桜花
第1章 新兵教育から
まさか海軍兵にとは
郷里をあとにする
呉海兵団へ入団する
教育訓練は開始された
先ずは徒手教練
教練も進行、お叱言も進行
短艇の橈は大きく、また重かった
軍楽兵応募の新兵あわれ
痛かった拇指の皮膚割れ
軍歌演習考
教育訓練も終わりに近し
試験や検定があらうとは
三等兵に進級して、練習部へ
第2章 普練生教程断片記
普通科看護術練習生となる
先輩練習生も教程履修中だった
教育は主として、講義と実習
教育は始まった
兵食にも違いがあった
リノリューム張り甲板手入れ
油マッチの思い出
忘れ得ぬ本務教官のお話
半舷上陸
夜と朝を間違えた夏期休暇帰省
実習
実習~その二
遺体解剖を見る
剣道練習で立腹した先輩普練生
虫垂炎の手術を受ける
病舎にはそれぞれの臭気があった
陪診用語の練習
教程終了後の配置
章持ちの兵となった
巡洋艦最上乗組となる
第3章 巡洋艦最上乗組
最上は工廠入渠中であった
一夜明ければ
気疲れだった食卓番
診療業務等
艦は海に浮かんだ
班長の支那そば
公式運転終了訓練に出勤
先任下士官の質問
船酔いは一喝で吹き飛んだ
教育者先任下士官
脱帽、先任下士官
困った洋式便器
ボート部員
溺者救助訓練
塗沫標本の作成
舷窓の手入れ
昇汞水の力価検定
一等兵はいいもんだ
難儀なことです銀蝿は
血沈作業
赤痢発生、三つ子島へ
有難やスコールさま
勉強会は楽し
動かしたSK真空消毒器
第4章 巡洋艦最上乗組~二
飛行科先任下士官は特三だった
喰らった鉄挙一発
結婚するにも許可が必要
腹痛患者減少の原因は
武人山川軍医中尉
軍医官もエリートになるには
切除出来なかった盲腸
艦内冷房は二二〇〇まで
寄港地寸描あれこれ
第5章 戦らしからぬ参戦、バタビヤ沖海戦など
緒戦の勝利、先方の準備不足か
バタビヤ沖海戦
占領後のシンガポール
武装商船との戦斗
夢にも思わざりし最上の悲劇
第6章 最上勤務断片記
南海の思い出
南海の思い出~二
南海の思い出~三
南海の思い出~四
南海の思い出~五
南海の思い出~六
南海の思い出~七
第7章大分海軍航空隊勤務
大分海軍航空隊へ転勤
申訳なかった研究成績
行き付く先は冥土だよ
型破り飛行中尉のお達し
飛行機事故の処理
徴募事務に随行
驚くべき技工士の手技
ものならずの礼式令
口惜しさに声張り上げし上司あり
潜水艦乗員を志望せよ
大分海軍航空隊跡は今いずこ
第8章 高練生教程期間から
海軍とはよき世界かな
高練生迸衝に応募する
まさか採用されるとは
大分海軍航空隊を後にする
練習部へ入庁する
高練生の編成
我がクラスは始終死期なるか
少将閣下のお宅へ下宿
先輩方の知恵
流石に模範、これぞ教員
棚ぼただった三年半下士官
当直下士官勤務
戦艦陸奥の大惨事
即席演芸会
病的検査等の実技試験
岸教員の言葉
教程終了転出先内示
高練生教程を卒える
第9章 大竹海兵団教班長体験記
軍都大竹も今は
高練教程終了後大竹団へ赴任
新兵教員研修始まる
研修要領、指導概略
新兵さんの入団
いざ本番、教練始まる
危うく落伍の追退戦
その他の教練
首席卒業者を出す
普練生教程への巣立ち
第10章 大竹海兵団教班長体験記~二
大竹団は修養道場だった
胸の飾りだった号笛が吹けた
宮島遠漕、我が艇は一着なり
心、技、体とはよく言ったもの
袖の下かと言えるかも
初任下士官教育参加
大竹団新兵教員勤務を省みて
無我夢中だった最初の担当
正面から取り組んだ二回目の担当
積極的に取り組んだ三回目
反省と虞れを抱いた四回目以後
新兵教員勤務中の大いなる過ち
第11章 岩国海軍病院湯田病舎勤務
岩国海軍病院へ入院
岩国海軍病院湯田病舎へ転任
待避壕設営作業従事
広島に原爆投下、無条件降伏
記念写真に裸になった兵隊
岩国海軍病院へ引き揚げる
岩国海軍病院での配置は先任兵曹
暫らくは混乱多き復員前夜
復員はしたけれども
国立病院、国立療養所の勤務
第12章 落穂抄
海事思想の普及
玄米食で起きた浄化槽異変
人海戦術、足踏み漁法
故藤野守央氏を悼む
善行章は憧れだった
恩給付きの軍人
第13章 回想詩
賀茂海軍衛生学校普練第四期生会に寄せて(愛知県蒲郡三ケ根)
賀茂海軍衛生学校普練第七期生会に寄せて
賀茂海軍衛生学校普練第七期生会に寄せて~二
賀茂海軍衛生学校普練第七期生会に寄せて~三
賀茂海軍衛生学校普練第七期生会に寄せて~四
第14章 雑詠
重巡最上の詩
同期生会に寄せる