石原莞爾資料
第1部 関東軍参謀時代
満洲事変前
日記
北満現地戦術(昭和四年三月計画)
戦争史大観(四年七月四日)
国運転回ノ根本国策タル満蒙問題解決案(四年七月五日)
関東軍満蒙領有計画(四年七月)
講話要領(昭和五年三月一日)
軍事上ヨリ観タル日米戦争(五年五月二十日)
為横山君(五年七月十日)
〔所見〕(昭和六年一月以降)
現在及将来ニ於ケル日本ノ国防(昭和六年四月)
〔欧洲戦史講話〕結論(六年四月)
満蒙問題私見(六年五月二十二日)
中村大尉捜索ニ関スル件(六年八月十日 関東軍参謀長)
永田大佐宛書翰(六年八月十二日)
満洲事変
満蒙問題解決策案(六年九月二十二日 関東軍参謀部)
満蒙統治方案(六年十月一日)
満蒙問題ノ行方(六年十二月二日)
満洲建国前夜の心境(昭和十七年)
新国家内ニ於ケル日支人ノ地位ニ就テ(昭和七年一月二十五日)
満蒙ノ開発ニ就テ(七年二月頃)
満蒙ト日本ノ国防(七年四月五日)
為小畑少将(七年四月二十二日)
満洲平定方略(七年四月二十四日 関東軍参謀部第一課)
満洲離任前後
満洲経略方針(七年六月五日関東軍参謀部第一課)
為磯谷大佐(七年六月二十五日)
関東軍ノ人事ニ就テ(七年六月二十六日)
板垣大佐来哈(七年七月四日)
板垣少将へ(七年八月十二日)
満蒙〔経略〕ニ関スル私見(七年八月二十三日)
第2部 聯隊長時代
軍事上ヨリ見タル皇国ノ国策並国防計画要綱(昭和八年六月)
〔満洲国育成構想〕(昭和九年三月)
為花谷君(昭和十年八月)
申送事項(十年八月二日)
第3部 参謀本部時代
日記
日記
作戦課長
為参謀次長(昭和十年九月)
〔現下国策ノ重点〕(十年末)
為今村・新参謀副長(昭和十一年三月)
日満財政経済調査会(昭和二十一年)
戦争指導課長
戦争発達史要綱(昭和十一年六月)
第二課業務進捗計画
総動員第三次期間計画設定ノ為資源取得(輸入ヲ含ム)ヲ胸算シ得ヘキ範囲決定ニ関スル要望(十三年六月十八
満洲国ニ関スル要望(十一年六月二十二日 参謀本部)
戦争準備ノ為産業開発ニ関スル要望(十一年七月二十三日 参謀本部)
戦争準備ノ為帝国飛行機及兵器工業ヲ速ニ満洲ヘ推進セシムル為ノ要望(昭和十二年一月十二日参謀本部)
内閣更造ノ場合陸軍大臣ノ入閣条件トシテ要求スヘキ事項(十二年一月十八日参本第一部)
満洲(朝鮮ヲ含ム)ニ陸軍用飛行機製作力ノ主力ヲ施設スルノ必要ニ就テ(十二年一月十九日 参謀本部第一部
国防国策
国防国策大綱(昭和十一年六月三十日〔参謀本部〕第二課)
戦争準備計画方針(十一年七月二十九日〔参謀本部〕第二課)
対ソ戦争指導計画大綱(十一年八月 参謀本部第二課)
対支政策ノ検討(案)(十一年九月一日 参謀本部第二課)
帝国外交方針改正意見(昭和十二年一月六日調製 参謀本部第二課)
対支実行策改正意見(昭和十二年一月六日調製 参謀本部第二課)
帝国外交方針及対支実行策改正ニ関スル理由並支那観察ノ一端(昭和十二年一月六日 参謀本部第二課)
日支国交調整要領
冀東ノ指導開発ニ関スル私見(昭和十二年一月十八日)
陸軍省ニ対シ対支政策ニ関スル意志表示(十二年一月二十五日 参謀本部)
二・二六事件
兄の憶ひ出(石原六垠)
第4部 関東軍参謀副長時代
戦争計画要綱(戦争指導方針)(自昭和十二年九月至十三年六月)
〔対ソ国防建築〕(十三年三月)
現在ニ於ケル我ガ国防(十三年五月)
戦争史大観(十三年五月訂正)
〔満洲国内面指導撤回要綱〕(十三年六月)
関東軍司令官ノ満洲国内面指導撤回ニ就テ(十三年六月)
関東軍司令官ノ満洲国内面指導撤回ニ就テ(十三年八月)
陸軍士官学校満洲国生徒に対する講演概要筆記(十三年五月十日)
協和会東京事務所に於ける座談要領(十三年五月十二日)
〔軍ノ政治退却ニ関スル意見〕(十三年八月)
第5部 舞鶴要塞司令官時代
日記
軍ノ政治参与ニ関スル意見(昭和十四年二月)
日本皇国ノ東亜聯盟国防ノ担任(昭和十三年十一月頃)
外交国策ニ関スル所見(十三年十一月)
書翰
世界戦争観(十四年三月十日)
満洲建国ヨリ支那事変ヘ(十四年六月二十五日)
ナポレオンの対英戦争について(十四年九月十一日)
第6部 師団長時代
日記
日記
滲透戦法
団隊長会議訓示(昭和十四年九月十六日)
第一期教育ニ関スル指示(十四年十二月七日)
幹部演習並戦術教育ニ就テ(十四年十二月七日)
新戦術ニ関スル考察(昭和十五年三月十七日)
第二期教育ニ就テ(十五年三月十七日)
歩兵ノ攻撃戦闘ニ関スル研究(十五年五月九日)
昭和十六年度第一期教育ニ就テ(十五年十一月五日)
優秀者及保護兵教育ニ就テ(十五年十月十六日)
軍隊内務特ニ下士官ノ重責ニ就テ(十五年十一月一日)
師団北満移駐準備
訓示(十五年四月二十四日)
昭和十五年四月二十四日師団長訓示説明(第十六師団司令部)
建言
為阿南次官(十五年三月二十七日)
支那事変処理方針(十五年五月十日)
為木村中将(十五年十一月五日)
所謂総力戦ニ就テ(十五年十一月十八日)
書翰(昭和十六年一月十三日)
回想
石原莞爾中将回想応答録(昭和十四年秋 参謀本部〔支那事変史編纂部〕作成)
退官
〔退官挨拶〕(昭和十六年三月)
第7部 民間時代
戦争指導方針等
戦争指導方針(昭和十六年十二月九日)
〔戦争指導方針〕(昭和十七年二月五日)
戦争指導方針(十七年八月二十八日)
〔戦争指導方針〕(昭和十八年四月一日)
大東亜戦争ノ戦争指導ニ就テ(昭和十九年正月)
〔中国回志ヘノ回答要旨〕(十九年四月十一日)
皇族内閣ノ意義(十九年九月六日 山口重次筆記)
英雄「ヒットラー」ヲ吊フ(昭和二十年七月二十四日)
著作講演等
国防論大綱(昭和十六年春 立命館大学国防学研究所〔刊〕)
〔著書絶版一件〕
欧洲大戦の進展と支那事変(十六年七月十八日)
東亜に於ける交通事情(十六年九月二十二日)
東亜聯盟(昭和二十一年)
石原の軍事的構想とその運命(角田順)
付録・年譜・附図