図書目録ナカハマ マンジロウ デン資料番号:000001951

中浜万次郎伝

サブタイトル
編著者名
中浜 東一郎 著者
出版者
冨山房
出版年月
1936年(昭和11年)4月
大きさ(縦×横)cm
23×
ページ
488,17p
ISBN
NDC(分類)
289
請求記号
289/N33
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
中浜万次郎の肖像あり
昭和館デジタルアーカイブ
和書 史料調査会旧蔵資料
目次

1 中浜家の系図
お六
悦助
万次郎

2 万次郎の幼時
魚釣りの逸話
米搗きの工夫
記念の石臼

3 海上の遭難
万次郎等の出漁
嵯〓岬沖の遭難
四日間の漂流
黒潮に乗る

4 宇佐ノ浦の騒擾、中浜一家の悲嘆
遭難の風聞
船主徳右衛門の奔走
万次郎一家の悲嘆
形ばかりの葬式
仮の墓石

5 無人島
海鳥の群
洋中の孤島
漁船の転覆
重助の負傷
島の探検
洞窟の発見
信天翁の群棲
信天翁の種類及び習性

6 無人島の半ヶ年
無人島の生活
古墳及び古井戸の発見
島の地震
信天翁の南帰
食料飲水の欠乏
洋上の船影
救ひの小船
異様なる船員
一同の収容
無人島は鳥島なり
鳥島の沿革

7 捕鯨船ヂョン・ホーランド号
船長の配慮
万次郎の誤解
捕鯨船の内部
ヂョン・ホーランド号の航程
米国の捕鯨業の盛況
捕鯨船
捕鯨の方法
ヂョン・ホーランド号の航海日誌
鯨油業の衰微

8 ホノルヽ港、万次郎の渡米
ヂョン・ホーランド号のホノルヽ入港
万次郎の英語
ホノルヽ港の状況
土人の風俗
医師ヂョーヂ氏
一同の布哇上陸
船長の懇望
万次郎の快諾

9 筆之丞の改名、帰朝計画の失敗
筆之丞伝歳と改名す
兵庫の漂民善助の訪問
伝蔵等自活の計を立つ
江戸の漂民安太郎等の話

10 重助の病歿
重助痢病に罹る
コウラフの名医
重助の病歿
カネオエの墓地
牧師バリケヤ
伝蔵兄弟カネオエに留る

11 船長ホイットフィールド氏との再会
伝蔵兄弟と船長との再会
船長伝蔵の小舎を訪ふ
捕鯨船フロリダ号
伝蔵兄弟帰国を計る
寅右衛門の残留

12 帰朝計画の失敗
フロリダ号の航海
カナカ島の風俗
伝蔵布哇の流民に逢ふ
グァム島寄港
八丈島に近づく
松前の岸に上陸す
目的を達せずして再び本船に帰る
ルシン山下の遭難
伝蔵兄弟ホノルヽに帰る

13 万次郎第一回の遠洋航海
名をヂョン・マンと改む
ジルベルト群島
グァム島
日本の沿岸を廻航して再び南洋に出づ
再度のグァム島寄港
南アメリカの廻航
ニューベッドフォード港帰着
ヂョン・ホーランド号の成功

14 万次郎米国に上陸す
フエーヤヘブン町の沿革
船長ホイットフィールド氏の家庭
万次郎はエーキン氏の家に寄宿す
アレン嬢の塾
船長の再婚
スコッチカット・ネックの新居
万次郎船長の家に帰る

15 三年の勉学
有色人に対する米人の偏見
万次郎の教育と教会の反対
バートレット校と万次郎
船長の航海
夫人の安産
万次郎桶屋の徒弟となる
航海術測量術を学ぶ
校長バートレット氏の事
バートレット氏の近親コール夫人の挿話

16 万次郎第二回の遠洋航海
捕鯨船フランクリン号の出漁
ボストン港
アソレス群島ファイヤル島
サンチアゴ島
喜望峰を過ぐ
巨亀の捕獲
タイモール島
往昔の食人島ニューアイルランド
グァム島
停船中船長に送れる書翰
小笠原島
琉球諸島の上に上陸す
鳥島近海の投錨
奥羽の沿岸にて日本の漁船に会ふ

17 万次郎伝蔵等と再会す
ホノルヽにて寅右衛門に会ふ
伝蔵兄弟との奇遇
船長デーヴィス氏の発狂
万次郎副船長に選ばる
再度の日本沿岸廻航
米国帰着

18 万次郎加州の金山に入る
加州の金鉱
万次郎同行者を得て加州に赴く
桑港にて初めて汽船に乗る
サクラメント市より汽車にて金山に入る
金山の盛況
採掘の方法
七十余日にして銀六百枚の所得
飄然山を下りて桑港に帰る

19 万次郎ホノルヽにて帰国の計画をなす
便船を得てホノルヽに至る
伝蔵等と帰国の相談をなす
寅右衛門の反対
米船に便乗せる五人の日本人
帰国計画の一頓挫
ホノルヽ発行「フレンド」誌の記事

20 帰朝の準備
サラ・ボイド号の入港
万次郎等の便乗
端艇の購入
牧師デーマン氏の助力
米国領事の証明書
「ポリネシヤン」紙上の後援記事
万次郎船中よりホイットフィールド氏に書翰を送る

21 万次郎等の琉球上陸
船長の勧告
万次郎の孝心船長を感動せしむ
万次郎島の距離を測る
端艇にて島に向ふ
小渡浜上陸
那覇に護送せらる
那覇の里主に届出でたる覚書

22 万次郎等の翁長村拘禁
那覇を避けて翁長村に送られたる理由
小禄より那覇市長に通達せる公文
村役人徳門家を漂民の宿舎に充つ
滞在中の取締
那覇市長より外国系に差出したる公文
万次郎琉球語を学ぶ
万次郎村人と親しむ
オランダ芋輸入の伝説

23 万次郎等の薩摩護送
琉球に於ける外国船の渡来と薩藩の内情
薩藩奉行等の取調べ
薩藩への報告
鹿児島護送の命
万次郎死を決して翁長村を出発す

24 万次郎等鹿児島にて大いに優遇せらる
藩主斉彬、万次郎を召して海外の事情を問ふ
船大工を万次郎の宿舎に送りて西洋帆船の雛形を作らしむ
薩摩守より幕府に提出せる取調書
長崎護送

25 万次郎一行の長崎護送
鹿児島より長崎へ
長崎奉行の取調べ
踏画
漂流者の所有物目録
入牢の命
薩藩の重役より土藩の留守居役に送れる書翰

26 万次郎等長崎に滞在す
佐倉町の獄舎にて寅吉等五人に再会す
三日間の入牢
土州藩より提出せる漂流民身元調べ
土藩より派遣せる漂流民受取の役人
奉行所の申渡書

27 万次郎等故郷に帰る
長崎上陸後九ヶ月にして土佐に向ふ
高知城下の群集
土州藩主山内容堂公
大目附吉田東洋氏
一生一人扶持の給与
万次郎三家に召さる
十二年振の帰郷
母子再会の光景
福羽子爵の和歌

28 万次郎の出世
万次郎土佐藩主に召出さる
定小者として武士の末班に加へらる
佩刀を許されし時の逸話
教授館の下遣
後藤象二郎、阪本竜馬、岩崎弥太郎氏等に彼れの感化を与ふ
幕命により江戸に召さる
老中阿部伊勢守
開国の気運漸く迫る
烈公等の攘夷論
万次郎漂流談の流布
大槻磐渓氏が林大学頭に提出せる意見書
幕府より土佐藩に下せる申達書

29 万次郎の出府
万次郎土藩邸に入る
諸有司の諮問に繁忙を極む
江川坦庵と万次郎の黙契
造船所の顧問
幕府と土藩との交渉文書
中浜の姓について

30 万次郎幕府出仕を命ぜらる
幕府の直参に抜擢せらる
任用の辞令
土藩主の御礼書
万次郎代官江川太郎左衛門手附となる
長崎奉行に没収されたる書籍、器械類の返附願
木所の江川邸に移る
通弁名村五八郎氏に英語を教授す
扶持米に関する文書

31 万次郎と吉田松陰
佐久間象山の画策
松陰の渡米計画
象山も松陰に連坐して投獄せらる
象山の獄中書翰

32 日米談判の際に於ける万次郎
提督ペルリーの再度の渡来
江川坦庵の提議
阿部伊勢守の親書
坦庵の返書
烈公も亦江川に親書を送りて万次郎を排斥す
当時の通訳の不備
ハリス氏日記の一節

33 万次郎の結婚、坦庵の病死
団野氏の女を娶る
妻の病死
天文方山路弥左衛門の請願と江川の異議
当時の造船事業の概観
船舶製造方針の指令
幕府及び各藩の造船
江川坦庵及び阿部伊勢守の病死
坦庵の後嗣

34 万次郎の帰省
帰省の願書
其後の帰省
万次郎の母の病死

35 軍艦教授所の新設、航海書の翻訳
講武所の創設
軍艦教授所の新設
八教授の任命
英語教授に関する伺書
航海書の翻訳
翻訳完成の上申書
翻訳上の苦心

36 万次郎鯨漁御用を拝命す
川路左衛門尉の庇護
箱館にて捕鯨事業を起す
当時の箱館奉行
捕鯨御用拝命
本邦最初の捕鯨船
小笠島附近の遭難

37 咸臨丸の乗員として米国へ出張す
遣米使節の内定と軍艦の派遣
米国出張の艦員
乗組士官の俸給
軍艦の選定
咸臨丸の装備
浦賀出帆

38 咸臨丸の往航
咸臨丸の航海日記
船中の訓示
万次郎船長の事務を執る
桑港着
メーヤアイランド造船所入渠
使節一行の到着

39 遣米使節一行の行程
遣米使節及び随員の顔触
米国軍艦ポハタン号の回航
ポハタン号の航海日記
桑港市長等の歓迎
パナマ安着
ワシントン到着
国書捧呈
フィラデルフィヤにて井伊大老の変を聞く
一行の紐育出発
亜弗利加廻航
横浜着

40 咸臨丸の帰航
船体の修繕
使節一行と別る
米国政府へ記念品を贈る
米国官吏との袂別
病水夫等十人を病院に托す
桑港出発
ホノルヽ寄港
布哇国王に謁見す
品川に入る

41 万次郎写真機及び裁縫機を輸入す
米国にて購入したる書物
写真機及び薬品の購入
我邦に於ける写真術伝来の歴史
下岡蓮杖氏と万次郎との先後
ミシン裁縫の嚆矢

42 ホノルヽにて旧知デーマン牧師に再会す
デーマン師を訪うて船長ホイットフィールド氏への書翰を托す
万次郎の書翰及びデーマン師の添書
デーマン師の答訪
「フレンド」誌の記事

43 万次郎海軍操練所教示を罷免さる
罷免の真相
細川潤次郎氏の書翰
佐々木高行氏の日記
米国出張の賞与

44 小笠原開拓事業―万次郎の通訳
小笠原島の沿革
米国軍艦の占領標
咸臨丸の小笠原調査
大槻磐渓氏の餞詩
父島の調査
居留外人は英領と信ず
母島の調査
水野筑後守の復命書
朝陽丸の再度の南海踏査

45 万次郎再び捕鯨の航路に上る
越後の富豪平野廉蔵氏兄弟
捕鯨船壱番丸の航海
船中の一珍事
二英人の処分
壱番丸及び平野廉蔵氏の事
廉蔵氏の父大吉氏の碑銘

46 万次郎薩藩に聘せらる
船長ホイットフィールド氏の書翰
当時の薩藩の政情
万次郎の招聘
家老小松帯刀氏との会見
小松より大久保に送りし書翰
土佐藩主に面謁す

47 万次郎請暇して土佐に帰省す
長崎出張
大久保利通氏の書翰
万次郎の帰省
立花鼎之進氏の文
土佐の藩校開成館
藩主の召によつて高知に行く
英国測量船の入港

48 江戸に帰るまで
高知より長崎へ
宇和島藩主の厚遇
船舶購入の為め上海に航す
小松帯刀氏との会見
長崎より江戸へ
江戸より鹿児島へ
任期尽きて江戸に帰る
薩摩屋敷の珍事

49 維新の変乱の際に於ける万次郎
徳川慶喜公の大政奉還
万次郎土佐の藩士となる
徴士として開成学校二等教授を命ぜらる
開成学校の沿革
主なる教授の任命
砂村八右衛門新田の邸に移る

50 万次郎の欧洲出張
普仏戦役の勃発
観戦委員の派遣
米国にて恩人船長ホイットフィールド氏を訪ふ
「ニューベッドフォード・マーキュリ」紙の記事
疾病の為め倫敦より帰朝す
イルヰン夫人の事

51 帰朝後の万次郎
万次郎軽き脳溢血を発す
明治八年長男東一郎を伴うて中ノ浜に帰省す
万次郎の母の病死
牧師デーマン氏の来朝
雑誌「フレンド」に於けるデーマン氏の日本訪問記
船長ホイットフィールド氏の病歿
「フエーヤヘブン・スター」紙の記事

52 万次郎の晩年
悠々自適の生活
中風の再発
眠るが如き逝去
故船長の息マーセラス・ホイットフィールド氏よりの信書
語学の才
母を思ふ孝心
万次郎の義侠心
慈善行為
正義観
日常生活

53 フエーヤヘブン町に於ける太刀捧呈式
石井大使の示唆
佐藤顕理氏の意見
太刀の選定
石井大使の斡旋
米国独立記念日を以て太刀捧呈式を挙ぐ
大統領ウィルソン氏の不参と石井大使の参列
捧呈式前の景況
石井大使の歓迎
捧呈式の次第
石井大使の演説及び当日の主なる式辞演説の概要
大統領の石井大使に寄せたる私翰

54 フエーヤヘブン町巡礼
著者の米国訪問
船長の遺族と語る
婦人記者との会見
故船長の墓に花輪を捧ぐ
ロージエ学校参観
船長の曾孫ウィラード君の歓迎の辞
著者の答辞
視学官プリオール君の談話
万次郎の遺跡の数々
ニューベッドフォード市長の邸に招かる
フエーヤヘブン町有志の招待会
著者と二男との挨拶
チエース夫人母子の来訪
フエーヤヘブン出発
女婿渡辺富三郎夫妻のフエーヤヘブン訪問
七律三首

55 万次郎の贈位と記念碑の建設
万次郎正五位を贈らる
墓前に於ける報告祭
記念碑建設の企
碑石の選択
記念碑の設計
碑銘及び碑文
除幕式の挙行
除幕式の光景
委員長の式辞
東一郎の謝辞
祝辞、電報の二、三
花火、放餅
祝の歌と詩

56 レイ刀記
「ヂャパン・アドヴァータイザー」紙の誤報
志賀重昂氏よりの絵葉書
万次郎がデーマン師に贈りたる関兼房の小刀
デーマン未亡人よりの依頼
岐阜県、関町の刀工
研磨修繕の完了
〓刀記
徳川公爵の箱書
デーマン嬢の訪日
刀剣の手交
デーマン氏邸の披露会
汎太平洋クラブの午餐会
サムエル・デーマン氏の挨拶

補遺及び人名・地名索引

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