海底電線と太平洋の百年
太平洋海底線の黎明と日本
大西洋の余波をうけた北太平洋
さらにその波は日本へ
ロシアの東漸政策と通信
東部シベリア総督ムライエフ
幕末日本における海底線交渉
大政奉還直前における外国奉行の応待ぶり
海底線企業の偉人サイラス・フィールドの登場
そのほかの大もの大西洋上に出そろう
通信界空前絶後の歓呼
空しき栄光となる
もう一人の偉人ハイラム・シブレーの登場
先駆者としての信念と実行力
海底線計画の副産物アラスカの買収
シブレーの置きみやげ(対外膨脹論者シュワード国務長官)
アメリカから日本への海底線陸揚げ交渉
フィールドも来日し井上外務卿と折衝した
初期における米支通信問題
すべて手後れのアメリカ
ハワイを中心とする英米企業家の抗争
野心と警戒心怠りない英米両国
たびたびかつぎだされた日本
フィリッピンの領有とアメリカ系海底線の実現
実力者マッケー
アメリカよりも老獪な英国のフィリッピン工作
日米海底線も英国の傘下にあったとは
英国は日本をどうみていたか
太平洋計画の夢を抱いた人々
ついに実現した日米連絡海底線
冒険的な布設作業
貴重な経験となる
明治天皇とルーズベルト大統領の祝電
太平洋に海底線網をもったドイツ
漁夫の利を得た日本
ヤップ島にからまる日米の紛争
太平洋をねらったその他のもの
フランスはあえなく挫折
日本における電信事業の芽生え
あわただしい徳川幕府の末期と電信
遣外使節団と進歩的青年洋学者の輩出
外国からのはたらきかけ
献品外交と企業的野心
国内における電信創業への胎動
幕府にも創業の意欲、向山栄五郎、榎本武揚
きめ手となった寺島宗則の実行力
寺島宗則
ブラントン
斎藤大之進
国営民営の論
外国勢力には警戒的であった
お雇い外国人とその功罪
光るエアトン、ストーン、メーソン
技術の育成と工業教育
伊藤博文、山尾庸三の卓見
電信創業当時の状況
長崎
東京
函館間の工事を急ぐ
大北電信会社と日本
日本を目ざす欧米の通信勢力
ロシアがでてきた経緯
大北電信会社の日本における海底線陸揚権獲得交渉
開港地のすべてをねらう
外交々渉としてまかり通る
寺島外交大局をあやまらず
大北電信会社によって行なわれた電報営業
領事が電報営業を行なう
日本の営業自主権と開業式
日本の対外通信の独占権を握る
独占権を与えた代償は
日韓間の大北電信会社海底線の買収
若宮正音の交渉ぶり
対外通信独占権の終末に際して行われた論判
複雑多岐の難交渉となる
宿命の年一九三〇年
大北電信会社にも日本にも宿命の年
暗礁に乗りあげたまま戦乱の時代へ
陸揚権および運用権の回収(一九四〇年)
小林武治の布石、田村謙治郎の強腰、大和田悌二の大局判断
大北電信会社との関係消滅
大北電信会社との関係再開
一九四〇年の線で
海底同軸電話ケーブルの時代
急ピッチの技術革新
海底同軸電話ケーブルとは
太平洋横断同軸電話ケーブル
同軸電話ケーブルの気運
日米交渉はじまる
法律問題
準備体制および機構
協定書の調印
資金および外資
海洋調査
ケーブルの製造
陸揚げ施設および連絡線
ケーブルの布設工事
太平洋ケーブルの開通
ケーブル・シップKDD丸
英連邦ケーブル網
インド洋よりウェートを増した太平洋
エリザベス女王の声をホンコンへ
日本海同軸電話ケーブル
印象深いKDDの盛業
日本の提案した東南ア・ケーブルSAFEC
待望される日本の技術と指導力
附有り