真珠湾への道
第1部 訣別
対抗の半円陣
失われた最後の機会―一九三七年
日本 内陸深く侵入す―一九三七―三九年
日本の戦略立案者らの狼狽―一九三九年八月
訣別、されどいまだ敵視に至らず―一九三九―四〇年の冬
第2部 敵対
ドイツ戦勝の第一波 南西太平洋に達す―一九四〇年四月
米国の当面する深刻なジレンマ―一九四〇年五月
日本 南進を開始―一九四〇年六月
米国政府の隠忍
日本 新内閣を選ぶ
消えない墨でかき下された日本の政策―一九四〇年七月
米国の最初の断乎たる対策
策動と抵抗
米国 屑鉄の船積を禁止
枢軸との同盟の結成―一九四〇年九月
米国 英国に接近
米国の大統領選挙戦終る―対日共同政策への発展
松岡 日・独・伊・ソの大同盟を策す
日本 同時に南進を策す
身振りと前ぶれによる外交―一九四〇―四一年冬の米国外交
第3部 敵視
米国英国と世界戦略の一致に達す―一九四一年三月
ハルと野村 平和方式の探求を開始す
松岡 ベルリン・モスクワに赴き中立条約を携えて帰国す
睨み合う日本外交の二つの顔―一九四一年四月
米国 大西洋に行動すれど日本は静観するか―一九四一年春
日本いら立ち ドイツ、ソ連に侵入す―一九四一年五―六月
日本 重大決定を行う―一九四一年七月二日
近衛内閣総辞職―松岡を排除す
米国および英国 制裁を準備す
在米日本資金の凍結
対日石油供給は引続き許さるべきか
日本の選ぶべき途明らかとなる
ルーズヴェルト・チャーチル会見―アージェンティア会談とその後の成行(一九四一年八月)
日本統帥部 米国との対決を要求
ルーズヴェルト・近衛会談の可能性消ゆ=日米交渉全く停頓=―一九四一年十月
日本陸軍開戦を主張―近衛退陣し東条、首相となる
第4部 開戦
対米最終提案の内容決定―一九四一年十一月五日
十一月―米国政府立場を堅持し準戦体制を急ぐ
日本の最後的協定案検討され不満足とみなさる
米国の回答依然強硬―十一月二十六日
最後の諸措置と戦争への形式的手続
戦争の幕切って落さる
訳註