図書ウイッテハク カイソウキ ニチロ センソウ ト ロシア カクメイ000004166

ウイッテ伯回想記日露戦争と露西亜革命 下

サブタイトル1~10
明治百年史叢書 第27巻
編著者名
ウイッテ /大竹 博吉 監修
出版者
原書房
出版年月
1972年(昭和47年)10月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
508,26p
ISBN
4562001186
NDC(分類)
238
請求記号
238/V83/3
保管場所
閉架一般
内容注記
和書 史料調査会旧蔵資料
目次

第1章 私の家庭
私の父母と祖父
心霊術師ブラワツキー夫人
ブラワツキー夫人の悪魔的性格
女流作家ジェリホフスカヤ
父の家庭
長兄の恋・決闘
東方戦争と兄の偉勲
戦争の心理
私の次兄と妹達
時流を摺んでた私の祖母
第2章 養育者ファヂェエフ将軍
私の教養に及した叔父の影響
豪勇バリャチンスキー侯
コーカサス総督の両腕
ロシア陸軍改造案
フランス式軍制の採用
ファヂェエフ将軍の論戦と失脚
露土戦争と露墺の危機
アレキサンドル三世の即位と軍制改革論
ウォロツォフ・ダシコフ伯と叔父の親交
コーカサス生活の思ひ出
第3章コーカサスの総督
伝統の人ミハイル・ニコラエウィチ太公
貧慾な太公妃フョドロウナ
コーカサス統治の成功者ウォロンツォフ・ダシコフ伯
コーカサス富源の開発
父の頓死と私達兄弟の借財分担
幼年時代の記憶
第4章初等教育、中学、大学時代
読み書きを祖母に習ふ
家庭教師の危険
懶けて暮した中学時代
音楽と撃剣
お情けで中学卒業
前途の自覚
入学準備と必死の勉強
祖父母の死
大学に入学・首席卒業
卒業論文と金メタル
無神論よりトルストイへ
キエフ国立銀行総裁アファナシエフ
学生金庫事件
私の仲よしリギン
リギンの学位論文問題
ゴボレポフを文相に任命
盛名を馳せた諸教授
教理哲学者と計数学者
大学教育の使命
「結婚物理学」と神学
優秀な神学教授の末路
第5章 私のオデッサ鉄道勤務
私の大学教授志望
交通大臣ボブリンスキー伯の勧告
鉄道事業への第一歩
美男の利益
私を運輸部長に任命
人材の欠乏
オデッサ鉄道首脳となる
未来の皇后と運命的な汽車同乗
アレクサンドル二世お召列車の脱線
露土戦争中の一哀話
ブルガリヤの運命を左右した男
チリグリの鉄道大参事
軍隊輸送の苦心
アメリカ式とヨーロッパ式の可否
チハエフと私を禁固
第6章 鉄道王に就いて
西南鉄道事業部長に就任
鉄道王の経歴
後年の東支鉄道建設者ケルベヅ
西南鉄道社長ブリオフ
鉄道成金の親玉ポリャコフ
ぜい沢三昧の鉄道成金
僥倖に恵まれたシュテンゲリ男爵
バラノフ伯委員会
バラノフ伯の人物
私の西南鉄道統轄
第7章 スヴャタヤ・ドルジナ協会及び私の参加に就いて
キエフ在住中の大事変
私の秘密結社加盟
無政府党員暗殺の命令
巴里グランド・ホテルの秘密会合
巴里へ寝に来た男
私の協会脱退
第8章私のキエフ在勤時代
軍政家ドレンテリン将軍
妻のために失敗したチエルトコフ総督
勇将ラデツキー
私の西南鉄道総支配人就任
部下に人材を集む
銀行界へ人材輩出
秀材多くは中途挫折
似而非愛国の黒百人組
異彩を放った私の部下
才略縦横のデムチンスキー
ユダヤ人迫害事件
鉄道条例問題
変態性格者老ニコライ太公妃
変態性格の遺伝
財政金融学の双壁ブンゲとワグネル
鉄道問題論戦の収獲
自由主義ピフノの変節
キエフ医学界の明星
キエフ時代の私の小著
第9章 アレクサンドル三世帝のキエフ行幸・ボルキ駅に於ける列車転覆事件
帝王学の準備を欠いたニコライ二世帝
アレクサンドル三世とカイゼルの会見
ニコライ太公とアレクサンドル三世
質素を好んだアレクサンドル三世
御召列車運転についての危惧
御召列車の走行時間延長問題
心配な御召列車の通行
御召列車の転覆
交通大臣の引責辞職
第10章 鉄道事務局長就任・中央アジヤ視察
鉄道運賃規則の制定
私の鉄道事務管理局長就任
交通省の反感
皇帝不興の原因は私の卒直
私の人材抜摺
アレクサンドル三世帝に謁見
軍事高等委員会
ルーブル価安定問題
ルーブル濫発問題
中央亜西亜の富源開発
用水堤防の崩壊は民衆の福利
私の妻の急死
ラファロウイチ銀行の救済
私の大蔵大臣就任と整理銀行の後始末
ラファロウィチ銀行へ再度貨下げ事情
アバザ投機事件調査委員会
アバザの失脚
ソリスキーを参議院財政部長に抜摺
アバザ・ラファロウイチ事件後日譚
第11章 私を交通大臣に任命
一徹短気なポシエツト大将
新交通大臣ギユブネツト
私の交通大臣就任と改革企図
交通省改革の邪魔者を一掃
ウエンドリフの復活と失脚
第12章 コレラ流行地視察と私の再婚
コレラ予防方法視察
ニジニ・ノヴゴロド知事の悪戯
ウエスタ号事件
奇才バラノフとロジエストウエンスキー
陛下の学生観一変
私の再婚と辞表捧呈
第13章 イ・エヌ・ウィシネグラドスキー。私の大蔵大臣拝命
大蔵大臣の収賄問題
チオンの人物
募債とチオンの収賄
不正漢の多い右傾側
ウィシネグラドスキーと私の親交
大蔵大臣の病気
大蔵大臣の商工省設立提議
私を大蔵大臣に任命
チオンの密告書取調べ
第14章 私の大臣就任時代の要路の人々
内相トルストイ伯
司法・行政両権の混同
地方行政の改革
反動的な大学令
イワン・ドゥルノヴォ
陸相ワンノフスキー
法を動かす人々
宗教問題の論争
海相チハチェフ
アレクセイ太公とその愛人
文相レヂヤノフ伯
農相オストロフスキー
宮内大臣と金銭問題
各大臣と部下の進級問題
アレクサンドル二世帝の結婚
露土戦争と不正事件
法相ムラウイヨフ
外務大臣ギルス
チエレウィン
スウシチョフ
第15章 大蔵大臣としての私の仕事を助けた人々
大蔵省官吏の傾向
農務大臣と土地問題
酒類専売の実行者
ココフツォフの立身
国境警備隊の移管
私と国境警備軍団
東支鉄道守備隊と私
その他の人々
鉄道従業員の優遇法
国庫に俸給のない時代
才人シーポフ
ポーツマスで起った挿話
工場労働者優遇法
労働法の撤回
保護関税策とビスマーク
プロシヤとロシア
露独関税政策の歴史
対独関税交渉
外相ギルスの態度
アレクサンドル三世帝の態度
関税戦争と宮廷の人々
陸相ワンノフスキーの支持
新交渉開始
新関税条約の締結
ウイルヘルム帝の態度
ビスマークの態度
第二次露独通商条約
アレクサンドル三世と酒類専売
教会と国民教育問題
アレクサンドル三世の鉄道政策
第16章 私のムルマン沿岸視察
アレクサンドル帝の辺境政策
ムルマン港視察団
ソロウエツキー修道院
一行中の人々
天才画家ボリソフ
エカテリンスク湾
アレクサンドル帝の死
エカテリンスク湾の意義
第17章 皇帝アレクサンドル三世
アレクサンドル帝の性格
アレクサンドル三世時代の国情
父皇帝の再婚
露土戦争
アレクサンドル三世の真価
模範的な節倹家
徹底的な平和主義
血をおそれる皇帝
アレクサンドル帝と経済改革
保守的な教育政策
地方行政法の改正
アレクサンドル三世の晩年
皇帝側近の人々
皇帝の素朴生活
剛毅な気質
皇帝とブハラ王
ペルシヤ王の訪露
黒山国王の訪露
黒山国王の不誠意
アレクサンドル帝と皇族
アレクサンドル帝とその子女
シベリヤ鉄道の建設
ニコライ皇太子の極東旅行
ニコライ遭難事件
シベリヤ委員会
アレクサンドル帝と正教
記念博物館の建設
アレクサンドル帝の最期
付録有人名索引事項索引有