石渡荘太郎
序文(石渡荘太郎伝記編纂会代表・入間野武雄)
石渡家のこと
石渡家のこと
父、石渡敏一
石渡一族
三淵忠彦
石渡敏一の監獄通
生ひ立ち
荘太郎の誕生
阪本小学校時代
学習院に入る
学習院の寮生活
鹿野山紀行
「春雨日記」
学習院時代の交友
一高時代
大学時代
大蔵省に入る
大蔵省に入る
大蔵省初期時代
第一期大阪勤務時代
参事官室附となる
幸橋税務署長となる
結婚
大阪税務監督局へ赴任
関東大震災
東京税務監督局へ転ず
本省に入る
本省主税局入り
税制整理
土地賃貸価格調査
国際二重課税及脱税防止会議に列席
田中内閣から浜口内閣へ
地租法制定へ
井上蔵相と減税案
斉藤内閣
明糠事件
星野直樹、満洲国へ
帝国人絹事件
岡田内閣の出現
岡田内閣の諸問題
紛糾した昭和十年度予算案
藤井蔵相の死
天皇機関説問題
内閣調査局へ転出
馬場人事
内閣調査局調査官となる
調査官としての仕事振り
馬場財政の狙ひ
大蔵省に復帰
結城蔵相の登場
主税局長に帰り咲き
賀屋蔵相のもとに次官になる
第一次近衛内閣
近衛内閣の改造
賀屋の辞任、池田の登場
池田蔵相のもとに次官を続ける
石渡と酒類行政
五相会議始まる
父敏一の逝去
近衛内閣衰頽の徴
池田と石渡
平沼内閣の蔵相に就任
平沼内閣へ移行
大蔵大臣となる
三国同盟問題
三国同盟問題に悩む
防共協定から三国同盟へ移行した経過
紛糾を続けた五相会議
ガウス案
独ソ不可侵条約
平沼内閣の瓦解
米内を中心に
緒方の記述から
複雑怪奇の本態
桜内農相の記述
東京裁判の誤解
抗議書を提出
汪精衛政権の顧問に
阿部内閣成立
汪政権の顧問となる
米内内閣の書記官長
米内内閣の成立
組閣参謀となる
内閣の性格
組閣の苦心
閣内をめぐる空気
米内内閣への反感
湯浅内府の辞任
有田外交
近衛の外遊問題
青木一男中国へ行く
近衛新体制と米内内閣の退陣
勅選議員となる
翰長の経験は大きな試煉
大政翼賛会に入る
大政翼賛会事務総長
政治新体制運動の推移
三国同盟締結
松岡外交の推進
日華基本条約と南方政策の進展
日米交渉の経過
近衛の退陣、東条内閣へ
国府経済最高顧問へ
東亜経済懇談会長から国府経済最高顧問へ
二度目の蔵相
二度目の蔵相
長男良一の殉職
結城日銀総裁の更送
東条内閣の退陣
石渡、小磯内閣に残留
再び翰長となる
宮内省に入る
宮内大臣就任
終戦時の苦心
型破りの宮相
松代大本営のことなど
終戦の構想
ポツダム宣言受諾
終戦への苦難
八・一五事件
玉音放送の前夜
石渡の追憶談
占領治下の宮廷
「石渡外交」-皇室財産のこと
天皇、マッカーサー元帥を訪問
天皇の「人間宣言」
皇太子と学習院のこと
宮相を辞す
成城閑居
成城の生活
「六人会」のこと
私生活の断面
発病から最期まで