偉人中島知久平秘録
序にかえて(編者・毛呂正憲)
序文―中島知久平先生を憶う―(参議院議員・木暮武太夫)
序文―先輩中島知久平先生の想出―(参議院議員・野本品吉)
序文―在りし日の中島知久平先生―(衆議院議員・福井盛太)
口絵「写真・題字」―内閣総理大臣岸信介、国務大臣益谷秀次、衆議院議長加藤鐐五郎、参議院議長松野鶴平、
計り知れなかつた大人物中島知久平先生の回想(衆議院議長・加藤鐐五郎)
政友中島知久平君の追懐(参議院議長・松野鶴平)
先生在世中の最後政談を交えた政友(衆議院議員・松村謙三)
中島知久平先生の想出(太平洋海運株式会社社長・小笠原三九郎)
友人としての中島君(元海軍中将・古市竜雄)
巨人中島知久平君の想出(簡牛凡夫)
思い出十項(元代議士埼玉県公安委員長・石坂洋平)
両親と兄の在りし日の追想(中島綾子)
第1章 中島家と環境
中島家の家系
婿取三代
父「粂吉翁」の人となり
「のて粂」の由来
「のて粂翁」の奇行
第2章 知久平先生の人となり
生立と弟妹
小学校時代と立志
青年時代と奇行
耐乏生活と勉学
専検パスと海軍志願
第3章 海軍機関学校時代
優等卒業と思賜の銀時計
日露戦争の大勝と新規事業への着眼
少尉候補生時代
機関少尉任官と鷲の研究
第4章 欧米航空界の躍進と我が国の航空界
軍用気球研究会の発足
フランス飛行界視察のチャンス
機関長時代と雷撃戦必来の予言
第5章 海軍大学時代
海軍大学選科生志願と飛行機の研究
飛行船を操縦し記録を作る
第6章 海軍航空術研究と飛行機製作工場長
欧米の航空界と我国の海軍航空界
アメリカに於て飛行術を研究
飛行機製作工場長となり日本海軍製第一号機を完成
フランス出張と卓見の意見書
第7章 現役退官と其前後
第一次世界大戦勃発後の中島造兵監督官
中島式各種飛行機の製作
世界最初の水雷落射機を創案
現役退官の決意とその前後
退官退職の辞
退官前後に於けるエピソート及び奇行
第8章旗揚げと飛行機製作所長時代
飛行場の選定と飛行機研究所の設立
事務所の設置と事業の発足
飛行機製作所長時代の苦心
井上幾太郎将軍と中島飛行機研究所
川西清兵衛と提携
五型機の完成と発動機工場の設置
陸軍航空本部から初註文
川西と中島の意見の対立
武藤金吉と中島知久平
第9章 機構の充実と生産実績の向上
一躍一流会社となり陸海軍より註文殺倒す
兄弟の協力と危機の突破
全盛時代とその業績
第10章 新会社の設立と中島
中島商事株式会社の創立
中島の相場哲学
発動機工場の設置と機体生産状況
政治家となり国家に奉公する事を発心
第12章 政治家時代
代議士当選と中島飛行機製作所の盛衰
中島飛行機株式会社の発足と中島の決意
一年生で堂々たる質問戦を展開す
代議士一年生で商工政務次官
箱根山荘に於ける中島知久平と其の後
第12章政党総裁時代
アレキサンダー大王とライオン
三度代議士に当選入閣す
総裁代行委員と中島
近衛内閣の鉄道大臣
夏の陣
中島飛行機会社と其の後
政友会八代目の総裁に就任
第13章 挿話点描
中島の人間味
己が伝記を焼却す
暴漢のピストル狙撃と命拾い
罪の償いと大孝
ライオンの脱檻騒ぎ
第14章 神秘的予言者中島知久平
大艦巨砲主義の無用物視と飛行機の重要性を予言(大正三年)
飛行機が重要兵機となる事を予言(大正三年)
日米戦争の避け難き事を予言(昭和十一年)
東京が焼野ケ原になると警告(昭和十一年)
自分の運命に対する予言(昭和十三年)
日本の敗北と必勝戦策の立案(昭和十七年)
ソ連の進出と日独降服の予言(昭和十八年)
必勝戦策とZ機(富岳)製作の必要を予言(昭和十八年)
戦局進展予想(昭和十九年)
第15章 余録
一風変つた「選挙公報」
富岳委員と米本土空襲を目的とする飛行機製作の企画
終戦前後の中島と飛行機製作所の機構
終戦と平和産業(富士産業KK)に転換
第16章 終戦直後の国情と中島
軍需大臣と商工大臣に就任
中島の忠君愛国の信念
中島の政党再建工作
第17章 偉人「中島知久平」の後半世
A級戦犯容疑者
財閥追放と片腕としていた次弟喜代一氏の病死
航空工業再建を期待
愛娘の婿選びと孫と最後の別れ
在世中最後の政談
偉人中島先生の最後
遺稿あり