英国海軍戦史 第4巻
『Naval Operations (Vol.4)』の翻訳。
挿図目録有・別冊附図目録有
第1章 ジヤットランド海戦の成果並に影響
大艦隊各隊各艦根拠地帰着の状況
大艦隊再出動準備を完成す
純戦略的見地より見たるジヤットランド海戦の成果
英国政府の戦報は内輪に、独国政府の戦報は稍誇張に偏す
英国海軍省の第一公報
独国海軍省の第一公報
英国海軍省の第二公報
英国海軍某高級将校の評論
英国の言論機関技術的評論に移る
英国の輿論次第に鎮静す
中立国新聞紙の戦報評論
独国政府の弁明中立国新聞紙に依り酷評せらる
シェーア中将ジヤットランド海戦の教訓を説く
ジヤットランド海戦に関する専門家の意見
英国巡洋戦艦爆沈の原因
英国海軍の信管過敏なりしこと
ジヤットランド海戦は英国の軍艦設計方針に影響せず
ジヤットランド海戦の艦隊戦術に及ぼせし影響
第2章 内海の情況(一九一六年六-一〇月)
露国政府英国に対し陸軍兵器々材の信用貸製造を申込む
陸相キチナー卿遣露陸軍及経済使節に選まる
キチナー卿の乗艦「ハムプシャー」触雷沈没す
英国海軍のフランダース・バイト警備概況
英蘭通商協定の成立と両国間通商航路の保護
ゼリコー長官の艦隊統率法及作戦方針海軍当局に依り是認せらる
第五戦艦戦隊(高速戦艦戦隊)は戦闘艦隊の快速翼隊として使用せらるることに方針決定す
巡戦隊の進出度(戦闘艦隊よりの)に就て
ハーリッチ部隊と大艦隊との連繋に就て
潜水艦の無線通信能力に就て
ハーリッチ部隊ゼーブルッガの敵水雷戦隊とフランダース・バイトに遭遇戦を交ふ(六、二三)
大海艦隊サンダーランド海岸を襲撃せんとす(八、一八)
シェーア大将の索敵並に警戒配備
大海艦隊の編制替
大艦隊、大海艦隊邀撃のため出動す(八、一八)
独潜U五二英軽巡「ノッティンガム」を雷撃々沈す(八、一九)
英潜E二三独戦「ウェストファーレン」を雷撃して損害を与ふ
シェーア大将偵察飛行船の報告に誤られて出撃目的を変更す
ゼリコー長官敵潜の顧慮上「L」水道通過を断念す
主隊の遭遇戦生起せず、両艦隊根拠地に帰還す
独潜U六六英軽巡「ファルマス」を雷撃々沈す
ゼリコー長官敵大海艦隊の出動は大艦隊を潜水艦陥穽に致すに在りたりと為し、艦隊の対潜警戒を増すの必要を
大艦隊は直衛駆逐艦の不足に因り、大海艦隊は監視前哨たるべき潜水艦の不足に因り、孰も行動の自由を失ふ
大海艦隊又もや出動せしも好敵に遇はずして帰港す(一〇、一八)
英潜E三八独軽巡「ミュンヘン」を雷撃々沈す(一〇、一九)
第3章 内海の情況(自一九一六年十月至一九一七年二月)
独国第三及第九水雷戦隊ゼーブルッガに進出す
ハーリッチ部隊敵両水雷戦隊を邀撃せんとして失敗す(一〇、二四)
ドーヴァー哨戒隊警備区内の攻撃目標
ドーヴァー哨戒隊編制(一〇、二六現在)
ドーヴァー哨戒隊の警戒配備(一〇、二六)
独国水雷戦隊の第一回ドーヴァー海峡襲撃(一〇、二六)
英駆「フラート」独国駆逐隊に撃沈せらる
独国駆逐隊英病院船「セント・デニス」を砲撃々沈す(一〇、二六)
無線命令誤伝の一例
駆逐隊の夜戦と味方識別
第一軍事委員ドーヴァー哨戒隊の任務を挙示す
夜間敵に触接するため出動する駆逐隊の運動法
ゼーブルッガの独国第三水雷戦隊本国に引揚ぐ
フランダース・バイト及英吉利海峡に臨める英国各海軍根拠地に対する駆逐艦兵力配備の改訂
英潜J一独戦「グローサー・クールフュルスト」及「クロンプリンツ」を雷撃して大損害を与ふ(一一、三)
シェーア大将ゼーブルッガ水雷戦隊の任務を説く
ドーヴァー哨戒隊増援を受く(十月及十一月)
第二回ドーヴァー海峡襲撃(一一、二三)
改訂ドーヴァー海峡防禦計画
ゼリコー大将の海軍本部第一軍事委員就任と大艦隊主要職員の異動
ロイド・ジョーヂを主班とする軍事内閣の成立
サー・エドワード・カーソンを主班とする新海軍本部
ドーヴァー哨戒隊の兵力
ハーリッチ部隊ゼーブルッガに回航の敵水雷戦隊を遮断せんとす
ティリット代将の遮断配備
英独水雷戦隊の夜間遭遇戦
敵発見の報道ありたる場合に於ける哨戒駆逐隊の進退
探照灯の消灯過早なりしため砲戦の結果を確認し得ざりし実例
独断専行の機会に富める駆逐艦将校の兵術思想統一と其訓練に就て
第4章 海外戦場(東西阿弗利加、メソポタミア及婆爾的海)
東阿弗利加及タンガニイカ湖
カメルーンス作戦
メソポタミア作戦
婆爾的海の情況
地中海の情況―セルビア軍の撤退
アドリア海最初の巡洋艦戦
セルビア軍の撤退(其二)
地中海及サロニカの情況(一九一六年一-六月)
第5章 地中海の情況(自一九一六年六月至翌年一月)
勃牙利軍の北部希臘侵入並に其結果及ピリーウス港に於ける聯合国艦隊
聯合側希臘に対し新要求を提出す
潜水艦戦
独国通商破壊艦
「メーウェ」
「レオパルド」
「ゼーアドラー」
「ウォルフ」
第7章 一九一六年乃至一九一七年に於ける独国海軍政策
独国の国論無制限潜水艦戦断行説に傾く
国論急変の原因
ベットマン・ホルウエッヒ、カール・ヘルフェリッヒ、ヤゴウ、ベルンストルフ等穏和説を主張す
参謀総長ファルケンハイン宰相一派に対抗す
ティルピッツ一派盛に無制限潜水艦戦論を宣伝す
海軍部内の文書権閲権と其悪用
潜水艦戦再興すべきや否やは軍事的兼政治的問題
シェーア大将有制限潜水艦戦の支持に傾く
宰相ウヰルソン大統領の居仲調停を要請して無制限潜水艦戦派の策動を封ぜんと謀る
ウヰルソン氏密旨を授けてハウス大佐を欧洲に差遣す
ウヰルソン氏の英仏側に内示せし調停条件
独逸政府調停条件を拒否す
英国外相の回答調停拒絶の意味に解せられ、英米国交に不利の影響を及ぼす
独逸宰相「開戦前の現状復帰」を条件とする米国大統領の調停乗出を阻止せんとす
ルーマニア聯合側に参戦す(一九一六年八月二十七日)
ヒンデンブルグ参謀総長に、ルーデンドルフ兵站総監に起用せらる(八月二十九日)
ヒンデンブルグ挙国の信望を得て隠然軍事独裁官の権威を振ふ
ヒンデンブルグ就任後最初のプレス会議無制限潜水艦戦を討議す
軍令部長ホルツェンドルフ無制限潜水艦戦の効能を誇張す
有制限潜水艦戦頻りに行はる
一九一六年六、七、八月中の喪失船舶数
ホルツェンドルフはヒンデンブルグの説得を試む
宰相皇帝に上書す
シェーア大将ヒンデンブルグに無制限潜水艦戦の必要を力説す
ウヰルソン氏大統領改選期間中調停乗出を見合す
ウヰルソン氏の演説英国外相に危惧を懐かしむ
駐英米国大使の招還と大使及英国外相の会見
英国外相ウヰルソン氏の「海洋の自由」主義に反対を声明す
ウヰルソン氏の認識不足と其調停乗出の真目的
「海洋の自由」の意義
国際聯盟(League ofNations)の着想
ウヰルソン氏羅馬尼の参戦を理由として調停見合を独国大使に通告す
ウヰルソン氏人命及宗主権の保護手段を説く
独潜U五三米国ナンタッケット灯船附近にて通商破壊を行ふ
独国の失業白国人強制使役法米国を怒らしむ
独潜頻りに違法行為を敢てす(「アラビア」号の撃沈)
ヒンデンブルグ宰相を圧迫して其権能を収めんと謀る
宰相駐米大使に電訓して大統領の調停乗出を慫慂せしむ
墺匈国物資欠乏に悩みて和を欲す
独逸陸軍の講和提議を支持せし理由
独逸陸軍の講和条件重し
独逸政府の講和条件決定す
講和提議に関する宰相の議会演説
独逸条件を示さずして和議を提唱す
独逸の和議提唱は無制限潜水艦戦の障害を除かんとする謀略に過ぎず
ウヰルソン氏交戦国に対し講和条件の提示を求む
アスキス内閣倒れ、ロイド・ジョーヂ組閣す(一九一六-一二-四)
新軍事内閣の顔振と其権限
英国政府独逸の和議を拒絶するに決す
独逸政府の無制限潜水艦戦断行決定と其真因
聯合側独逸の和議を正式に拒絶す
墺国和議交渉の継続を願望す
プレス会議(一九一七-一-八)無制限潜水艦戦断行を決議す
無制限潜水艦戦二月一日開始と決定し発令せらる
英国政府ウヰルソン氏の要請を拒絶することに依り報復を受けんことを恐る
聯合側ウヰルソン氏に講和条件を提示す
独逸政府米国政府の催促を受けて講和条件を提示す
ベルンストルフ大使無制限潜水艦戦断行を声明す(一月三十一日)
米国の武装中立と対独断交宣言(二月三日)
米国独逸に対し宣戦す(一九一七-四-六)
第8章 地中海の情況(一九一七年一-八月)
潜水艦戦の情況(一-五月)
オートラント防潜網堰襲撃とアドリア海々戦
潜水艦戦(一九一七年五-八月)
第9章 無制限潜水艦戦
一九一七年二月乃至四月
英国海軍省の判断
潜水艦戦の諸問題
独逸の推算したる英国の海上持久力
潜水艦戦の業績
無制限潜水艦戦開始とドーヴァー海峡襲撃
ドーヴァー海峡襲撃の反復
潜水艦戦―一九一七年四月
附録有