図書センキュウヒャクシジュウゴネン ロニチ カイセンシ000003984

千九百四五年露日海戦史 第1巻 下

サブタイトル1~10
編著者名
ロシア海軍省 編者
出版者
海軍軍令部
出版年月
1919年(大正8年)2月
大きさ(縦×横)cm
26×
ページ
11,438p
ISBN
NDC(分類)
391.27
請求記号
391.27/R72/1-2
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
折り込地図(1枚):1904年1月28日(2月10日)水雷敷設艦「エニセイ」の水雷敷設図 ほか30枚(第1号~第31号)
和書 史料調査会旧蔵資料
目次

第8章 戦争第一日ト航洋砲艦「マンヂユール」ノ上海ニ於ケル武装解除
千九百三年十一月三十日(十二月十三日)以降上海碇泊
艦長砲艦「マンヂユール」ノ旅順召還ヲ要求ス
日本ト国交断絶ノ通報
旅順回航命令
日本軍艦ノ我カ砲艦監視
開戦ノ通報
日本露国砲艦ノ出港ヲ要求ス
北京駐剳公使ニ対スル太守ノ依頼
極東太守砲艦ヲ武装解除ト決ス
砲艦内ニ於ケル軍事会議
出港準備及戦闘準備
武装解除ニ関スル太守ノ電報
上海ニ於ケル砲艦ノ状態
砲艦「マンヂユール」ヲ解装ト決ス
武装解除ニ関スル交渉
クローウン中佐旅順ニ招致セラル
クローウン中佐ノ戦死
上海ニ於ケルクローウン中佐ノ奮励
砲艦「シウーチ」ノ運命
第9章 千九百四年一月二十七日(二月九日)以降二月二十四日(三月八日)ニ至ル開戦当初ニ於ケル関東州沿
大連湾ニ於ケル水雷敷設
水雷敷設艦「エニセイ」ノ作業
一月二十七日(二月九日)夜ノ水雷敷設
一月二十八日(二月十日)ノ水雷敷設
(附図第一号)
一月二十九日(二月十一日)ノ水雷敷設
「エニセイ」艦底ノ水雷爆発
艦長ステパーノフ中佐ノ処置及其ノ最後
人員ノ損害
一月二十九日(二月十一日)青泥窪市ニ於ケル警報
関東州ノ水雷防禦ニ関スル第一回会議
巡洋艦「ボヤーリン」ノ日本駆逐艦捜索
巡洋艦「ボヤーリン」ノ罹災
艦長サルイチエフ中佐ノ動作
巡洋艦「ボヤーリン」ヲ遺棄シ之ニ向ヒ水雷ヲ発射ス
巡洋艦「ボヤーリン」捜索ノ為マツセウヰチ大佐ノ派遺
関東州水雷防禦ニ対スル第二回会議
巡洋艦「ボヤーリン」ヲ捜索ス
巡洋艦「ボヤーリン」ノ状態
一月三十一日(二月十三日)マツセウヰチ大佐ノ動作
二月一日(十四日)ノ捜索
巡洋艦「ボヤーリン」ノ沈没
サルイチエフ中佐ヲ軍法会議ニ付ス
海軍少将ロシチンスキーノ任命及動作
水雷巡洋艦「フサードニク」ノ行動
ロシチンスキー枝隊ノ出動及水雷敷設作業ノ開始
関東州水雷防禦ニ関スル第三回会議
二月五日(十八日)青泥窪ヨリノ報告
大連湾及其他港湾内ノ水雷敷設結了、枝隊ノ旅順帰還
敷設水雷監督官ニ対スル訓令
関東州諸湾ニ対スル其後ノ水雷敷設
水雷敷設ニ関スル宣言
商船ノ出入
巡洋艦「サビヤーカ」ノ商船砲撃
汽船ヲ青泥窪ニ回航セシム
青泥窪ノ閉鎖問題
軍事行動開始前ニ於ケル望楼問題
関東州ニ於ケル望楼ノ増設
二月七日(二十日)ニ於ケル望楼ノ配置
開戦前ニ於ケル港口防禦問題
港口防禦ノ増設
沿岸航行問題
ステツセリ将軍ノ決断
要塞兵援助トシテ海兵大隊ノ編成
陸戦隊ノ派遣
陸戦隊ノ縮小
第10章 千九百四年一月二十七日(二月九日)以降二月八日(二十一日)極東太守奉天ニ向ヒ出発ニ至ルマテ
開戦ノ報旅順ヨリ至ル
露国艦隊ノ旅順内港入港
港外泊地ノ警戒
一月三十日(二月十二日)会議
攻勢移転ノ決議
二月四日(十七日)太守官邸ニ於ケル会議
エベルガルド海軍大佐ノ意見書
二月四日(十七日)会議ノ決議
予定計画ハ実施セラレス
日本艦隊ノ根拠地帰投
一月三十一日(二月十三日)日本巡洋艦及駆逐隊ノ旅順附近偵察
露艦ノ偵察及旅順泊地ノ警戒
一月二十八日(二月十日)
一月三十日(二月十二日)
駆逐艦ノ偵察
芝罘海底電信線ノ不通
二月五日(十八日)巡洋艦及駆逐艦ノ偵察
鳩湾ニ於ケル夜中哨戒
太守奉天ニ向テ出発ス
艦隊司令長官ニ与フル太守ノ訓令
追加訓令
皇帝ノ親電
太平洋艦隊ノ編制
第11章 千九百四年二月八日(二十一日)以降二月二十四日(三月八日)ニ至ル艦隊ノ行動
日本軍機先ヲ制ス
東郷提督ノ旅順港口閉塞計画
閉塞計画ノ決行
港口水道ニ於ケル戦艦「レトウヰザン」ノ状況
戦艦「レトウヰザン」ニ対スル夜間警戒
閉塞船ノ襲来
閉塞船隊ノ行動
攻撃ノタメ露国駆逐隊ヲ派遣ス
閉塞船ノ臨検
二月十一日(二十四日)露国巡洋戦隊ノ出動
二月十一日(二十四日)日本艦隊ノ行動
二月十一日(二十四日)夜ニ於ケル露国駆逐隊ノ巡航
二月十二日(二十五日)ノ戦闘
駆逐艦「フヌシーテリヌイ」ノ最後
露艦ノ偵察
二月十六日(二十九日)巡洋艦戦隊ノ出動
対日本閉塞船港口防禦ニ関スル旅順会議
駆逐隊ノ偵察
二月二十二日(三月六日)巡洋艦ノ行動
マカロフ中将ノ着任及スタルク中将ノ出発
第12章 マカロフ中将ノ任命、同中将ノ作戦計画及太平洋艦隊統率中其ノ行動ニ関スル一般意見
旅順口ヘ急行スルノ必要ヲ認ム
千九百四年二月一日(二月十四日)会議
二月四日(十七日)ノ出発
旅行中ニ於ケルマカロフ中将ノ活動
太平洋艦隊ノ急速増勢
水雷隊増勢ニ関スル建策
ウヰレニウース枝隊ノ至急極東回航ヲ必要トスルマカロフ中将ノ意見
総指揮官ハ水雷隊増勢ニ関スルマカロフ中将ノ意見ニ同意ス
海軍技術審査会ノ決議
マカロフ中将ノ反駁
水雷隊増勢問題ノ解決
奉天、金州及青泥窪ニ於ケル滞在
旅順口到着
巡洋艦「アスコリド」ニ将旗ヲ掲ク
戦艦「レトウヰザン」ノ離礁
各艦艇ノ巡視及司令部ノ編成
総指揮官ノ指揮権
二月二十七日(三月十一日)マカロフ中将ノ報告
艦隊ノ欠点
マカロフ中将攻勢移転ヲ企画ス
マカロフ中将ノ作戦計画
敵兵ノ営口上陸ニ関スル風説マカロフ中将敵ト会戦スルニ決心ス
アレクセーエフ大将マカロフ中将ヲ制肘ス
艦隊ノ戦備
間接射撃
作業中マカロフ中将ノ遭遇セシ困難
マカロフ中将要塞用砲弾問題ヲ提起ス
砲兵本部ノ説明
砲兵本部ノ回答ニ対スルマカロフ中将ノ反駁
アレクセーエフ海軍大将砲弾問題ヲ解決ス
砲兵本部ノ第二回説明
マカロフ中将ハ其著「海軍戦術論」ヲ印刷ニ附センコトヲ請求ス
再度ノ要求、予算ナキノ故ヲ以テノ拒絶
艦隊乗員中殊勲者ニ対スル論功行賞
マカロフ中将ノ乗員ニ対スル態度、艦長等ノ更迭
軍港司令官ノ更迭
艦隊司令長官ノ権限縮小
マカロフ中将ノ範例
第13章 二月二十四日(三月八日)以降二月二十八日(三月十二日)ニ至ル艦隊ノ行動、駆逐艦「スチエレグ
駆逐隊ノ第一回偵察
出動ニ対スル訓令
行動計画
駆逐艦ノ出動
日本駆逐艦トノ遭遇
行動計画ノ変更
旅順口ヘノ帰還
日本駆逐隊トノ遭遇
駆逐隊ノ戦闘
「レシーチエリヌイ」ノ退却
「スチエレグーシチー」ノ戦闘
「スチエレグーシチー」ノ最後
海軍大佐マツセーウヰチ隊ノ沖合派遣
駆逐隊ノ出動
日本駆逐隊トノ遭遇及襲撃
駆逐隊ノ戦闘
「ウイノスリーウイ」ノ行動
「ウラストヌイ」ノ行動
日本駆逐艦ノ爆破
駆逐艦「ウラストヌイ」ノ死傷者
駆逐艦「フニマーチエリヌイ」及「ベズストラーシヌイ」ノ行動
戦闘後駆逐隊ノ会合、「ウラストヌイ」、ト「フニマーチエリヌイ」トノ衝触
日本艦隊ノ近接
老鉄山背後ヨリノ間接射撃
敵第一隊ノ射撃中止
敵第二隊ノ射撃
老鉄山ヨリノ監視
砲撃ニ依リテ蒙リタル損害
一月二十七日(二月九日)ノ戦闘後ニ於ケル艦隊ノ第一回出動
将旗ヲ「ペトロパウロフスク」ニ移ス
艦隊ノ出動
艦隊出動ノ効果及マカロフ中将ノ範例
艦隊ニ於ケル欠点
マカロフ中将ノ艦隊ニ与ヘタル訓令
敵ノ砲撃ヲ予防スル為マカロフ中将ノ執リタル手段
水雷ノ敷設
第14章 二月二十八日(三月十二日)ヨリ三月十四日(二十七日)ニ至ル間ニ於ケル我艦隊ノ行動、老鉄山背
三月九日(二十二日)夜ニ於ケル敵逐駆隊ノ襲撃
我艦隊ニ対スル汽醸命令
我艦隊ノ出動
敵艦隊ノ行動(第二回要塞砲撃)
我艦ノ間接射撃
敵艦隊我老鉄山観測所ヲ砲撃ス
我艦隊ノ行動
三月十三日(二十六日)ニ於ケル我艦隊ノ出動
廟島列島附近ニ於ケル「ノーウイック」及駆逐隊ノ行動
俘虜ノ尋問
我艦隊ノ行動
「ペレスウェート」、「セワストーポリ」両艦ノ衝突
敵閉塞船隊ノ第二回襲撃
敵閉塞船ノ準備及之ニ与ヘラレタル訓令
敵閉塞船ニ関スル我密偵ノ報告
港外泊地ノ防備手段
港外泊地ニ汽船ヲ沈置ス
敵閉塞船隊ノ行動(附図第二十一号)
我駆逐艦ノ襲撃
駆逐艦「シーリヌイ」ノ行動
駆逐艦「シーリヌイ」ト日本水雷艇トノ交戦
駆逐艦「シーリヌイ」ノ損害
駆逐艦「シーリヌイ」乗員ノ死傷
駆逐艦「レシーチェリヌイ」ノ行動
戦艦「ポルターワ」所属汽艇ノ行動
閉塞船隊襲撃ノ効果(附図第二十二号)
閉塞船隊襲来当時ニ於ケルマカロフ中将
三月十四日(二十七日)ニ於ケル我艦隊ノ出動
三月十四日(二十七日)ノ戦闘ニ関スル我将士ノ論功行賞
其後実施セラレタル港外泊地ノ防備法及港口水道ノ警備ニ関スル訓令
水雷敷設
要塞ニ対スル訓令ノ要旨
哨戒艦艇ニ対スル訓令
第15章 三月十五日(二十八日)ヨリ三月三十一日(四月十三日)ニ至ル間ニ於ケル我艦隊ノ行動、駆逐艦「
マカロフ中将更ニ敵閉塞船ノ襲来ヲ予期ス
巡洋艦ノ当直勤務
マカロフ中将港外泊地ニ起居ス
我艦隊ノ最後ノ出動
三月二十九日(四月十一日)授受セル芝罘電報
三月三十日(四月十二日)裏長山列島ヘ駆逐艦ヲ派遣ス
マカロフ中将ノ命令及一般作戦計画
駆逐隊ノ出動準備及其作戦計画(附図第二十三号)
聯合駆逐隊ノ旅順口出港
第二駆逐隊艦尾灯ヲ滅ス
第二駆逐隊ノ行動。三山島附近ニ於ケル「ストラーシヌイ」及「スメールイ」ノ行動(附図第二十三号)
「スメールイ」日本駆逐艦ト遭遇ス
敵駆逐隊ノ「スメールイ」砲撃
駆逐艦「ラストロープヌイ」ノ行動
三山島航過後ニ於ケル第一駆逐隊ノ行動
裏長山列島ノ偵察(附図第二十三号)
駆逐隊ノ旅順口帰還
日本駆逐艦ト遭遇ス
駆逐艦「ストラーシヌイ」ノ行動
駆逐艦「ストラーシヌイ」誰何信号灯ヲ掲揚ス
艦長ノ戦死
「ストラーシヌイ」ニ於テ水雷爆発ス
機密図書ヲ海中ニ投棄ス
「ストラーシヌイ」ノ沈没
巡洋艦「バヤーン」、駆逐艦「ストラーシヌイ」ヲ救助センカ為出動ス
敵ノ駆逐隊ヲ砲撃ス
日本巡洋艦六隻近接シ来ル
敵巡洋艦戦隊トノ交戦及駆逐艦「ストラーシヌイ」乗員ノ救助
「ストラーシヌイ」ノ戦死者
「バヤーン」ノ帰還
旅順口ニ於ケル三月三十日(四月十二日)ノ夜
司令長官発砲ヲ許可セス
巡洋艦ノ出港(附図第二十四号)
我戦艦戦隊ノ出港
マカロフ中将駆逐艦「ストラーシヌイ」乗員ノ救助ニ赴ク(附図第二十五号)
敵巡洋艦戦隊トノ戦闘(附図第二十五、二十六号)
我艦隊旅順口ニ帰還ス(附図第六十号)
「ペトロパウロフスク」ノ沈没
乗員ノ救助
「ペトロパウロフスク」ノ殉難者
「ペトロパウロフスク」沈没後ニ於ケル我艦隊ノ行動
「ポベーダ」ノ爆発(附図第二十七号)
我艦海面ヲ射撃ス
「ペトロパウロフスク」沈没ノ原因
「ペトロパウロフスク」ノ沈没セル原因ノ調査
マカロフ中将戦死ノ影響
第16章 四月一日(十一日)ヨリ四月二十二日(五月五日)ニ至ルアレクセーエフ大将ノ直接指揮中ニ於ケル
公爵ウフトムスキー少将ノ艦隊指揮
アレクセーエフ大将ノ到着及老鉄山背後ヨリ行ハレタル敵ノ第三回旅順口砲撃
我艦隊ノ間接射撃
旅順口ニ於ケル我艦ノ行動
強力電波ヲ送リテ敵ノ弾着修正ヲ妨害ス
潜水艇防禦法
太守艦隊司令長官ノ職ヲ執ル
スクルイドロフ中将艦隊司令長官ニ任命セラル
太守司令部ノ編制
我艦隊ノ状態
太守ノ行動
駆逐艦ノ出動準備ニ関スル諮問
積極的作戦計画
太守ノ実行セル事業
港外泊地ノ防備
港外泊地ノ警備ニ関スル太守ノ訓令
港口ノ防備
敵ノ間接射撃ニ対スル防禦手段
四月八日(二十一日)ニ於ケル水雷敷設作業及ペルリ大尉ノ戦死
水雷爆発ノ原因
港外泊地ノ掃海理由
四月七日(二十日)我砲台「ペトロパウロフスク」ノ「ランチ」ヲ砲撃ス
「ペトロパウロフスク」沈没ノ原因ニ関スル彼得堡ヨリノ電報
戦艦「ペトロパウロフスク」沈没ノ原因決定セラル
水雷士官会議及其決議
掃海隊ノ編制
旅順口ニ於ケル予備品ノ不足及将士ノ活動
航空隊ノ編制
船渠拡張計画
レプコ大尉ノ建策
太守グレーヴェ少将ヲ旅順口ニ招還センコトヲ上申ス
要塞ノ防備 艦隊ヨリ予備弾薬ヲ供給ス
艦隊ヨリ機関銃ヲ提供ス
艦隊ノ間接射撃ニ関スル問題
艦隊ヨリ備砲ヲ要塞ニ提供ス
太守艦隊ヲ編制ス
日本艦隊ノ行動
英国汽船ヲ抑留ス
エッセン少将ノ行動報告
四月十五日(二十八日)未明ニ於ケル敵艦隊ノ偵察行動
日本第一軍ノ状況
日本大本営ヨリ東郷提督ニ与ヘラレタル訓令
東郷提督ノ行動
時機ノ問題
日本側公報ニ拠ル旅順口第三回閉塞船隊ノ編制
日本艦隊ノ行動
港口閉塞
四月十九日(五月三日)ヨリ四月二十日(五月四日)ニ至ル夜間ニ於ケル旅順口
旅順口第三回閉塞ノ成績(附図第三十一号)
日本閉塞船隊ノ撃退手段
我駆逐隊ノ行動
我哨戒汽艇ノ行動
閉塞隊員ノ運命
捕虜ノ陳述
港口ハ安全ナリ
日本駆逐隊及艇隊ノ損害
我艦艇ヨリノ砲火
太守自ラ襲来閉塞船ノ撃退ヲ指揮ス
敷設水雷ノ現状報告
防禦計画ニ関スルロシチンスキー少将ノ建策
港口水道ノ通航自由ナルコトヲ新聞紙等ニ掲載スルコトヲ禁止セラル
敵ノ出現
塩大澳ニ於ケル敵軍上陸ニ関スル情報太守奉天ニ召還セラル
四月二十二日(五月五日)ニ於ケル日本艦隊ノ出現
我偵察隊敵ト遭遇ス
太守ノ出発
スクルイドロフ中将極東ニ向フ
ウイットゲフト少将将旗ヲ掲揚ス
太守出発前ニ於ケル乗員ノ論功行賞
太守ノ発セル最後ノ命令
ウイットゲフト少将ト太守ノ訓令