わが半生
- サブタイトル
- 編著者名
- 梶井 剛 著者/小竹 芳雄 編者
- 出版者
- 梶井剛
- 出版年月
- 1968年(昭和43年)5月
- 大きさ(縦×横)cm
- 22×
- ページ
- 520p
- ISBN
- NDC(分類)
- 289
- 請求記号
- 289/Ka22
- 保管場所
- 地下書庫和図書
- 内容注記
- 著者の肖像あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
第1章 生いたち
小中学時代
一高時代
東大時代
第2章 逓信省時代
工務課雇から東京逓信局へ
結婚
夜学校の教師
電気事業の監督
辞職工作
外国留学
市内線路係主任・調査係主任
マージャン
写真電送
ポケットブック
発達調査
文献の整備
音楽放送事始
電話民営論
無装荷ケーブル
減俸反対運動
住友からの入社しょうよう
満州電信電話会社の設立
稲田三之助さん
米沢与三七さん
小平浪平さん
志田文雄君
工務局長となる
日本電信電話工事会社の設立
大学の講師
日本電気のI・T・T持株を減らす
東北金属工業会社の創設
華北・華中・蒙彊電信電話会社の設立
工務局の拡充
逓信局を辞職
鮎川義介さんから日産入社勧誘
学位を受ける
ゴルフの話
第3章 住友入社と日本電気時代
住友入社
ロータリー・クラブと社交演芸
役人と民間人
機械技術者の重要性
日本電気を住友の直系会社にする
住友の家憲と職場結婚
住友精神と小倉さん
玉川真空管工場の火災
戦争中のI・T・T対策
近衛公に意見具申
永野軍令部総長に進言
工場の朝礼と本間俊平先生
岩国で戦機迫るを感ずる
レーダー用真空管の研究開発
徴用工宿舎の入手と工場の疎開
機上無線機の生産
松下電器の役員に就任
神奈川県知事の誤解事件
どうしても疎開しない妻
家族ぐるみの工場疎開
自宅に兵隊と同居
兄の家に無法な居住者
玉川工場の被災
無条件降伏と天皇制護持
松下氏にフイリップス社との提携を奨める
希望退職で人員整理
終戦直後の不愉快な想い出
八木博士のために一言弁ず
米軍飛行士を難詰する
住友財閥の解体と役員辞職
住友吉左衛門さんの博愛主義
財閥解体とI・T・T
徴発を免れた代々木の自宅
誤報された日本電気の労使会議
長男健一の結婚
母と姉を失う
同業会社の協力と役員のインターリンク
白金監視兵の乱行
第4章 追放時代
電気通信協会
東海大学のこと
言論界も追放
英会話の勉強とアーニーパイル・ライブラリー
追放中の姿勢談義
木村兵太郎大将
魚探機の開発と海上電機株式会社の設立
凸版印刷の社外重役になる
共同倉庫株式会社の設立とその効用
徐学禹君の友情
民間放送の開始
第5章 日本電信電話公社時代
日本電信電話公社の発足
ついに総裁を引受ける
現場訪問と管理所の廃止
毎月決算制の実施
仮払いを断行
第一次五カ年計画
電信電話料金の二割値上げ
マイクロウェーブの実施と挿話
赤電話の由来
国際電信電話会社の設立
御木本翁の想い出
中央学園に高等部を創設
映画人と知り合う
第二回目の外遊とその雑感
小さな親切
十四日会のこと
沢田夫人とエリザベス・サンダース・ホーム
妻を失う
東京・大阪間マイクロウェーブ開通披露式
総裁公邸の買入れとその利用
青桐会のこと
ベルクラブ
私の舞踊
クロスバー交換機の導入
同軸ケーブルの国産化
無電話部落の解消
墨田局の殉職者慰霊碑
一期の任期満了に辞任を申し出る
那須マイクロ中継所に両陛下の行幸啓を仰ぐ
田中角栄先生と中央工学校
計画局と経営調査室の設置
わが国の通信機器ならびに電線製造業界
台湾・ベトナム紀行
第三回目の外遊とその雑感
総裁辞任とその経緯
第6章 その後
科学技術会議議員となる
文部省の各種審議会の委員となる
日本国有鉄道の顧問となる
海外電気通信協力会会長として
日本通信協力会社の設立
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