創業三十五年を回顧して
序
第1章 創業時代
南洋鉱業公司の発足
石原三兄弟の渡南
路上の石から鉄鉱発見
慈母の急死と奇蹟
企業化の死闘
南洋鉱業公司誕生す
建設途上の苦心
スリメダン鉄山の開発に着手
バトパハ開港と国王の好意
希望に輝く必死の建設
スリメダン鉱山の建設成る
経営の基礎確立
鉱石の自家輸送を開始す
政府低利資金の借入れ
ケママン鉱山開設
知らぬ間に基礎固まる
第2章 わが社次期南方発展の構想
日蘭合弁、スマトラ開発計画
スマトラの資源調査
日蘭合弁事業の目論見
関東大震災により挫折
海運と貿易による南方への躍進
南洋倉庫の経営
わが社船の飛躍
ジャワ定期航路の開設
神戸海運会商
南洋海運株式会社の創立
マレーのボーキサイト開発
ボーキサイトは足元にあった
南岸にも豊富なボーキサイト
ボーキサイトを昭電へ送る
第3章 内地事業
内地進出の由来
金山に着手
神美金山
旭金山
熊野鉱業地帯の開発
熊野鉱業地帯の由来
開発の決意
紀州鉱山
妙法鉱山
その他の鉱山
久宗鉱山
試掘鉱山
炭鉱の経営
美田炭鉱
北松炭鉱その他
徳島炭山
薬師炭山
亜炭の採掘
四日市製錬工場の建設
獄窓で銅製錬の構想を練る
敷地を四日市に決定
市内の銅製錬は異例
工場建設成る
第4章 海外事業地の拡大
フィリピン
パラカレ鉄山開発
鉱山調査
海南島
海南島鉱山開発を決意す
田独鉄山
第5章 経営、資金、金融の推移
同族経営時代
南洋鉱業公司とシンガポール石原産業公司
資金と金融並に利益
石原産業海運株式会社時代
株式会社に変更
シンジケート金融の途を拓く
独特の従業員待遇
給料と手当
自家生命保険
別途積立金
第6章 日米開戦前後の海外事業地
戦雲急、海外勤務者引揚げ
マレー
フィリピン
宣戦布告と抑留生活
シンガポール
ケママン
マニラ
第7章 戦時下の海外事業地
南方資源開発の受命
マレー
小山専務マレーに飛ぶ
ボーキサイト鉱山
ケママン鉱山
錫鉱山
蘭領東インド
スマトラ
ジャワ
ボルネオ
フィリピン
石原新三郎社長自ら指揮採る
カランバヤンガン鉄鉱山
銅鉱山
第8章 終戦による海外事業地の閉鎖
戦争末期の一般情況
事業閉鎖と無念の引揚げ
海南島
マレー
スマトラ
ジャワ
ボルネオ
フィリピン
第9章 戦時下の内地事業地
紀州鉱山
生産増強の構え
労力不足の対策
四日市工場
夜空を焦がす熔鉱炉
労力不足の備え
震災、戦災による被害
終戦までの生産状況
第10章 終戦と再建整備
進駐軍の占領政策
詔勅下る
占領政策の転換
敗戦とわが社
再建の方針
公職追放
再建整備
石原合名の解体
戦時補償打切りと新旧勘定
集中排除法適用をまぬかる
再建整備の実施
第二会社の創立
旧株主の特損負担の補填措置
第11章 戦後の再建
再建の目標
事業地の整理
紀州鉱山の整備
四日市工場の整備
応急修理
根本的修理
副産物工場
化成肥料工場の新設
画期的農薬の製造
二・四-D除草剤
水中二・四-Dの発明
植物ホルモン剤
チタン事業に進出
酸化チタン工場建設計画
技術導入と外資委員会
工場建設
操業、生産、販売
第二期増産計画
塗料の製造開始
戦後内地事業の基盤成る
海外再雄飛の準備
東南アジア資源開発の構想
日イ合弁銀行設立計画