年間
露国差遣
ペテルブルグ
ペテルブルグ日記
隊附となる
隊附日誌
当時の露国の社会状勢
田中少佐の謀略活動
ポーランド独立運動と田中少佐
伊藤侯に諌争して容れられず参謀本部に退役を願う
西比利亜視察―帰朝
随感録を提出
皇族附武官、大学校兵学教官
日露間風雲急
フロック問答―参謀次長の後任問題―
六列車事件
露国の満韓侵入
義和団事変の概要
露国、満洲を占有す
露国、撤兵中止と戦争準備
遂に国交断絶へ
開戦論の高唱―湖月会と対露同志会―
日露戦役
彼我の作戦計画
緒戦―無二絶好の開戦時期
大本営参謀となる
満洲軍総司令部の編成
遼陽会戦
沙河の会戦
第八師団及び第四軍の使用に関して
惜別の紀念品に絡る戦場美談
旅順の攻略
奉天大会戦
張作霖の助命
東京に出張
日本海海戦
謀報の殊勲
休戦から講和へ
凱旋
凱旋直後の献議
戦後の経営と改革
聯隊長時代―参謀将校と隊附の交流―
兵営生活の家庭化
軍隊内務書の改正
射撃場の改築
母美世の死去
教育の根底は親子の情
社会主義者白柳秀湖の入営
脱営兵の首領(白柳秀湖述)
帝国在郷軍人会の創立
軍事課長時代の事績
創立
創立式典と勅語御内帑の下賜
思想対策としての軍人会
その発展と皇室の殊遇
工場分会の設立と会の政党化予防
精魂傾けた努力
在郷軍人会に告別す
旅団長時代
大隈伯の麻布歩兵第三聯隊参観
青年将校諸君に告ぐ(大隈伯講話)
親愛する兵士諸君に告ぐ(大隈伯講話)
軍隊教育と国民教育との連繋
増師問題
増師問題の由来
上原陸相の登場
増師予算を正式に要求
政府の態度
遂に正面衝突
総辞職の真の理由は何か
山県の陰謀説
増師問題の経緯(田中軍務局長述)
滞満所感と欧米巡遊
異郷に病む
『滞満所感』(田中少将述)
欧米巡遊
西尾大将の談話
大将と青年団
田中大将と青年教育
背景をなすもの
青年団改編に対する田中少将の意見と構想
青年団に関する第一次訓令
青年団中央機関の成立
青年訓練所法、制定の経緯
参謀本部附となる
第3篇
参謀次長となる
大隈内閣の袁世凱牽制策―所謂満蒙挙事―
満蒙挙事計画始末
支那視察
「対支経営私見」(田中中将述)
日華陸軍共同防敵軍事協定
マサリイク博士と参謀次長の会見
田中大将、マサリイク博士と私(山ノ井愛太郎述)