台湾史と樺山大将
第1編 台湾史
台湾地名考
台湾の地位及地勢
台湾地名の変遷
琉球
高砂と高山国
タカサグン
フオルモサ
台湾
東都及東寧
北港
東蕃
東瀛
バンチアー国
迦知安
レクエアー
〓羅島
〓〓満
波羅公
東〓
夷州
煙草島と烟管島
蓬莱島と常世国
帝国領有前の台湾
無所属時代
和蘭人占拠時代
西班牙人占拠時代
鄭氏占拠時代
清国領有時代
日本人の海外発展と台湾
明治以前の対外事情
海外発展の動機
海上の日本武士
御朱印船
豊公の壮図と原田の献策
南洋諸島の日本人
暹羅に於ける日本人の事蹟
徳川家康の台湾経略
南支南洋の航路と台湾
日本人と台湾
日清戦役と領台
朝鮮問題
日清国交の断絶
日清開戦
媾和談判
我領台と匪賊及蕃地の平定
帝国領有後の台湾
総督府の組織及地方制度の変遷
教育
宗教
財政
貿易
土木事業
鉄道
電気事業
専売事業
衛生
農業
糖業
鉱業
海事
水産業
水利事業
台湾の住民
内地人
本島人
外国人
生蕃の今昔
生蕃の種族と分布状態
生蕃の性情及慣習
領台前の理蕃
領台後の理蕃
生蕃の撫育
第2編 明治七年の征台史
征台の発端
琉球藩民の遭難
鹿児島県参事の奏請
加害の元兇は牡丹社蕃に非す
遭難者身分姓名の調査
樺山少佐の上京
帝都に於ける樺山少佐の活動
備中小田県民遭難事件
副島外務卿及樺山少佐の渡清
樺山少佐清国台湾へ御差遣の御沙汰を拝す
樺山少佐西郷参議と共に帰郷す
樺山少佐再び上京す
樺山少佐の渡清準備
副島外務卿に勅書を賜はる
樺山少佐柳原公使と共に渡清す
副島全権大使の渡清
対清談判の経過
渡清後の副島大使
謁帝問題の経過
台湾問題談判決裂す
清国に対する列国の野心
当時清国に於ける邦人の活躍
副島全権大使の帰朝
渡清後の樺山少佐
上海に於ける樺山少佐
天津に於ける樺山少佐
北京に於ける樺山少佐
万里長城視察
樺山少佐台湾に向ひ出発
清国旅行の不便
樺山少佐の予定計画
樺山少佐其の他の台湾視察
淡水上陸後の樺山少佐
淡水出発打狗に上陸す
打狗上陸後の少佐
小佐俄かに香港に向ひ打狗出発
水野氏其の他の台湾視察
台湾より上海へ引揚後の樺山少佐
本邦の政変と台湾問題
陸軍々人の渡清と西郷大輔の書翰
樺山少佐再び渡台の途に上る
五十余年前の香港
五十余年前の広東
五十余年前の澳門
澳門に於て内外の通信に接す
汕頭及澎湖島を視察す
再渡台後の南部視察
打狗到着後の計画
水野氏と南部視察を約す
打狗出発東港を経て枋〓に着す
枋〓に於ける視察状況
枋〓発車城に上陸す
土民討蕃陳情書を提出す
車城以南の視察
車城出発打狗に引揚ぐ
打狗以北の視察
打狗発台湾府着
台湾府出発彰化着
清兵の賊徒討伐を観戦せんとして賊巣に踏込む
再び賊徒より救援の要求を受く
征台軍に関する風説
淡水に落合ひたる志士と其の画策
東部台湾占領隊の出発と帝国軍艦
蕃地〓莱の占領
征台軍の進発
廟議漸く征台に決す(木戸孝允以下の反対論者挂冠す)
征台軍の編成
廟議再燃征台の師を停めんとす
征台軍先鋒の進発
西郷都督後続部隊を率ゐて着台す
征戦の経過
先鋒隊の蕃人懐柔
征台軍最初の犠牲
我斥候再び敵蕃と衝突す
石門の激戦
西郷都督清官と会見す
各蕃社の酋長続々投誠帰順す
樺山水野両氏瑯〓本営に着す
本営到着後の樺山水野両氏
牡丹社の三面攻撃(其一、部隊の編制)
牡丹社の三面攻撃(其二、左翼軍の戦況)
牡丹社の三面攻撃(其三、中軍の戦況)
牡丹社の三面攻撃(其四、右翼軍の戦況)
牡丹社の三面攻撃(其五、三面攻撃の結果と各部隊の凱旋)
征戦後に於ける我軍隊と蕃情並に清官の行動
牡丹社外二社酋長の投降
西郷都督再来の清使を屈す
清使三度瑯〓に来る
清官琉球遭難者の髑髏を横奪せんとす
西郷都督生蕃酋長の招待に応ず(都督蕃人と共に踊る)
戦後の蕃社巡視
山後の諸蕃続々投降す
我軍流行病の惨状
生擒の生蕃少女を東京に送り教育す
日清談判の経過
谷少将及樺山少佐の帰朝
樺山少佐再び渡清す
北京到着後の樺山少佐
柳原公使清廷と談判を開始す
大久保全権の渡清と樺山少佐
樺山少佐大久保全権と意見衝突す
大久保全権清国と和約を結ぶ
対清談判の経過と樺山少佐
西郷都督兵備の充実を図る
国民の意気と陸海軍の士気
大久保全権樺山少佐と共に渡台す
征台軍の凱旋と其の前後
征台軍凱旋準備に着手す
大久保全権谷参軍其の他の出発
勅使御差遣
樺山少佐の凱旋と昇進
西郷都督琉球遭難民の墓碑を建つ
西郷都督頭人及酋長を招く
都督占領地其他を清官に引渡して凱旋す
日清平和条約成立後の国論
長崎県下梅ケ崎に征台軍人の墓碑を建つ
楓港の土民我軍の戦病死者を祀る
補遺
樺山少佐の風流
西郷都督キヤンベル博士に乗馬を送る
当年の志士と其の後年
叙勲の光栄に浴したる十八蕃社大酋長
十八蕃社の大酋長米国領事と盟約を結ぶ
鵞鑾鼻灯台建設の由来
琉球より観たる我軍の征台
大山鹿児島県参事の末路
大倉男爵の回顧談
遭難民の墓碑改修成る(附当年の勇士柴田建忠氏の談話)
第3編 南澳蕃探険事蹟
樺山少佐南澳蕃探険の途に上る
淡水港出帆鶏篭港に著す
鶏篭地方を視察す
鶏竜港出帆烏石港に著す(附烏石港の今昔)
烏石港附近を視察す
〓瑪蘭庁訪問
船中の蟄居
利沢簡方面を視察す
開城寺の盈祭を視る
蘇澳へ陸行を企つ
烏石港出帆蘇澳港に著す(附熟蕃人との交欸)
蘇澳港著後の行動
五十余年前の蘇澳港
南風澳の熟蕃
蘇澳附近の蕃地探険
南澳蕃に蕃婦の使者を派す
五十余年前の蘇澳市街
樺山少佐と蘇澳の炭酸泉
遠大なる少佐の目的
熟蕃酋長を船中に招き謀議す
海賊船の入港
海路南澳探険を企つ
南澳蕃人と会見顛末
生蕃酋長等の下山
清官吏の妨害
中間の奸策遂に露顕す
樺山少佐一行入山生蕃人と会見す
少佐生熟両蕃の争闘を調停す
南澳蕃と会見場所
遺跡地に紀念碑を建つ
東澳の呉春城
会見蕃人を船中に招致す
船主の祝砲
蕃婦の哀別
樺山少佐と会見の蕃人
会見蕃人の所属社
五十余年前の蕃社及其の位置
四社の歴史的関係
残留生蕃八名と其の所属蕃社
会見蕃人の遺族
会見当時に関する伝説
樺山少佐の蕃人愛撫
蕃人に物品を恵与す(燐寸始めて蕃社に入る)
生蕃酋長楽器を所望す
信を以て蕃人を感化す
蕃人に対し義を重んず
探険の結果
淡水へ引揚に決す
南風澳出帆
再び烏石港に滞泊す
烏石港滞在中の風説
烏石港出帆鶏篭著港
風声鶴唳
淡水港に帰著す
清政府に与へたる刺戟
第4編 初代台湾総督としての樺山大将
総督府の組織と始政
樺山大将初代総督の印綬を受く
内閲総理大臣台湾始政の大綱を訓令す
樺山総督の著任と台湾の受授
樺山総督始政の方針を訓示す
台湾始政式
台湾駐在各国領事へ領台を声言す
行政粗織
第一期の民政並に軍政時代
第二期民政(拓殖時代)の初期
領台当初の地方制度
行政法規の制定
台湾総督の委任命令
警察機関の創設
官租及地租に関する法令の発布
総督及民政局長の諭示
民政局長人民綏撫の諭示
清国敗兵給資送還の諭示
礼物退斥の諭示
租税〓兎の諭示
帰順兵寛宥の諭示
塩制廃止の諭示
台北県知事の諭示
強盗盗捕縛及衛生注意の諭示
紙幣貨幣使用上注意並紙幣兌換の諭示
軍品蔵匿者処分の諭示
官塩仏下の諭示
行政区劃制定並に街庄事務取扱に関する諭示
米穀輸出禁止の諭示
地所家屋所有権調査の諭示
保良局設置の諭示
匪乱鎮定
賊将台湾民主国の建設を宣言す
李鴻章台湾の引渡を遷延せんと企つ
賊将清国に遁逃ず(附東郷元帥の直話)
台湾全島平定
三北白川宮殿下の薨去
伏見宮殿下の凱旋
台湾全島平定を報告す
宮内官御差遣
台湾全島再び匪賊蜂起す
樺山総督の仁政
司法制度
裁判制度
監獄制度
民事刑事法令
交通及通信
道路改修工事
鉄道敷設計画
命令航路の創始
郵便制度
電信制度
教育制度
学制
教科書編纂
初等教育
専門教育
台湾語講習所
医事及衛生施設
官立病院
衛生工事
防衛
公医の配置
開業医医生及助産婦
台湾の阿片制度
支那及台湾に於ける阿片の起源
恐るべき阿片烟毒
阿片烟毒母国人に感染せんとす
阿片制度の確定
阿片制度実施準備
台湾阿片令発布
理蕃事業
三百年以来の理蕃
樺山総督の対蕃訓示
蕃地及蕃人に関する調査に著手す
熟蕃及生蕃の挙止
水野民政局長の撫蕃意見
最初の蕃人接見
台北県の撫蕃著手
領台後台北県下に於て初めて見たる蕃人の出草
領台当初の蕃情と民蕃関係
撫墾署の設置
撫墾署長心得要項
蕃地出入取締の内訓
領台叢記
領台当時の文官
樺山総督軍歌を作る
領台当時の思出物語
台湾占領に関する建議
献刀の由来