図書タケヒト シンノウ ギョウジツ000001869

威仁親王行実 巻上

サブタイトル1~10
編著者名
高松宮 著者
出版者
〔高松宮〕
出版年月
1926年(大正15年)5月
大きさ(縦×横)cm
23×
ページ
1冊
ISBN
NDC(分類)
288
請求記号
288/A76/1
保管場所
閉架一般
内容注記
威仁親王略年譜あり
和書 史料調査会旧蔵資料
目次

第1章 幼年時代
有栖川宮歴世
好仁親王
良仁親王
幸仁親王
職仁親王以下
幟仁親王の子女
威仁親王の誕生
埋胞剃髪
七夜の祝
妙法院門室相続内約治定
妙法院諸士参邸拝謁
髪置色直
柳御殿に避難
芳井御殿に移居
新邸に入る
就学
学院開講
深曾木
妙法院門室相続内約解除
幟仁親王に従つて発程
伊勢太神宮に参拝
著京
旅中の御感想
海事御志望の始
第2章 修学時代
浜崎町邸に移居
修学並に教師
幟仁親王の東京永住
育英義塾に入学
義塾の沿革
有棲川宮と義塾との関係
義塾の解散
英語の講習
海軍兵学寮に入学
兵学寮に入舎
聖駕臨幸陪席
嫡母二条広子の薨去
始めて礼砲を受く
霞関新邸に移居
陸軍諸兵演習陪観
乗馬の修習
上野公園開園式に臨場
西南の変
天城艦の進水式に臨場
西南戦地実況見学
横浜出港
鹿児島に著
戦況視察
高雄丸に搭乗
始めて実戦に参加す
熊本に著
肥筑地方戦跡巡視
長崎に著
京都に於て天皇に拝謁
著京
還幸奉迎
熾仁親王の凱旋を迎ふ
聖駕臨幸陪席
射的の練習
扶桑金剛比叡の三艦陪観
海軍兵学校予科卒業
熾仁親王より継嗣願出
御養子勅許
親王宣下並に叙品
父子御杯の儀
射的の演習
親王宣下済の賀宴
独逸皇孫並に米国前大統領の参校
英国軍艦大砲操練観覧
英国旗艦アイヨンヂユーク乗組を命ぜらる
勲一等に叙せらる
横浜出港
プロベツトに乗艦
アイヨンヂユークに転乗
第一次遠航
ニコライスカに向ふ
浦監斯徳に入港
芝罘に著
横浜に入港
京浜間往復
聖駕臨幸陪席
英国軍艦乗組員を午餐に招集
第二次遠航
試験合格
香港に滞泊
艦上の親王殿下
司令長官の本志
横浜に入港
英国軍艦乗組員を午餐に招集
第三次遠航
奥尻島附近に於て坐礁
モデストに転乗
横浜に入港
アイヨンヂユーク乗組を免ぜらる
経度聯接測量実視
競馬陪観
長三洲に書道入門
居室竣工
婚約治定と結納の儀
海軍少尉任官
英国留学仰せ出さる
妃慰子入輿
妃と共に参内拝謁
里開の儀
妃慰子の御性行
諸芸の修習
第3章 海外留学
海外留学決定に至るまでの経過
榎本海軍卿の上申
海外留学発途の内意
附属員の決定
学費手当支出
従前留学皇族と資格上の差異
留別並に送別の諸宴
御暇乞の為に参内
勅語を賜ふ
幟仁親王に拝辞せらる
幟仁親王に一書を捧呈せらる
親王の志望
発京
横浜乗船
非常の難航海
香港に著
クートに遇ふ
香港知事の敬意
アナヂルに転乗
柴棍に著
新嘉坡に著
コロンボに寄港
蘇士運河を過ぐ
地中海航行
ネープルに著
馬耳塞に著
巴里に著
巴里遊覧
倫敦に著
倫敦滞留
就学順序の決定
ポーツマスのサウスシーに転住
ライダ等の斡旋
ポーツマス軍港造船所及び港内停泊艦船視察
教官グレンビルより英語数学を受く
ブラツキヒースに移居
諸学科の修習
クートの宅を過ぐ
クート過訪
当国内閣員を公使館晩餐会に招集
オスボーン離宮に於て英国女皇に内謁
再びクートの宅を過ぐ
サウサンプトン港見学
グリニツチ海軍大学校に入学
親王の勤勉
親王の抱負
運動の為に乗馬を試む
ブラツセーを訪ふ
ブリマス軍港見学
珍らしき老女
ダートマス港見学
ポートランド港巡視
南東諸港巡歴
ハイジ港に至る
諸軍港経由
学校長の晩餐会に臨席
学校長以下を晩餐会に招集
英国北部並に蘇国の巡遊
タインマス港に至る
大砲製造所参観
エヂンバラに著並に淹留
オバンに著並に淹留
グラスゴーに著並に淹留
セツフヒルドに至る
熾仁親王の来欧
巴里に至りて熾仁親王を迎ふ
尉官学術試験及第
東南海岸旅行
砲術原理の研究
サウスシーに転住
熾仁親王の来英
熾仁親王と共に処処遊覧
熾仁親王米国に発向せらる
三たびクートの宅を過ぐ
仏国南海岸に微行並に仏語の講習
巴里に著
ツーロンに著並に淹留
マントンに著並に淹留
帰朝仰せ出さる
鎮守府所在地巡覧
巴里に著並に淹留
倫敦出発
セルビヤに乗船
海員孤児掖済会の資金を義捐せらる
紐育に著
ブルークレンの海軍船廠観覧
華盛頓に著
大統領に面唔
海軍省及び海軍船廠参観
アナポリス海軍兵学校参観
ナイヤガラ観瀑
市俄古に著
桑港に著並に淹留
桑港乗船
海上の模様
東京湾に入る
横浜に入港
横浜停車場乗車
新橋停車場に著
帰邸
両陛下に謁見
青山御所に参候
第4章 軍事部出勤と内国沿海巡視
海軍大尉に任ぜらる
水交社社長に推載せらる
帰朝慶賀夜会
天竜艦の進水式に臨場
東京出発
日光に著
東照大猷両廟巡覧
華厳観瀑
男体登山
湯本温泉に淹留
満願寺に帰著
霧降観瀑
日光出発
水戸を過ぐ
大洗に淹留
帰邸
南叡会会長承諾
独逸国来賓ジヨンアルベルトを訪ふ
海軍武官義済会に加入
かなの会会長承諾
競馬陪覧並に受賞
特別御用取調掛仰せ付けらる
天長節観兵式供奉
金子堅太郎の政治論略講義を聴聞せらる
当時思想界の状勢
講筵の開始
両講師を紅葉館に招請
観菊会参列
かなの会発会式
熱海に入浴
神奈川県連光寺村に於て兎狩陪覧
共立病院総長に推戴せらる
共立病院開院式に臨席
軍事部出勤仰せ付けらる
近衛砲兵三大隊春季演習参観
内国沿海巡視を命ぜらる
金剛艦に搭乗して横浜出港
館山沖に投錨
大島に上陸
比叡艦に転乗
鳥羽に著
内外両宮参拝
京都遊覧
大阪遊覧
神戸巡覧
淡路に廻航
須磨明石遊覧
丸亀に滞泊
琴平に参詣
御手洗沖に投錨
各処海峡巡覧
広島に滞在並に遊覧
厳島遊覧
錦帯橋遊覧
再び広島に滞在
呉湾視察
勝負山に登臨
宇品出港
松山遊覧
宇和島に著
佐伯に著
鹿児島遊覧
桜島に遊ぶ
鹿児島出港
那覇入港
首里遊覧
那覇出港
大島に著
長崎廻航中大風雨に遇ふ
親王の御態度
長崎に入港
長崎出港
神戸に著
有馬に入浴
横浜に入港並に著京
霞関新邸に入る
伊香保に入浴
船尾観瀑
榛名登山
海軍兵学校生徒卒業証書授与式に臨席
水交社開館式に臨場
陸海軍聯合運動観覧
扶桑艦分隊長に補せらる
御附武官の任命
績子女王の誕生
東北沿海巡航
長門丸便乗
金華山登躋
帰邸
扶桑比叡両艦乗組将校を晩餐に招集
幟仁親王の薨去
神戸に著
京都遊覧
鹿児島に入港並に滞泊
大島焼内湾に入港並に滞泊
長崎に入港並に滞泊
竹敷に入港並に滞泊
釜山に著
小倉営舎巡覧
横浜入港並に帰邸
第5章 参謀本部出仕
参謀本部海軍部第一局課員に補せらる
伊香保に避暑
白井鮎漁見物
日光に至る
湯本に淹留
再び伊香保に至る
弁天滝観覧
績子女王の薨去
海軍少佐に陞任
競馬会場行幸に供奉
参謀本部海軍部出仕仰せ付けらる
地学協会名誉会員となる
大勲位に叙せらる
京都行幸供奉
御親祭供奉並に参拝
琵琶湖疏水工事観覧
京都より帰邸
独逸皇族来朝
近衛諸兵の野外演習陪覧
観桜会に臨席
三陛下相次いで本邸に臨幸
近衛聯隊軍旗授与式に供奉
愛宕艦の命名式に臨席
露国皇族来朝
内廷御宴に陪席
暹羅国特使来朝
栽仁王の誕生
雉猟仰せ付けらる
華族会館開館式に臨席
陸軍始観兵式供奉
軍港防禦演習視察
夏島に伊藤伯を訪ふ
海軍参謀本部出仕仰せ付けらる
枢密院会議に参列
外賓会食に陪席
好仁親王二百五十年祭
伊香保に避暑
呉佐世保に出張
軍事視察として欧洲へ差遣せらる
憲法発布式に参列
親王品位の制を廃せらる
貴族院議員に列せらる
第6章 海外軍事視察(上)
再度渡欧の御志望
右に関する上奏
願意御聞済内諭
出発遅延の理由
妃慰子の洋行希望
右に就いての請願
自費同行御許可
前田侯爵夫妻同行
一行の人人
発途
乗船
航海中の困苦
桑港に著
桑港発車
ソールトレークシチー遊覧
市俄古に著
ナイヤガラ観瀑
紐育に著並に視察
ヒラデルフヰヤに著
華盛頓に著
米国大統領を訪ふ
大統領の夜会に臨席
新聞の記事
夜会の模様
両殿下の服装
再び紐育に著
報告の御書を草せらる
紐育に於て乗船
大西洋航海の模様
巴里に著
載仁親王と往来せらる
借邸に移居
露国に向つて発途
露都に著並に滞留
露国帝室の優待
山県大臣に面会
謁見並に勲章捧呈の次第
カヂナ離宮晩餐会の模様
神聖アレキサンダーネウスキー勲章受領
瑞典丁抹巡遊の延期
妃慰子差遣の御許可
大博覧会見物
仏国大統領を訪ふ
西班牙に向つて発途
謁見並に勲章捧呈の次第
グランクロアシヤールルトロア勲章受領
ペルシヤ国王を訪ふ
仏国軍港視察
借邸引払
瑞西避暑
ゼネーブに著並に滞留
ルセルンに著並に滞留
リギ山頂に登臨
再びゼネーブに著並に滞留
依仁親王と往来せらる
蘭丁瑞三国巡遊の為に発途
海牙に著並に視察
グランクロアリオンネセルランデー勲章受領
コツペンハーゲンに著並に視察
ストツクホルムに著並に視察
丁抹の海軍兵学校
皇族の海軍教育
海軍造船所
フレデンスボルグ離宮の晩餐会
瑞典の海軍兵学校
造船所
瑞国皇帝に謁見並に晩餐会
瑞国皇帝の談話
巴里帰著
第7章 海外軍事視察(下)
巴里出発
ブラツセルに著並に滞留
白耳義皇帝に謁見の次第
アンベルス砲台観覧
ウオタールー古戦場を過ぐ
グランクロアレオポール勲章受領
ブラツセル発車
倫敦に著
海軍関係個処視察
天長節夜会
チツター近傍に於て遊猟
視察の模様
ポーツマス海軍工廠
チヤタム造船所
ドーバーに一泊
ブラツセルに帰著並に滞留
伯林に著
グランクロアレーグルルジ勲章受領
ポツダム離宮に於て独逸皇帝に謁見
伯林市中巡覧
グナイスの講話を聴く
キール軍港視察
憲法発布記念章を授けらる
ドレスデンに著
ザクソン国王来訪
ブラーグに著並に滞留
維也納に著
墺国皇帝に謁見
グランクロアレオポール勲章受領
スタインの講説を聴く
妃並に一行と分る
ポーラ軍港視察
ヒユメ視察
トリエストに著
妃並に一行と会す
名誉領事ヒデロツトより招請
ベニス著並に滞留
ミランに著
フロレンスに於て元旦を迎ふ
羅馬に著並に市中巡覧
伊国皇帝に謁見
グランクロアサンモーリスエラザル勲章受領
宮中の晩餐会
ネープルに著並に視察
ポンペーの遺墟を訪ふ
スペチヤ軍港視察
トリノを過ぐ
巴里に帰著
巴里を発して帰途に就く
馬耳塞に著
ツーロン軍港視察
馬耳塞に於て乗船
アレキサンドリアに著
ポートサイドに著
蘇士運河に入る
亜丁を過ぐ
コロンボに著
新嘉坡に著
紫棍に著
香港に著
上海に著
神戸に入港並に上陸
熾仁親王に対唔
京都に著
行在所に於て両陛下に拝謁
新橋停車場に著
帰邸
復命書呈上
欧洲将来の形勢
海軍拡張の必要
露支二国に対する軍備
海陸両軍対等の御処置を望む
欧洲に於ける皇族の軍事教育
これに関する二方法
卒業後の練習
各国皇族の海軍に従事せらるる状況
露国
独国
伊国
英国
瑞典
墺国
丁抹
希臘
各国に於ける海陸軍の軽重
最近に於ける独国海軍の拡張
侍中武官
皇太子の御教育
海軍に従事する皇族の件
皇族の進級
補佐官の必要
其他の必要諸件
第一武官を附随せしむること
第二俸給を受けざること
第三進級
第4軍事以外の研究
第五道徳慈善等に就いて
親王の進説効果
第8章 葛城高雄の艦長
海軍参謀部出仕仰せ付けらる
大日本帝国水難救済会総裁に推戴せらる
葛城艦長心得仰せ付けらる
初めて葛城に搭乗
海軍将校を茶話会に招集す
帰朝内祝の宴
東北諸港巡航
荻浜に入港並に滞泊
函館に入港並に滞泊
航行中大風雨に遇ふ
射的実施
品川発著の際に於ける天機奉伺
海軍大佐に任じ葛城艦長に補せらる
青森に入港並に滞泊
高雄艦長に転補せらる
再び函館に入港並に滞泊
土国軍艦の遭難
土国軍艦遭難生存者送還に関する意見
土国派遣に関する希望
遭難者の護送
品川帰航中暴風雨に遇ふ
品川に入港
高雄に転乗
清水港に航行
南叡会総裁に推戴せらる
実枝子女王誕生
横須賀出港
佐世保に入港並に滞泊
品川に入港
大日本帝国水難救済会会員章制定に就いての請願
第9章 露国皇太子の接伴
露国皇太子の接伴を命ぜらる
接伴係員
接伴艦
露国皇太子の発程
漢口に著
日本巡遊行程の予定
露関本邸を以て旅館に充つ
熾仁親王の移居
接伴艦の長崎廻航
接伴係員の西下
親王発京
門司より陸行
長崎に著
露国皇太子到著の確報
露国皇太子の長崎著港
奉迎の状況
露国皇太子著港当日の親王
知事官邸に於ける引見並に紹介
非公式会見
露国皇太子の微行上陸
親王の有田遊覧
親王の公式往訪
露国皇太子第一日の上陸
上陸の模様
知事官邸に於ける歓迎
交親館観覧
長崎市民の招請
双方の挨拶
各処遊覧
露国皇太子の帰艦
露国皇太子第二日の上陸
親王の第五高等中学校医学部参観
知事の挨拶
親王八重山に帰艦せらる
露艦並に接伴艦の長崎出港
鹿児島に於ける露国皇太子一行の歓迎
鹿児島出港
下関海峡を過ぐ
鞆津に投錨
露国皇太子瀬戸内海の風光を観賞せらる
神戸入港
神戸見物
京都に著
常盤ホテルに著
京都見物
琵琶湖遊覧
三井寺を経て唐崎に至る
滋賀県庁に至る
疏水乗船地に向ふ
凶変の次第
現場の混雑
親王の御態度
東京宮城へ打電
再び滋賀県庁に向ふ
露国皇太子京都に帰館せらる
旅館附近の戒厳
露国軍艦の軍医長旅館に伺候す
手術を行ふ
天皇より御答電
京都市中の騒擾
能久親王御名代として露国皇太子旅館を過ぐ
露国皇太子の容体
天皇京都に著御
露国皇太子花輪を孝明天皇御陵に供へらる
天皇露国皇太子旅館に臨御
熾仁親王の西下
露国皇太子の帰艦
神戸行幸並に京都還幸
車中の護衛と道筋の警戒
皇后宮御使の西下
威仁親王に露国差遣仰せ出さる
能久親王に露国皇太子の接伴仰せ付けらる
親王露国皇太子に告別せらる
親王の帰邸
凶変に対する露国上下の状態
露国帝室の意嚮
威仁親王差遣に就いて露国へ照会並に回答
露国差遣見合となる
彰仁親王妃皇后の御使として露国皇太子を御召艦に訪ふ
露国皇太子の誕辰
天皇露国皇太子御召艦に臨御
露国皇太子の発航
下関港外まで見送
能久親王の帰京
露国皇太子の浦塩斯徳著港
露国皇太子の浦塩斯徳出発
後月輪東山陵御参拝
東京に還幸
熾仁親王の帰京
皇后より熾仁威仁両親王に御料理を賜ふ
熾仁親王の帰住
希臘親王横浜に至る
県知事警部長並に大臣の免官
車夫の叙勲
津田三蔵の処刑
三蔵の服役並に病死
当事者の失態
親王の功績
第10章 高雄千代田の艦長並に横須賀海兵団長
丁汝昌参邸
丁汝昌等を本邸に招集
朝鮮及び日本海巡航
舞子別邸の由来
釜山に入港
隠岐巡航
宮津に入港
舞鶴青森函館を経由して品川に帰航
三週間の静養
露国東洋艦隊司令長官以下を晩餐に招集
葉山別邸の由来
初めて葉山別邸に至る
朝鮮上海巡航
遠州洋の風波
鳥羽に入港
艦中の紀元節
神戸に入港
壱岐対馬経由
巨文島に著
長直路に上陸
済州島通過
上海に入港
上海出港
那覇に入港
大島に停泊
長崎に入港
竹敷に入港
佐世保軍港に集合すべき旨の命令
右命令の実行
海軍大演習の次第
親王の先見
江田島神戸を経由して品川に帰航
日本海員掖済会総裁に推戴せらる
神聖グランクロススタニスラス勲章受領
葉山別邸に淹留
海軍将校端艇競漕会総裁に推戴せらる
端艇競漕会に臨場
九州沿海巡航
千代田艦長に転補せらる
内国各港巡視
九州沿海巡視
海軍次官並に司令長官等を午餐に招集
呉港に廻航
神戸停泊中処処巡遊
露国艦長等を本邸に招集
支那朝鮮近海巡航
威海衛に著
旅順海洋島を経由して仁川入港
帰邸
転地療養
葉山別邸に淹留
天皇より病気御尋
港湾巡航
佐渡夷に入港
横須賀海兵団長に補せらる
宮津に於て退艦
伊勢山田に至りて熾仁親王に面せらる
新兵掛に訓示
御思召を以て金一千円下賜
横須賀在勤の陸海軍高等官等を海兵団に招集
独国公使等を本邸に招集
皇太后葉山別邸に行啓
大婚二十五年祝典に参列
小演習の為め海兵団に滞在
蘭人ライヘーに謁を賜ふ
帝国議会開院式行幸供奉
清国に対する宣戦
聖駕西下奉送
第11章 松島橋立の艦長と明治二十七八年戦役
大本営附仰せ付けらる
広島に著
熾仁親王と同宿
海軍兵学校生徒卒業証書授与式に差遣せらる
軍事視察として差遣せらる
宇品出港
漁隠洞に投錨並に視察
大連に入港
金州巡覧
旅順に入港並に視察
再び大連に入港
松島艦長に補せらる
井伊直憲室宜子逝去
熾仁親王の臥病並に危篤
熾仁親王の病気経過
熾仁親王の薨去
宇品に入港
舞子別邸に著
霊柩を護して帰京
熾仁親王の葬儀
広島に著
再び戦地出張を命ぜらる
松島に帰艦
威海衛攻撃
丁汝昌の請降
聯合艦隊の諸艦威海衛に入港す
鎮遠の視察
松島の呉廻航
佐世保に向ふ
伊東司令長官の南征
松島の呉出港
佐世保に入港
佐世保出港
倉島に投錨
澎湖島攻撃
陸戦隊の上陸
澎湖島占領
南征軍歌
橋立艦長に転補せらる
親王の御覚悟
橋立に転乗
偵察の為め福建省沿岸巡航
佐世保に廻航
京都大本営に参候
日清媾和
親王帰京
親王の功績
論功行賞
第12章 海軍砲術練習所長並に常備艦隊司令官
日本美術協会総裁に推戴せらる
神苑会総裁に推戴せらる
海軍砲術練習所長に補せらる
横須賀鎮守府司令長官に上申
海軍機関学校生徒卒業証書授与式に臨む
海軍兵学校に差遣
海軍兵学校生徒卒業証書授与式に臨む
熾仁親王一年祭
歌御会始勅題詠進
幟仁親王十年祭
初めて御霊祭を行ふ
海軍の現況に就いての上奏
射撃艦一隻専属の件
牡丹満開に付き庭園公開
病気加養の為に引篭
転地療養の為に舞子別邸に赴く
京都に至る
貞愛親王を神戸の客次に訪ふ
淡路に至る
播州めぐり
神戸に至る
舞子発車
帰邸
績子女王十年祭
快癒出仕
伊学協会総裁に推戴せらる
海軍少将に任じ常備艦隊司令官に補せらる
宣子女王三十年祭
横須賀鎮守府に於て拝謁
海軍兵学校及び海軍機関学校に差遣
海軍端艇競漕会開催
海軍将校を談話会に招集
霞関本邸御買上となる
十年間拝借
麻布別邸
附属別邸四個所
巣鴨別邸の由来
翁島別邸
略系図・略年譜・表・写真版目次あり