実録太平洋戦争 第6巻
「兵隊製造人」の手記(神戸達雄 当時第三師団連隊区司令部勤務・元陸軍中佐)
連隊区司令部というところ
地獄の沙汰も金次第
召集回避の方法
権謀術策を弄する
顔と金の威力
戦時日本の台所-総力戦としての太平洋戦争(細川隆元 当時朝日新聞東京本社編集局長)
戦争準備体制なる
組織された「望蜀」
歪まなかった米国
窮乏と根こそぎ動員
反省される国民性
戦争強行に挑戦「竹槍事件」(新名丈夫 当時毎日新聞社政治部記者)
二つの記事
勝敗はソロモンできまった
内乱さながら陸海の抗争
大本営にペンをもって挑戦
果然、指名召集はきた
海軍は断固擁護
巻添えをくった硫黄島の玉砕
情報天皇に達せず(細川護貞 元第三次近衛内閣総理秘書官)
零線-終戦までの日本航空技術の縦断面(堀越二郎 当時三菱重工業名古屋航空機製作所第二課長戦闘機設計主
零戦の前
日本の航空自立の第一歩
七試の頃
九六式艦上戦闘機
実戦の成果と技術的自立の達成
零戦
零戦の生まれた背景
用兵者の要求と期待
零戦の設計に盛られた創意
日華事変における初陣の凱歌、真価確証
陸軍新鋭戦闘機とのコンテストに圧勝
太平洋戦争
零戦の改造各型
零戦の弱点といわれた項目と設計者の回答
飛行機の生産とこれを阻害する空襲と地震
外国人から観た日本の軍用機
零戦を顧みて
零戦のあと
「雷電」局地戦闘機
「烈風」戦闘機
「烈風」のあと(二〇試甲戦闘機)
終戦日誌(太平洋戦争末期における日記抜萃)
結び
世界水準から見たわが航空技術
著書『零戦』の序文の一節
戦艦大和建造秘録(松本喜太郎 当時海軍艦政本部軍艦設計部員)
艦型決定までの経過
本艦建造についての機密保持の問題
設計着手から竣工まで
第三、四番艦の運命
進水
大和型戦艦沈没の原因
結び
日本商船隊の壊滅(妹尾正彦 当時日本損害保険協会海上査定部長・陸海軍省嘱託)
失われた遺産
勝利の裏、南風競わず
暗澹たる死闘-昭和十八年
とどめ得ぬ絶望感-昭和十九年
悲劇終焉の決算書、約二千五百隻
動員日記(無着成恭 当時山形中学校五年在学)
学童疎開の記録(東京都月光原小学校編)
学童集団疎開の計画
甲府の生活
逃亡学童のこと
父母の面会
しらみ発生
東京空襲
再疎開地を求めて
山の生活
飢えをしのぐ
疎開の傷あと
友よ安らかに-学童の爆死
火傷は癒えても
山田寮母さんの死
終戦の日
顔の焼夷弾を浴びて(伊予田弘子 当時東京都在住・主婦)
恐ろしい五月二十四日
生きる望みを失う
戦争に捧げた青春(桐畑香代子 当時京都市在住・学生)
動物園の悲劇(北王英一 当時名古屋市立東山動物園園長)
最後の動物園長会議
猛獣射殺
チンパンジーの疎開
日本人の履歴書(唐沢富太郎 東京教育大学助教授)
流行歌から国民歌謡へ
一路軍国主義へ驀進
軍部と教科書の編纂
太平洋戦争下の教科書
格上げされた富士山
“日本ヨイ国 キヨイ国”
軍歌万能時代(園部三郎 音楽評論家)
音楽芸能版フューラー・システム
排外主義狂想曲
戦争下の芸術音楽
戦争下の民衆音楽
ある娘の敗戦記(萩原智恵子 当時外務省情報部嘱託)
終戦まで(吉沢久子 当時東京都在住・会社事務員)
原爆下の広島軍司令部(松村秀逸 当時広島軍管区司令部参謀長・元陸軍少将)
火の玉の一瞬
生別これ死別を兼ぬ
地獄図絵
不思議な爆弾
危うく死線を逃る
焦土に敗戦を聞く
ヒロシマ日記(蜂谷道彦 当時広島逓信病院院長)
動員の記録(旧軍需省・商工省)
被爆の記録(消防庁)
解説(荒正人 評論家)
付録あり